【創作・物語】釵


 碧天の下、湖面を覗く女がいた。
 鏡水が映したる面持ちは暗鬱としており、遺恨が晴れぬ様だ。
 その緇髪(かみ)には彼が残したそれが挿されており、女は思わずその指で触れる。
 そうして眉根を寄せると、胸中で呟く。
 これさえ無ければ忘るる事も叶ったであろうに、と。
 だが、この女はそれを打ち捨て忘るる事も、掌中で転がし想いに耽る事もせず。
 ただ彼を思い起こしては、己を責めるのみで。
 女は赦せぬのだ、かつての己を。

 そう。これを打ち捨てられぬ所以は、己への戒めであるからだ。



 鏡水が映したる己の姿は、何とも惨めなものである。
 だが、この姿を映したるのがもし彼の瞳ならば、今一度心底より笑む事ができたであろう。
 そう思うと嗤笑しかできぬ。
 そうしてその頬を伝う露の存在を知るや否や、女はなす術も無くその場に崩れ落ちた。
 後に残るのは、悔いのみ。


 形見こそ 今は仇なれ これなくは
 忘るる時も あらましものを




※形見→釵(さい)。かんざし、二股の髪飾り。

※仇 →ここでは『相手を恨むのではなく、己を恨んでいる』と解釈


形見こそ 今は仇なれ これなくは
忘るる時も あらましものを

「古今和歌集」 巻第十四 恋歌四 746
題知らず 読み人知らず




授業で提出したものです。
和歌をモチーフに恋物語を書く…というものでした。
時代設定や解釈など、自由に創作して良いとの事で、好きに書きました。

歌の大体の意味は「貴方の形見が、今は恨めしい。これさえ無ければ、忘れる事ができただろうに」という感じです。
先述しましたが、創作した物語では解釈が異なります。


※この物語は私、琳玲のぼるが一人で創作しましたが、色々あって授業では琳玲・呉藍・草芥の連名で提出しました。

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あきゅろす。
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