12.月に叢雲、花に風
今日は全国学生音楽コンクールセミファイナルの日です。
「よし、気合を入れよう。」
衣装ダンスの扉に取り付けられた姿見の前に下着姿で仁王立ちになる。
下着は薄いピンク地に濃い目の刺繍糸で蝶や小花などふんだんに入れ込まれ、ふちには白いレースがあしらわれた私のお気に入りの物だ。
勝負の時には勝負下着!これしかない。
後はその上に着る服だけれど・・・・気に入ってる服と言えばこの間大地に買って貰ったワンピースなんだけど・・・・どうしてか蓬生が気に入らない感じだったのでこれはやめよう。
そうだ!代わりに蓬生から買って貰ったシフォンワンピースがあった。
白いから汚してしまわないか怖くて着てなかったけど、せっかくだからこれを着て応援に行こう!
「よし!これに決めた!」
「おいみちる、俺達もう出るがお前は・・・・。」
やっと着る服が決まったと、ガッツポースをした瞬間、不意に部屋のドアが開き、同時に千秋の声が聞こえた。
何だろう、と思い、そのままドアの方へ振り返れば呆然と立ち尽くす千秋と目が合う。
「あ、おはよう千秋。」
部屋に入ろうと一歩足を踏み出したポーズのまま、ピクリとも動かなくなってしまった千秋に挨拶をする。
「どうしたの千秋?呆けた顔してるよ?」
一時停止ごとく全く微動だにしない千秋を心配し、彼に近づこうと私が動いた瞬間。
「わっ悪い!俺は何も見てない!!」
っと言って、先程とは打って変わって物凄いハイスピーディーにドアを閉めて出て行ってしまった。
「どうしたんだ・・・っ!?」
どうしたんだろう?そう思いふと姿見にうつる自分の姿を見て、千秋の様子を思い出す。
「い・・・・いやあぁぁあああ!!!」
下着姿を見られ、驚きと恥ずかしさとやりきれなさとか色々入り混じったどうしようもない感情を発散する様に、私は寮中に響くくらい大きな声で叫んだ。
その声を聞きつけた蓬生が、私の所へ行こうとしたのを、丁度すれ違った千秋に止めたらのは言うまでもない。
「千秋のバカ!」
「悪かった・・・・。」
「何でノックくらいしてくんなかったの!」
「悪かった・・・・。」
「反省してる?」
「してる。」
「ホントに!?」
「ホントだ、ホント。」
コンクールの会場となる、みなとみらいホールへと燦々と照りつける日差しの中徒歩で移動している私達。
千秋と芹沢が前を歩き、私と蓬生がその後を歩くといった感じだ。
前を歩く千秋の背中に、今朝のやり切れない憤りを私はブツブツネチネチ寮を出た所から話続けていた。
本当に反省しているようで、そんな私の愚痴に律儀に返事をする千秋であったが、延々と続く文句にさすがに嫌気がさしてきたのか、しおれた花の様に頭が垂れ下がってきた。
「さっきから何の話しとるの?」
最初、いつもの口喧嘩か?と思っていた蓬生であったが、言われたら言い返すあの千秋が一方的に言い包められている状況に疑問がよぎる。
「今朝のみーちゃんの叫びと関係しとんの?」
「聞いてよ!ほーちゃん!!」
「待て!絶対蓬生には話すな!!」
私が隣を歩く蓬生を見て、今朝の千秋の愚かな行動を話そうとすると、物凄い慌てようで千秋が止めに入ってきた。
「何でよ。」
「いいか、これから俺達は同じ大会に同じアンサンブルメンバーとして出場するんだ。いいか、アンサンブルってのはだな、気持ちを1つに・・・。」
「どないしたの?千秋。なんかやましい事でもしたん?」
右往左往しながら必死に話す千秋に、冷ややかな視線で蓬生が返す。
「するわけないだろ!お前じゃあるまいし。俺は只コイツの下着を・・・・!?」
「下着がどないしたん?」
「いや・・・あれは事故だったんだ、そうだろ、みちる!」
状況が今だ飲み込めず、頭の上にハテナマークを浮かべた蓬生が私の顔を覗き見る。
絶対話すな!と鋭い視線で威圧してくる千秋を華麗にかわし、私が話そうとした時、
「のんびり歩いてると調律の時間なくなりますよ。」
今まで私達の会話を傍観するばかりで、いるんだかいなんだかチョット空気になりかけた芹沢が唐突に促してきた。
これはありがたい助け舟、とでも思ったのか、千秋が「そうだったな」と何もなかったかのように意気揚々と歩き始めた。
「もう!」
「そう怒らんで。千秋動揺させて本番でヘマしたらみーちゃんのせいやで。」
「むぅ〜・・・・。」
逃げるように小さくなっていく千秋の背中を睨みながら私が唸ると、ええこええこっと言って蓬生が頭を優しく撫でてきた。
「そや、今日花火大会なんやて。終わったら一緒に見よな。」
そう言ってふんわりと蓬生が微笑んで私の右手を握った。
微笑む彼に少し頬を染めて、つられる様に私もニッコリ笑い頷いた。
本当に蓬生の笑顔は心をあったかくしてくれる。
災難な出来事もこれでキレイさっぱり忘れてしまおう、そう思ったんだけど、私の受難はこれで終わりではなかった。
会場となるみなとみらいホールに到着した私達を出迎えたのは、溢れんばかりに集まった女性達の歓声だった。
「千秋君よ!」
「蓬生君もいるわ!」
ワッと彼らに群がってくる女性達に圧倒されてしまって、私は歩みを止めてしまった。
「ほうちゃん、私別で入るよ・・・。」
蓬生と繋いでいた手を離し、私は俯きながらそう言った。
こういう場面で彼らと一緒にいては、彼女達に良く思われない事を昔の経験から身をもって私は知っていた。
「大丈夫やて、そないに気ぃ使わんでええよ。」
離した手を蓬生が掴み直す。
「ト・・・トイレ!そう、私トイレに行きたい!」
掴まれた手とは別の手で彼の手を払い、離れた隙に猛ダッシュでその場を離れた。
「どうしたんだ、みちるの奴は?」
その様子を見ていた千秋が、蓬生の方へと近づき問いかける。
「お手洗いやて。」
「あいつ1人で、トイレの場所わかるのか?」
「俺ついて行くわ。」
人込へと消えていく私の背中を見つめ、追いかけようとする蓬生の腕を千秋が掴む。
「とりあえず俺達はチューニングを済ませるぞ。本番までそう時間があるってわけじゃないんだ。」
「そやけど・・・。」
「何かあれば携帯に連絡してくるだろ。それか、メールで俺達の控え室教えとけばいいんじゃないか?」
不安はあったが、千秋が言っている事はもっともで、渋々承諾し重い足を会場の中へと向けた。
蓬生と別れた私は、何とか人込を回避しつつ会場内のトイレへとやって来た。
ここまで来る間に乱れてしまった髪形を鏡を見ながら手直ししていく。
「ねぇ、あの子と土岐君並ぶとどっちが本当の女の子かわからへんよな。」
「幼馴染ゆうても、四六時中一緒におんでもええんとちゃう?」
「あの子、鏡で自分の顔見たことあんのか?」
嫌な事を思い出してしまった。
中学校3年の時、ペンケースを机の中へ忘れて来てしまった事に気付き、放課後教室へ取りに行った先で聞いてしまった言葉。
名前が出ていたわけではない。
だけど、直感で自分のことだと思った。
そうか、自分はそんな風に見られているんだ。
ぼんやりとそんな事を思って、彼女達の居る教室には入らず家へと帰った。
それから少しでも彼らと居ても気落ちしないように、身だしなみに気をつけたり、ファッションの勉強したり、色々自分のできる範囲で努力をした。
そして何より、彼らの「とりまき」とは距離を取ろうと思った。
「落ち込んでも仕方ないのよ。パパが言ってたじゃない、女は愛嬌だって。」
鏡の向こうで沈んだ表情を見せる私。
唯一その事について相談した父が励ましてくれた言葉を思い出す。
よし、小さく気合を入れて、ショルダーバックの中からウサギのキャラクターが描かれた小さなポーチを取り出した。
ポーチの中には必要最低限のお化粧品が入っていて、そこから細かいラメの入った薄いピンクのグロスを取り出して唇にのせた。
「これで完璧。」
薄く頬にチークものせて満足すると、私は蓬生達と合流しようと急いでトイレを出た。
ドン!
「あ、ごめんなさい!」
トイレを出てすぐ、右に強い衝撃があたる。
人とぶつかったんだ。
そう思い反射的に私の口から謝罪の言葉が出ていた。
「いやぁ〜、謝んのはこっちの方や。」
関西言葉?
ふと聞こえた若い男の声に懐かしいニュアンスが混ざっていた。
誰だろう。神南の生徒だろうか。そんな事を思い相手の男を仰ぎ見ると、そこには背の高い、黒いタンクトップに白地のシャツをラフに羽織った黒縁眼鏡をかけた困った表情の男がいた。
雰囲気からいって私よりも幾分年上だと思われるその男の手には紙コップがあって。
「スマン!クリーニングして返すわ!」
「え?」
男の視線は先程から私の胸ばかり見ていて、何だろうなんて悠長な事を思いながら胸に手を当ててみると、じっとりと濡れた感触が手に伝わってきた。
嫌な予感がして見てみると、胸から腹にかけてべっとりと茶色の液体がシミを作っていた。
「チョット待ってな!ハンカチ・・・ハンカチは・・・。」
男が空いている手でポケットというポケットの中を探り出す。
「あ、あの大丈夫・・・ですから・・・。」
なんて言ったものの、蓬生から買って貰った真っ白のシフォンワンピ。
匂いからしてコーヒーと思われるそのシミで、おそらくもう着る事はできないだろう。
おろしたてのワンピ。
蓬生から買って貰ったワンピ。
今日は厄日なんだろうか・・・。何だか泣きたい気分になってきた。
こんなコーヒーシミの入った服では、とてもじゃないが今晩の花火を楽しめそうにない。
何より今日一日、コーヒーの臭いをさせて過さないといけないかと思うとそれだけで気持ちが沈んでいく。
「あきらめんは早いで!急ぐで!」
半分諦めモードでそんな事を思っていると、不意に私にコーヒーをかけた男が、私の手を掴んで何処かへ歩き出した。
「あ、あの、どこへ行くんですか?」
「クリーニング屋に、洋服屋や!外に車止めてあるんや!安心してな!」
グイグイと強い力に引かれ、否応無しに連れて行かれる私。
そんな私達の様子を、コンクールを見にロビーに集まっていた人達が不振そうに遠巻きに見ている。
め・・・目立ってる!?
恥ずかしさで私はそれ以上の抵抗は止め、大人しく男の後をついて行った。
連れて行かれた先は駐車場で、おもむろに男が穿いていたチノパンツのポケットから車のキーを取り出し、黒いスポーツカーの鍵を開ける。
男は助席のドアを開けると私に乗るよう促してきた。
「大丈夫や。ちゃんと弁償するって。」
「いえ・・・あの・・・でも・・・。」
このまま車に乗ってしまってもいいのだろうか。
不安になり男の顔をジッとみると、私の気持ちを知ってか否か、男はニコニコと笑顔を浮かべているだけだった。
「そのまんまは、嫌やろ?」
念を押すように、低音で心地の良い声が耳元で聞こえた。
「さ、乗ってや。」
少し太めの黒いフレーム眼鏡の奥で、薄い紫色の瞳が妖しく光る。
どうしてだろう。
この時の私は不安に思いながらもその男の車に乗ってしまった。
私達が乗った車が会場を離れた頃、コンクールの始まりを知らせるアナウンスがスピーカーより流れた。
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