不本意ながら肩を並べて歩く繁華街。 これがSさんとじゃなければ二次会でも、なんてことになったんだろうけど。 淡々と歩を進める駅までの道中、背中にゾクリとするものを感じた。 ──ああ、出た、今日も。 黒い影。 地面にべとりと張り付いている人型のそれに持ち主はいない。 光があろうがなかろうが漆黒を保つ影。 実像などなく、虚像のみの存在。 通行人に見えているのかいないのか、自然に避けられているけれどまじまじと眺める人も声をあげる人もいない。 「あれです!さっき私が話したやつ!」 「大きな声を出すな。恥じらいというものがないのかね。それとも私は耳が遠くなるほどの年齢だとでも?」 私の視線の先をちらりと見てから、Sさんはねちっこいい嫌味をくれた。 本当に何なんだろうねこの人。 普通の会話はできないのかね。 「ほら、あの自販機のところ!」 「指をさすな!」 Sさんだってうるさいじゃないか。 怖いんだろうか、怪談嫌いはそういうことだな。怖いなら恐いって言えばいいのに。恐いから怪談やめてーって。あはは。 お酒に溶けた思考。異変に気づくのには暫くの時間がかかった。 うるさくするなという忠告の意味を覚ったときには、もう、遅かった。 地面に張り付く漆黒の影。 手始めに鼻が盛り上がりだした。 音もたてずに膨らみだす影。 瞬きをする毎に変化は加速していく。 顔ができ、胸筋のあたりが盛り上がりだし、手足が大まかにでき、最後に細部が形作られる。 ひっ、と引き攣れた声が出そうになった私の口をSさんの手が塞いだ。 その表情は厳しく、影を睨むように見詰めている。 ああ、Sさんにも見えるのか。 役立たずの思考回路はまともに働かず、仰向けの姿勢のまま踵を基点として徐々に起き上がってくる影に何の対処法も思いついてくれなかった。 「ぼんやりするな**」 Sさんは私の手首を掴み、走り出した。 覚束ない足取りで必死についていこうとしたけれど、やっぱり引き摺られる形になってしまう。 ああ、靴の爪先削れちゃった。安物だけど気に入ってたのに。 「君ほど重い荷物もいないでしょうな!」 何でこの人あれだけ飲んでこれだけ走ってこんなに嫌味を思いつけるの? 細い路地に入り暫く走ると、Sさんは漸く足を止めた。 振り返っても影はいない。 まけたのか、そもそも追いかけてきていなかったのか。 「念のために言っておく。静かにしていろ」 息切れがひどくてそんな元気ありませんよ、と言ってやりたかったけど、私の喉はゼーゼーと鳴るばかりで声を出せる余地はなかった。 壁にはりついて角から少しだけ顔を出し大通り側を窺うSさんの姿がおかしくて、更に息が苦しくなる。 笑わせないでよもう。 へたりこんで必死に呼吸している私をSさんは一瞥し、何だか物凄い呆れ顔をしたけど、への字口から嫌味は出てこなかった。 「来た」 Sさんの言葉に身を乗り出して大通り側を見ようとしたら、もぐら叩きのように頭をばしりとやられた。 どうしてこんなに失礼が働けるのかね。 でも、この一瞬で、見えた。 影。 ゆらゆらと左右にゆれながら、一歩一歩確実に近づいていた。 「何なんですかあれ!」 「馬鹿者!静かにしていろと…」 20メートル程距離があった筈なのに。 角から黒で塗り潰された頭がひょいと覗いた。 真っ黒なのに、正面からじゃ凹凸も判断できないのに、私はその影が笑ったことを理解した。 本当に嬉しそうに、口角を限界以上に上げて、笑った。 壁に張り付き角から顔をだして様子を窺っていたせいでその笑い顔を目の前で見てしまったSさんはフリーズしてしまった。……かに見えたけれど、右手だけがそろそろと動いている。 ポケットの中を探り、棒のようなものゆっくりとを取りだ──え、あんな長いのがポケットに入ってたの?手品? 30センチ程の棒を抜き取ったSさんは、その先を素早く影に突きつけた。 「リディクラス!」 り、りディ?りディ何とかと強く言った瞬間、棒の先から閃光が放たれた! ぎゃあああ。 幽かな叫び声を残し、影は凄まじい光の中へと消えた。 「……霊能者だったんですね!そうか、だから『怪談なんてくだらない』って言ってたんだ!」 何だか物凄くうんざりした顔をしていたけど、Sさんは「似たようなものだ」と答えた。 この日から私はSさんに纏わりつき、様々な怪異を体験することとなった。 [*前へ] |