14.宿木
午前の演奏が終わり、大方の予想通り星奏学園と神南高校との一騎打ちとなった。
「午前の演奏・・・神南は手を抜いてきたな。」
星奏学園の控え室では、手を傷め大会に出場できない部長の代わりとしてまとめ役を引き受ける大地の周りにメンバーが集まり、午後の演奏に向けてミーティングを行っていた。
「ですが、我々だってこのままでは終わりません!」
大地の言葉に、一年生ながらチェリストとしてアンサンブルメンバーに加わる水嶋悠人が、金色の睫毛に縁取られた大きな瞳をキッと吊り上げ声を高々に言う。
「私・・・頑張れる・・・頑張れる・・・。」
そんなメンバーから少し離れた所で様子を見守っていた律は、小さな体をさらに丸め、両手を胸の前で合わせ自分を励ますかなでに気付く。
「お前なら大丈夫だ。自分を信じろ。」
そっと近寄り、震える肩を優しく触れた。
驚いた表情で見上げたかなでの表情は、すぐに満面の笑みへと変わる。
そんな闘志に燃える星奏学園の控え室とは打って変わり、神南控え室は芹沢睦の怒号の声が響いていた。
「しっかりして下さい!何ですか午前の演奏は!!」
「・・・・。」
「・・・・。」
二年生である芹沢が、三年生で、部活の先輩で、部の部長副部長を務める2人を、控え室の椅子に座らせ般若のような形相でしかりつけている。
「聞いてるんですか!」
「わかっとるよ。そんな怒らんでも・・・。」
ずれた眼鏡を白く細い中指で上げながら、もうかんべんと言わんばかりにゲンナリとした表情で蓬生が呟く。
千秋はブスっとしたふくれっ面で、足を組み頬杖をつきながらそっぽを向いている。
反省の色のない2人の先輩に、今度は芹沢がため息を吐く。
それは一瞬の事だった。
行方知れずの幼馴染に気を取られたせいなのか、どちらともなく演奏がずれたのだ。
それはほんの一瞬で、素人には聞き取れないくらい些細なミス。
それでも不本意なミスに違いはない。
これがほころびとなって午後の演奏に支障が出ては、何の為に自分達がここまで頑張ってきたのか意味を成さなくなる。
芹沢はそれが怖かった。
「おい、お前の携帯光ってるぞ。」
不安でいっぱいの芹沢を余所に、心配の種その1は暢気にテーブルの上に置かれたその2の携帯に知らせが着ている事を指し示す。
「ほんまや。みーちゃんやろか?」
千秋の言葉に急いで携帯をチェックする蓬生。
「留守電?知らん番号や。」
おもむろにその留守電を再生してみると。
《ほうちゃん?》
その声を耳にした瞬間、ドキっと心が震えた。
まるで電話の相手を確かめるような、語尾の上がった声で、自分を呼ぶ幼馴染の声だった。
《あのね、服が・・・汚れちゃって・・・今、着替えに帰ってるの。演奏・・・聴けなくてごめんなさい。でも!午後には絶対間に合わせるから!だから・・・だから頑張って!》
「みーちゃんや・・・。」
留守電を聞き終え、様子を窺う千秋を顔をジッと見る。
「俺にも聞かせろ。」
奪うように携帯を取り、怒りの表情を滲ませながら千秋が留守電に耳をすます。
「知らん番号や。携帯使えへんのやろか?」
「どうせこけたかなんかで服を汚したついでに、携帯も壊したのかもしれないな。」
「無事でホッとしたわ。」
「全くだな。俺達をこんなに心配させたんだ。これは演奏で返してやらないとな。」
「そやね。あ〜・・・なんか安心したら急にお腹空いてきたわ〜。千秋なんか食いに行かへん?」
「そうだな、さっさと食べて午後の演奏に備えるぞ。芹沢も来い。」
水を得た魚のごとく、先程までどんよりと沈んでいた空気は何処へ行ったのか、生き生きとした表情で控え室を出て行く先輩2人を呆れた表情で見送る芹沢。
今の芹沢の頭の中には、『部長副部長コンビ』<『幼馴染の彼女』という縮図が出来上がっていた。
「あれ?道間違えたやろか。」
人々が行き交う大通りに面したシックな装いのイタリアンレストランはとても繁盛していて、込み合う店内は予想通り席が満席で、違う店にしようという私の意見は十河の強い説得に阻まれ、仕方なく昼食に2時間近く時間を取られる結果となった。
込み合うだけあり、シェフお勧めアサリのシーフードパスタはさっぱりしていてとても美味しかったのだが・・・。
店内の壁にかけられた鳩時計を見れば、午後の2時を知らせるポッポーという電子音が午後の部の演奏も間に合わないと残酷に告げてくれた。
唯一の救いは昼食を食べ終え、何処に寄り道する事無く車が止まっているパーキングへと向かった事だ。
やっと帰れる・・・そう思い安心したのも束の間。首都高を30分程走らせたところで、どうやら十河(そごう)は道を間違えたらしい。
「ま、ええか。気の向くまま、水の流れるままに進むまでや!道なんてどこにだって続いてるんや!」
「そ、そんなの困ります!」
何処へ向かって走っているのかわかりもしないくせに、適当な事ばかり言う十河に心底嫌気がさす。
「そなこと言われたって。俺、横浜に来て間もないんよ。間違えても堪忍してや。」
ハンドルを握る十河の腕をお構い無しにバシバシ叩きながら抗議の言葉を言うと、少し怒ったのか、唇を突き出し膨れた表情で不満気に言い訳を口にした。
そしておもむろにシャツの胸ポケットからタバコの箱を取り出すと、手馴れた仕草で1本くわえ火を付け運転席の窓を少し開けた。
「夕都瑠(ゆづる)さんって関西の人ですよね?」
「そや。大阪生まれの神戸出身。」
「本当ですか!?私も神戸出身です!」
言葉使いからして関西出身だろうとは思っていたが、まさか同じ神戸という事に驚きと同時に親近感が一気に沸いた。
「ほんま?標準語やから気付かんかったわ。」
それは十河も同じだったようで、先程までのふくれっ面はどこへやら、薄っすらと笑みを浮かべチラリと私の顔を見る。
「それは・・・うちのパパが東京の人だったから。パパお婿さんなんです。」
父と母の馴れ初めについて詳しくは知らないが、大学時代の同級生で父に一目惚れした母が口説きに口説き落として結婚したのだと、今は亡き祖母より聞かされた事がある。
「それって、みちるちゃんのママが神戸の人やったってこと?」
「そうです。パパ関西言葉は馴染まないらしくて、家ではずっと標準語です。」
「ママはおるやろ。言葉うつらんかったん?」
「ママは・・・私が小さい頃に・・・。」
「あ〜!!!ゴメンな!辛い事聞いたな、忘れてや!」
母は幼い頃に亡くなったのだと話そうとした時、言葉の内容で察したのか、十河が慌てたように私の言葉を遮った。
「でも、あんたとおるとわかるわ。みちるちゃんは大切に育てられたんやろなって。」
急に落ち着いた声色で話す十河に、少しドキリとして私は彼の横顔をジッと見た。
「素直でまっすぐで、たおやかで、近頃の女子高生はもっとはっちゃけてるやろ?それに自分で言うのもなんやけど、一般的な常識あったらこんな見ず知らずの男の車に乗ったりせーへんよ?」
「そ・・・それは夕都瑠さんが・・・!」
無理矢理乗せられたんだ。そう言おうと思った時、まっすぐ走っていた車が左の道へとカーブを描いて下っていく。
「ごめんな。嘘や。ちゃんと横浜へ向かっとるから安心してな。」
そう言って、その後十河は口をつぐんでしまった。
なんだろう。
今まで明るかった車内がシンと静まりかえり、なんとも言えない気まずい雰囲気が漂う。
時々十河が「フー」とタバコの煙を吐く息だけがやけみ耳に付いた。
そのまま一言も言葉を交わす事無く菩提樹まで送って貰った。
すでに時刻は午後の6時を回ろうとしていた。
途中渋滞に巻き込まれて思うように車が進まなかったのだ。
どんなにポジティブに考えても大会はもう終わっているだろう。
置き忘れた携帯を使って、一度蓬生達と連絡を取りたかった。
寮の前に車を止め、エンジンをきると慣れたそぶりで運転席から降り、私が降りやすいように助席のドアを開けてくれた。
「あの、今日は色々とありがとうございました。」
車から降り深々と頭を下げ、私がお礼の言葉を口にすると、困ったようなそんなはにかんだ笑みを十河は浮かべた。
「お礼なんて言わんといて。下心ありありのナンパやったんやし。」
「・・・・・・・・そ・・・そうなんですか?」
悪びれることもなく、穏やかな声色で十河は言った。
「一目惚れって信じるタイプ?」
じっとりと生暖かい風が吹く。
夕日がビルの影へと消えてゆく。
切なそうに笑う彼の顔が夕日に照らされてよく見えない。
「あると・・・思います。だって、私の両親がそうですから。」
何故そんな事を聞くんだろう。
頭の片隅でそんな事を思いながら、蓬生ほど背の高い彼を見上げゆっくりと言葉にした。
「そう。俺と一緒や。」
言葉と同時に十河が大きく一歩前に出る。
伸ばされた腕が私の肩を抱いた。
「また、おうてくれる?」
「ゆ・・・夕都瑠さん!?」
「おうてくれる言わんと離さんで。」
「あ、会います!」
突然の抱擁に驚き、顔を赤く染め、戸惑う私は言われるままに返事をしてしまった。
「そ、ありがとう。」
返答に満足したのか、ニッコリと笑いポンポンと私の頭を優しく撫でた後、十河は車に乗り込み走り去ってしまった。
嵐の様な人だと思った。
呆然と車が走り去った方向を眺めていると、いつの間にかあたりは暗くなっていた。
周りをクルクル見渡し、どれくらいの時間寮の前で呆けていたのか、弾かれたように急いで自分に割り当てられた部屋へと駆け、照明も付けず薄暗い部屋の中へと入る。
そして急いでベッドサイドのコンセントに差し込まれた充電器の線を手繰り寄せ、繋がれたままの携帯を開いた。
「うひゃぁ!?」
時刻を確認する前に、50件近い不在着信に思わず驚きの声を発してしまった。
同じような件名のメールも何件か入っていて、どれも千秋と蓬生からだった。
「ど・・・どうしよう・・・凄く心配かけちゃったのかな・・・。」
罪悪感がじわりと心をしめ付けたとき。
みーちゃん、今どこにおるん。
ふとあの時の蓬生の言葉が頭に浮かんだ。
みーちゃんどこにもおらんよ。
頭に響く大好きな彼の切ない声。
携帯の着信履歴をみれば彼の名前で埋め尽くされている。
私・・・何やってんだろう。
メール文を開けば千秋のお叱りの文面とともに、私の身を案じる蓬生からの言葉が何件が入っていた。
今すぐ蓬生のところへ行こう!
そう思い携帯を握りしめて駆け出そうとした時。
ドン!
空気を振るわせる大きな爆発音と共に、一瞬暗い部屋の中が明るくなった。
そや、今日花火大会なんやて。終わったら一緒に見よな。
「花火・・・終わっちゃう・・・!」
私は夜空に咲く大輪の花に目もくれず、ただ携帯だけを握りしめ彼らが待つみなとみらいホールへと駆け出した。
彼の移り香をその身にまといながら-----------。
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