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13.蛾の火に赴くが如し








言われるままに乗り込んでしまった見ず知らずの男の車。

私がもう少し、意思表示ができる人間で、人並みに警戒心を持った人間であったら、こんな過ちを犯す事はなかったのかもしれない。

白地のワンピースにくっきり残る茶色いコーヒーのシミを忌々しく思いながら小さくため息をつく。

千秋と蓬生は心配してないだろうか。

ふとそう思い、おもむろに膝に乗せていたバッグの中に手を入れて携帯電話を探る。

財布にポーチ、それと携帯電話をバッグの中に入れたはずなのだが、探しても探しても白兎のストラップがついたピンク色の携帯電話が見つからない。

あれ?確かにバッグに入れたと思ったんだけど・・・。

「あっ!?」

「どないしたん?」

急に声を上げた私に、ハンドルを握る男が驚いた表情で私を見た。

そしてその男の顔を愕然とした表情で私が見返す。

「携帯電話・・・充電器にさしっぱなしにしちゃった・・・。」

朝起きて確認した時、電池の残量が後わずかしか無かった為充電させていた事を思い出す。

千秋とあんな事があって、少々パニックになっていた私は、携帯の事なんかすっかり忘れていた。

「そなら、俺の携帯かすけど?誰かに連絡すんのやろ?」

そう言って、男がドリンクホルダーの中へ置いていた自分のiPhoneを取り出し、私の方へ差し出してきた。

「い・・いいんですか?」

「えぇって。俺が無理矢理誘ったもんやし、よぅ考えたら誰かと一緒に来とったんやろ。その人に何も言わず来てしもうた訳や、君の事探しとるかもしれんな。」

目の前の信号機が黄色から赤に変わり、男がゆっくりブレーキを踏む。

呆然と差し出されたiPhoneを眺めていた私の右手をとり、穏やかに微笑みながらそれを私の手の平に乗せ前を向いた。

目の前の横断歩道を多くの人が行き交う様子を見ながら、男が一枚の名刺をシャツの胸ポケットから取り出しiPhoneの液晶画面にそれを乗せる。

「俺の名前は『十河 夕都瑠(そごう ゆづる)』。メッチャ当て字やろ?」

そう言ってはにかんだ笑みを見せる十河に促されるまま、名刺に書かれた名前の漢字を見て、思わず私は噴出してしまった。

確かに、ルビがふってなかったら到底読めそうに無い。

「やっと笑ったな。ほんま君はかわええお嬢さんだ。」

柔らかい声で彼がそう言った。

私はその言葉にハッとして、彼の横顔をジッと見た。

どこかで・・・・似たような言葉を言われた事がある。

そう思ったのだ。



「やっと笑ったな。ほんまみーちゃんはかわええな。」



ほうちゃん・・・。

横浜に来て初めての夜、蓬生はそう言って笑った。

見上げた信号が、赤から青に変わり車がゆっくりと走り出す。

通り過ぎて行く風景をぼんやりと見ながら、ふと浮かんだ彼の笑みを思い出し、心の奥から沸々と湧き上がる後悔の気持ちで心が押し潰されそうだった。

そして、たまたま信号待ちをしていた横断歩道を同じ寮に住まう、星奏学園普通科の支倉仁亜が通りかかり、私達の様子を持っていたデジカメで撮られていたなんて、この時の私は気付きもしなかった。







「いたか?」

「おらんわ、ほんまみーちゃん何処にいったんやろ。」

一方、みなとみらいホールでは、姿を消した幼馴染を懸命に探す千秋と蓬生がいた。

「携帯にもでーへんし・・・何かあったんやろか。」

珍しく額に汗を滲ませた蓬生が、己の携帯を耳にあて、何度かけても繋がらない携帯に電話をかける。

「みーちゃんかわええから、ナンパとかされて、どっか連れてかれたんとちがう?」

プツリとコール音が切れ、続いて無機質な女性の声で、留守番電話サービスですという音声が入る。

蓬生はため息をついて通話を切った。

「まさか、あんな色気も微塵も無いみちるをナンパする物好きなんか・・・。」

蓬生の言葉に、怪訝な表情を浮かべる千秋であったが、今朝みた衝撃的な光景がフラッシュバックして脳裏に蘇る。

西側に設けられた女子寮は、天気のいい日といえど、太陽の光りが届きにくい。

ドアを開けてまず目に飛び込んできたのは、薄暗い部屋の中でもハッキリと見える真っ白でキレイな曲線。

背中から腰にかけて女性独特のくっきりとくびれた肢体が目を惹いた。

さらに視線を下げると、まさに桃のような丸いヒップラインがあって、華奢でありながら触り心地よさそうな、ほど良く脂肪がついた足が・・・・。

「千秋・・・・今、何考えてたん?顔真っ赤やで。」

長年傍に居た幼馴染の予想もしていなかった服の中身を思い出してしまい、狼狽する千秋。

「な、何でもあらへん!」

「動揺しすぎて、言葉でとるで。」

先程よりも深くため息をついて、蓬生は苛立つ気持ちを押さえるように頭をかいた。

ふと腕時計を見ると、自分達がステージに立つ15分前を刻んでいた。

「あかん。タイムリミットや。」

「もうそんな時間か。とりあえず俺達はステージに出て、探すのはまたその後だな。」


ほんま、みーちゃんどこへ行ってしもうたんや。


神戸ではこんなに不安に思うことなんてなかった。

箱入り娘の超お嬢様な幼馴染。

どこへ行くにも、送迎はお抱えの専属運転手が常に彼女の側にいて、彼女自身を守っていた。

逆に自分達がそういった彼らの標的にされ、邪険にあしらわれていたわけだが。

ここは横浜で、彼女を縛るものは何も無い。

そう、彼女は自由だった。

自由に気の向くままに、誰にも縛られず、気ままに大空を飛ぶ鳥のように。


あかんな・・・。


羽を切って、綺麗で豪奢な檻に何重にも鍵をかけて、閉じ込めてしまいたい。

そしてその檻の中で、自分だけその愛おしい鳥を眺めていたい。


沸々と湧き上がるどす黒い己の欲望に苦笑いがこぼれる。

それでは彼女の父親と同じになってしまう。

シックに黒でまとめられた愛用のヴァイオリンを手に取り、愛しい彼女から貰ったお守りを握りしめる。

鳥が自由に大空を飛べるのは、止まり木があるからだ。

自分は・・・・そんな存在であればいい。

今はそう、揺らぐ心に強く言い聞かせるしかなかった。








隣に十河が居る状態でなんて千秋達に説明したらいいのか思いつかず、渡されたiPhoneを握りしめてあーでもないこーでもないと悩んでいる内に、車は首都高速を走っていた。

どんどん横浜から離れ、あっという間に県を越えて、着いた先は表参道だった。

パーキングに車を止め、「電話せーへんの?」と言う十河の言葉に我に返る。

「あ、はい!します・・・えっと。」

促されて、借りたiPhoneのタッチパネルに蓬生の携帯番号を打ち込む。

普段は内蔵された電話帳機能で、直接番号を打ち込む事無く、メモリーされたデーターを読み込ませるだけで相手へ電話をかける事ができる。

つまり、電話番号を覚える必要性が無くなったわけだが、蓬生と千秋の番号だけはしっかりと頭にインプットされていた。


「俺と千秋の番号な、最後の四桁誕生日なんよ。覚えやすいやろ?」


2人にならい、私の携帯番号の下四桁も自分の誕生日にした。

数回のコールの後、蓬生の携帯から留守番電話サービスの音声が流れた。

演奏の途中なのかもしれない。

そう思った私は、留守電に「服が汚れたから着替えてくる」っといった旨を残した。

あくまで「ひとり」で、という事にして、十河と一緒に居る事はあえて伝えなかった。

「ほな行きますか?」

通話を切ってすぐ、十河が私の手をとり軽快に歩きだした。

着いた先は高そうな服ばかりが並ぶブランドショップで、私達が店の中に入ると、いらっしゃいませという言葉とともに背の高い一人の店員が近づいてきた。

「この子を飛び切り美人さんに仕立てて欲しい。ついでに今の服をクリーニングしといてな。」

「畏まりました。」

十河はそう言うと、私の体をずいっと店員の前に突き出した。

「え?えっとあの・・・。」

「大丈夫や、兄さんたんまりお金持っとるから心配いらへん。」

戸惑う私に、人差し指と親指で円を作りお金を表すジェスチャーをしながら十河はニッコリと笑った。

呆れる私を余所に、完璧な営業スマイルを見せる店員が、店の奥にある試着室へと誘導してくる。

ココまで着いて来てしまったのだから、無意味な抵抗は無駄だと観念し、私は先導されるままに試着室の中へと入る。

それから何点か店員が選んできた洋服を試着して、その中から一番気に入った白のシフォンブラウスとネイビーのスカートがドッキングされたワンピースを選んだ。

切り替えし部分に大き目のリボンが添えられているのが、フェミニンでとても可愛いと思ったからだ。

「よう似合っとるよ。」

その服を着て試着室より出てきた私に、満足そうな笑みを浮かべて十河が出迎える。

彼の口から出た言葉が、たまらなく蓬生を思い出させ、私はぎこちない笑みを作る事しかできなかった。

会計を済ませ、店を出た頃には時計の針が12時を過ぎていた。

遅くてもお昼前には蓬生達と合流できると思っていた私は、慌てて十河の腕を掴み、早く横浜へ帰ろうと催促をした。

「せっかくやし、お昼食べてからにしよ。俺、この近くに美味しいイタリアンのお店しっとるから。」

マイペースというか何というか・・・。

急かす私などお構い無しに、十河は車を止めているパーキングとは反対側の道を進んで行く。

「あ、あの!私帰ります!」

このまま彼のペースに飲み込まれてはいけない。

何故か強く不安を感じた私は、思い切って拒否の言葉を口にした。

汚れた服から、新しい服に着替える事もできた。

電車を乗り継げば、自力でも横浜へ帰る事ができる。

十河の連絡先が書かれている名刺も手元にある。

これ以上、彼と一緒にいる意味を感じなかった。

「あの!お洋服ありがとうございました!後で連絡しますので、クリーニングがすんだら教えて下さい!」

私はそれだけ言うと彼とは逆の道を歩き出す。

最寄の駅への道がどっちなのかわからなかったが、それは途中人に聞けばいいだけの話しで、取り合えず彼とは反対側の道へと進もうと思ったのだ。

「待って。」

3歩ほど歩いた所で、十河が私の手を掴み引き止めた。

「お願いや、もう少し傍にいて欲しい。」

今まで笑みばかり浮かべていた表情とは一変して、射抜くような真剣な目で私をジッと見る。

あの時と同じだ。

車に乗ろうか迷った時に見せた、有無を言わせない強い眼差し。

揺らぐ思いで彼の顔を無言で見上げていると、不意に十河の口角がニッと上がった。

そして・・・・。


「おいで、みちる。」


迷う私に止めを刺すように彼はゆっくりとそう言った。

この時、立っているだけでもじっとりと汗をかくような暑い日であったのに、私の背中をぞくぞくと震えるような悪寒が走った。

心の奥で警鐘が鳴る。

これ以上、彼と関わってはいけない。

そう、思うのに・・・・。

まるで体の自由を奪う魔術にでもかけられたかのように、思いとは裏腹に、私は差し出された彼の手を取ってしまった。






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