愛情の表現の仕方・後編 その2
その瞬間。どかどかと大きな音が遠くから聞こえてきた。その後、部屋の扉が大きく開かれる。
「そこまでにしていただきましょうか。」
よく聞きなれた声。何度その声が聞きたいと思っただろうか。ルークは半信半疑になりながら、そっと目を開いた。濡れた視界の端に映る、蜂蜜色の髪。ジェイド・カーティス。間違いなく、その人である。
「ジェイド!」
「待たせてしまってすみません、今助けます。」
ジェイドの言葉と共に、ジェイドの背後から飛び出す黄金色。ルークの上にのしかかる男の顔に容赦なく拳を叩きつけ、ベッドからずり降ろし、男の身体に自身の足を乗せた。一瞬の出来事であった。
「わりぃな。俺、喧嘩っ早いもんで。」
「て、店長!」
ケテルブルク店の店長、ピオニーである。ピオニーの下で呻き声をあげている男を、容赦なく踏みつけているようだ。驚いているルークの身体に、ふわりとジャンパーがかけられた。目に優しい蒼色が広がる。グランコクマの制服のジャンパーである。
「縄を外します。寒いでしょうが、それで我慢してください。」
ルークに声をかけたのは、事務所担当のディストである。ピオニーに殴られた際に落としたのだろうか、男が持っていたナイフを床から拾い上げ、それを使って縄を切った。外された後も手首と足首はぎりぎりと痛んだが、縛られているよりは断然良い。ルークはジャンパーを胸の位置で押さえながら、身体を起こした。すると、すっと伸ばされたジェイドの手。
「さぁ、帰りましょうか。」
にこりと微笑んだ笑みに、ルークの瞳からはぽろぽろと涙が零れ落ちた。ずっと逢いたかった。寂しかった。勝手に出て行ってごめんなさい。色々な言葉がルークの脳裏に浮かぶが、何一つとして口からは出なかった。ただ、涙を零すばかりで。ルークは両目をごしごしと擦ると、ジェイドの手を握った。少し冷たいけれど、温かさに満ちた、手であった。
「ち、くしょう…おまえら何者だよっ!俺の邪魔、しやがって…!」
「あなた、ネットがお得意のようなら、こんな名前をご存じではないですか?雪国三強、という名前を。」
床に這いつくばったままの男が声を荒げれば、反対に冷静なディストの声。雪国三強。男はどこかでその名を聞いたことがあるような気がしつつも、なんだそれ、と声をあげた。
「おやー、ご存じないのですか?私達、これでも若い頃は結構有名だと思ってたんですがね。」
「あぁ、あの頃は楽しかったなー。」
「貴方が馬鹿な事をやってくださるおかげで、とても楽しい青春時代を過ごすことができましたよー。」
「何言ってやがる、俺がハッキングしてみたい、って言ったら、お前だってノリノリだったじゃないか。」
にこやかに会話を続けるジェイドとピオニー、ディストはやれやれ、といった顔で二人の会話を聞いていた。その会話の意味がわからないルークはぽかん、とするだけであったが、ピオニーに踏みつぶされたままの男は違うようだ。顔がいつの間にか真っ青で、震えているようにも見えた。
「あんたら…あの雪国の悪魔かっ!」
雪国の悪魔、またの名を雪国三強。言われようは様々であるが、彼ら自身が好き好んで使うのは雪国三強という名称である。まだ彼らが若かりし頃、およそ十年ほど前。幼かったルークが知る由もないのだが、彼らの悪名は一時期世界にまで響き渡った程である。悪だくみを思いつくのがピオニー、計画を立てるのがジェイド、主な実行役はディストというようにそれぞれに合わせてうまく仕事が分担され、ネット上ではいつも話題を呼んでいた。今回ルークの居場所を素早く掴んだのも、彼らだからこそ、である。もっとも、何かの時の為にとルークの携帯に発信機が仕込んであったのは、ルークには言えない彼らだけの秘密であるが。
「敵に回す奴を間違えたな、お前。次からはちゃんと確認するといいぞ。」
ピオニーはいつもとは違う邪悪な笑みを浮かべると、男から足をどけた。
「もうじき警察が来る。警察にも俺の知り合いがいてな、言い訳をしたって無駄だぜ。」
「畜生…。」
諦めたのか、男はピオニーの足がどいた今でも、起き上る事はなかった。それを横目に見ていたジェイドは、ルークの手を引っ張り自身の身体に引き寄せた。
「ピオニー、私はルークを連れて先に帰ります。すみませんが、後の事は頼みます。」
「あぁ、わかった。」
ジェイドの胸に飛び込む形となったルークは、ジェイドにエスコートされるがままに部屋を出た。後でピオニーとディストにお礼を言わなければ、と思っていると、玄関から外に出たところでジェイドの歩みが止まった。不思議に思ったルークは顔を上げようとするが、それより先にジェイドの胸が自身の顔に押し付けられるのが先であった。
「わっ、じぇ、いど…。」
「心配しました。本当に、心配したんですからね。」
「…ごめん。」
ルークを抱きしめているジェイドに応えるように、ルークもまた、ジェイドの背に手を回した。その動作が自然であることに、緊張感から解放された二人はわかっていなかった。
「さぁ、帰りましょうか。」
その言葉と共に、ジェイドがルークから離れた。それを少し寂しく思いながらも、いつの間にか自身の手にそっと添えられていたジェイドの手に気付き、そっと握り返した。もう離れたくないと、そう思いながら。
ジェイド達が帰った後、すぐに警察だと名乗る青年が現れた。ディストとピオニーは緑色の髪の青年に男を引き渡し、飲み直すべく早々に引き上げた。その判断は間違っているとも、間違っていないとも言える。その場にいれば、ルークとルークに関わる大きな物語の一端を垣間見ることができたのだが、その場から生きて帰れるとも言い切れない。そう、やってきた男は警察ではなかった。
「あーあ、まったく。折角手を貸してあげたってのに、失敗したんだね。」
少年のような悪戯っぽい笑み、しかしそれに反して笑っていない瞳が、男を見据えた。ルークを自身のものにすることが叶わず全てを諦めていた男は、目の前の青年が取りだしたものに目を見開いた。黒く光る銃口が、男の額に添えられた。
「どっちにしろ、ボクには関係のないことだ。ボクはキミにご褒美をあげてこい、って言われてただけだし。」
「やっ、やめ、やめてくれっ、やめっ…!!」
銃声。男の生涯は、目的を達成することなく終わりを告げる。青年は目を見開いたまま死んでいる男の手に、男を殺した拳銃を握らせ部屋を後にした。途中パトカーとすれ違うが、闇夜に溶け込む青年に警察が気付くことはなかった。
ジェイドの家について初めて、二人は自身がとんでもないことをしていたことに気付いた。抱きしめ合ったり、手を繋いで帰ったり。まるで恋人のようではないかと。玄関の前に立ち、鍵を開けようとジェイドが手を話した瞬間のことであった。ジェイドは鍵を取り出す前に思わず手を口元へと押さえた。ルークも顔を真っ赤にし、思わずジェイドに背を向けた。気まずい空気が流れる。それを最初に打ち破ったのは、ルークの声であった。
「あ!!」
気まずい雰囲気が無くなったことは二人にとっては幸いであったが、内容的にはあまり良いものとは言えない。
「お、俺、鍵…鍵!」
「どうしました?」
「えっと、色々あって…。と、とりあえず俺、ジェイドの家の鍵、あの家に置いてきちゃってるかも!」
ルークはそう言って、自身のズボンのポケットを漁るが、鞄などはあの家に置き去りにしてしまった為、ポケットにある可能性は少なかった。それでも、大切なものである。ルークはどうしたらよいかとおろおろし始めた。その様子を見ていたジェイドは、くすりと笑みを零すと、くしゃくしゃとルークの髪を撫でた。
「大丈夫ですよ。おそらくピオニー達が回収してくれているでしょう。もし失くしてしまったとしても、鍵を変えればいいだけの話です。」
「そ、そっか。そう、だよな…。」
一度は安心したルークであったが、その表情はすぐに暗いものへと変わった。
「…他に、何か心配ごとでも?」
「ん…。その、事件も解決したし、俺がジェイドの家に住む必要は、もうないのかな…と思って、さ。」
その言葉に、ジェイドは目を見開いた。確かに、鍵をいきなり渡したのはあまりにも遠まわしな表現ではあったと思っているし、今回の事件がなければ一緒に暮らすこともなかっただろう。それでも、様々な形でルークにアプローチはしてきたつもりだし、早いとは思いつつもなるべく思っていることを表現できるようにはしてきたつもりである。あくまで、つもり、であるが。ジェイドはどうしたものかと思いながら、目の前で暗い表情をしているルークを見た。どうしたら、この表情を幸せなものにできるのだろうか。
「…ルーク。」
「ん?」
ジェイドの顔を見ようとルークが顔を上げた時であった。唇に触れた、柔らかなもの。眼前に広がる、ジェイドの顔。一瞬の事であった。
「ルーク、好きです。…これからもずっと、一緒に暮らしていただけませんか。」
それは、不器用ながらも、最大の愛情の表現であった。
2009/11/28 ゆきがた
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