03 「あ、あの、ごめんなさい!」 慌ててモニカは後ずさった。 「あ、あたし、あなたがここに寝ているなんて知らなかったの!」 「知らなかった、だと?」 馬鹿にしたような荒々しい声が、廊下にこだました。黒い影が音もなく近づいてくる。 「この屋敷の中でここがどこに通じる道か、知らないやつはいないはずだ。 ……お前、外から来たな?」 モニカは恐怖にかられ、ずるずると後退した。よろめいた拍子に、指先が冷たい壁に触れる。 もう後がない。 猛獣は壁際までモニカを追いつめた。濡れた肌に気配を感じるほど、その距離は近い。 虎が、意地悪く覗き込むのがわかった。 「侵入者は自由にしていい決まりだ」 やすりのようにざらついた声が、目の前で囁いた。ぎょっとして顔をあげると、冷たい眼差しとぶつかった。 むせかえるような酒の匂いが漂う。モニカは思わず顔を反らした。爪先立ちになって、できるだけ背中を壁に押しつける。 見下ろす緑の眼は、怒りに燃えていた。 「待って」 震える声で、彼女は言った。 「尻尾を踏んだことは、謝るわ。本当にごめんなさい。 でも、侵入者ってなに?そりゃあ勝手に入ったのは悪かったけど、ドアは開いてたのよ?」 「開いていただと?」 その言葉に、虎がわずかに反応した。のばしかけていた前脚が降ろされる。モニカは急いで続けた。 「そうよ。鍵がかかってなかったわ。簡単に開いた。だからあたし、雨宿りさせてもらおうと思って、それで」 「ガーゴイルどもは何をしている!」 突然、虎が大声をあげた。そのあまりの激しさに、モニカは飛び上がった。虎は勢いのままに悪態をついている。 「やつらの目は節穴か?こんな汚い娘を屋敷に招き入れるとは!あの馬鹿どもはまったく使えん……」 そこで思い出したように、緑の双眸が少女に向けられた。モニカはぎょっとして固まった。いやな予感がする。 首を振って、虎はこちらに向き直った。 「……まぁいい、いまはお前からだ。泥の匂いが酷いが、石像よりはましだろう」 「………………」 モニカの小さなおでこを、雫が滑り落ちた。虎の眼は飢えている。心臓の音だって、向こうへは筒抜けにちがいない。 最後にひとつ、モニカは自分でも愚かだと思う質問をした。 「ねぇ、もしかして……あたしを食べる気?」 そのとき、初めて虎が愉快そうに答えた。 「俺は虎だぞ。 鼻先の獲物をみすみす逃がすと思うか?」 思わない、と、モニカも思った。 虎が親切にエスコートしてくれるというのも、滑稽な話だ。 モニカは唇を噛み、目を閉じた。逃げられるわけがない。一瞬でケリがつく。 この虎が、慈悲深ければの話だが。 [back][next] [戻る] |