02.曇り時々晴れ
今日の蓬生は様子はおかしい。
隣でヴァイオリンをケースにしまう彼を見て、ふと千秋は思った。
横浜の滞在先として選んだ、星奏学園の学生寮「菩提樹寮」から少し離れた海が見える緑豊かな臨海公園。
千秋達神南メンバーは、よくこの場を好んで野外ライブを行っていた。
今日も朝早くから場所を陣取り、「全国学生音楽コンクール」セミファイナルに向けて練習ついでのライブの準備をしていた。
ライブは成功。
一度千秋達が演奏を始めれば、音に気付いた多くの人たちがその周りに集まり演奏に聞惚れる。
演奏を終え、たまたま通りかかったという星奏学園の連中と横浜観光でもしようかと話をしていると、浮かない表情の蓬生が携帯の画面を覗き込む様子が目に入る。
まただ、今日はこれで何度めだろう。
電話をかけるでも、メールを打つわけでもなく、ただ液晶画面を眺める蓬生。
誰かの連絡でも待っているのだろうか?
「どうしたんだ蓬生。お前がそんなに携帯気にするなんて珍しいな。」
気になり声をかけると、ため息混じりに蓬生が千秋の方へ振り向いた。
「みーちゃんから連絡こんのよ。朝メールしたんやけど、どないしたんやろ。」
「みちる?夏期講習で忙しいんじゃないか。」
「そやろうけど、いつもならちゃんと返事してくれんのよ。」
子供じゃあるまいし、連絡がないくらい・・・。
一瞬千秋の心にそんな思いが過ぎったが、不安げな表情をみせる蓬生をほっておく事はできなかった。
時計を見れば12時を少し回った頃。
昼休みであることを確認し、千秋はおもむろにズボンのポケットから携帯を取り出し、発信履歴から「みちる」と表記された携帯番号へコールする。
《プルルルル・・・・プツン。
留守番電話サービスです。》
「でない。なんでだ?」
1分程のコール後留守電に繋がり、怪訝な表情で千秋は電源ボタンを軽く押し携帯を閉じた。
「ほんま忙しいんやろか。体調でも崩してないとええんやけど・・・。」
「どうかされたんですか?」
そんな2人のやり取りを遠めから見ていた星奏メンバーの1人、小日向かなでが心配気に話しかけてきた。
「あぁ・・・なんでもないんよ。ほな、横浜観光にくりだそか。」
彼女の気遣いに軽く笑顔で答る蓬生を横目で見つつ、千秋は軽くため息を吐いた。
どこへ行こう。
勢いのままに横浜行きの新幹線に乗り込み、無事新横浜駅へと到着した私は、改札をぬけ簡易的に設置された横浜観光マップの前で呆然と立ち尽くしていた。
何故なら、私は彼らの滞在先を知らなかった。
神戸の地でさえまともに1人で出歩いた事のない私。
遠出をする際は、必ず千秋か蓬生、それか家のお手伝いさんなどと一緒に行動をしていたため、自慢ではないが1人でこんな遠くに来たのは初めてだった。
千秋達に連絡をとり、駅まで迎えに来て貰う事が一番の解決策だという事はわかってはいた。
だが、横浜まで来た「理由」をどうするか私は悩んでいた。
素直に「婚約が嫌で家出をしてきた」とは、言えなかった。
言いたくなかった。
これ以上彼らとの距離をあけたくなくて。
まとまらない考えを悶々とめぐらせていた時、握りしめていた携帯からヴァイオリンのメロディーが流れる。
曲目は『交響詩 死の舞踏』。
千秋からの着信を知らせるその音に、しばし呆然と携帯を眺める。
どうしよう・・・。
出ようか、出まいか・・・。
ここは深く考えず、「パパの仕事の関係で横浜に来ている」と伝え、さり気なく彼らの滞在地をリサーチする、という案が一番無理なくしっくりきているように思う。
よし、この手でいこう!
そう決断つけた時は遅く、着信音はプツリと途切れてしまっていた。
折り返そうか悩んだが、結局私は彼らと連絡を取る事をやめた。
蓬生に会いたさにここまで来たと言うのに、いざとなると怖気づいてしまう。
迷惑じゃないかな・・・急に押しかけて・・・。
などと、今更ながら気になってしまって先へ進む事ができない。
そこが昔からの私の悪い癖だった。
「思っとることあるんなら、ちゃんと言わんとわからん。みちるの悪いとこや。」
自分の意見をはっきり言わない私に、よく千秋が言う言葉だった。
千秋は周りが驚くほど自分に正直な男だ。
プライドが高く、けっして弱みを他人に見せない。
派手で、自信家で、傲慢。
だけど何故か人は彼に惹きつけられる。
(ないものねだりなのかな。)
千秋は憧れだ。
揺ぎ無い自信と、好奇心のままに彼はあらゆる方面でアクティブだった。
(だからほうちゃんは千秋と一緒にいるんだろうな。)
蓬生もどちらかと言うと、自身の意見を前面に言い出すタイプではない。
私もそうだが、千秋のように自己主張の強い相手が側にいるのはとても楽なのだ。
(何も・・・考えなくていいから。)
はっきりとした意見も持てず、他人に流されるままの日々だったように思える。
母を亡くし、悲しむ父を無下にはできず、言われるままに家に閉じこもって、学校も父の意向でエスカレーター式の神南に通った。
登下校は車での送迎だったため、同級生と並んで帰って放課後に買い物をしたり、遅くまで学校に残っておしゃべりをしたり、そんな事はできなかった。
その為か・・・いや、私の性格もあるが、気の許せる女友達を作ることができなかった。
だけど・・・千秋と蓬生がいたから苦にはならなかった。
学校に行けば彼らは居たから。
「そう・・・。」
そこまで考えて、私は初めてこの時気が付いた。
「私、初めてパパに反抗したんだ。」
気付き、言葉にした時、曇りかかっていた視界が一気にクリアになって、周りを行き交う人々の話し声や、通り過ぎて行く車の音、足音、全ての音がはっきりと聞こえてきた。
「うん。大丈夫!」
俯いていた視線を上げ、意気揚々と私は歩き出した。
駅をぬけ、外へ出たとき燦々と照りつける太陽と、真夏の青々とした空を眺め、よし!と気合を入れる。
私だって、ちゃんと意見を言えるし、ここまで1人で来れた。
だったらきっと、千秋達を見つける事だってできるはずだ。
「まずは情報よね。全国大会っていうだけあって、大きなホールとかで演奏するはずだから・・・よし!まずは会場を探そう!そしてそこで情報を手に入れよう!」
右も左もわからない横浜の街を、私は自信満々に歩き出す。
この時の私は、押しつぶされそうな不安を断ち切ろうと、必死だったように思える。
自分だってやればできるんだ。
それをただ証明したくて。
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