「記憶喪失?」

ハボック、ホークアイ中尉、アルフォンスまで巻き込んで調べた結果がこれだ。
これは冗談で笑った方がいいのかと一瞬考えたが、三人の表情(アルフォンスは表情ではなく纏っている空気と言えばいいだろうか)は真剣そのもので、それが冗談などではなく、事実だと物語っている。

「忘れているのは大佐と付き合っているということだけで、他は問題ありません」

なんだそれは。そんな中途半端な記憶喪失なんてあるのか?
信じられる訳がない。
だが、これが事実だとするならば、この間の鋼のの態度も納得できるものだとは思う。

「そんな記憶の失い方があるのか?」

全ての記憶や一定期間の記憶が無くなるというのは聞いたことがある。しかし私と付き合っていたことだけなんていう、そんな部分的な喪失なんてあるものなのか?
いっそドッキリでしたと言ってくれた方がいい。

「医師の話ではありえると。外傷などがないならば、精神的にショックなことがあった可能性が高く、忘れたいと強く思ったのではないかとのことです」

「つまりは自ら忘れたいと思ったということか?」

「推測ではありますが、その可能性があるかと」

何故私と付き合っていたことを忘れたいんだ?嫌いになった?ならばそう言えばいいではないか。それとも、それすら嫌な程嫌われてしまったのか?
恋人という事実を忘れられた悲しさと苛立ちが混ざり合う。
本当に全て忘れてしまったのか確かめる為にも、一度話しをするべきだろう。

「鋼のと話しをしてくる」

「わかりました。ですが、あまり強い刺激を与えないように気を付けてください」

「わかっている」

立ち上がった私の前に、今まで黙っていたアルフォンスが立ちふさがる。まさかここでアルフォンスに止められるとは思っていなくて、少し驚いた。

「兄さん…いえ、姉さんの様子がおかしくなったのは、大佐に会いに行ってからです。もし思い出しても悲しませるだけなら、ボクはこのまま忘れた方が姉さんの為になると思ってます」

思い当たる節がないとはいえ、今回のことは確実に私が原因なのは確かだ。
それに忘れたのは私と付き合っていたということだけ。思い出さなくても、彼ら姉弟の旅には何も支障はない。寧ろ私のことなど気にせず旅をしていられるだろう。

「確かに私と付き合ってることなど忘れた方がいいかもしれない…だが私は諦められないんだよ」

すまないね、とアルフォンスの腕をポンと叩き、私は鋼のの元へと向かった。


図書館の一番奥の席。予想とぴたりと一致する場所に彼女はいた。
文献に集中しているようで、私が来たことには気付く様子もない。
あと数歩で手が届く場所に来て、ぴたりと足を止める。勢いで来たはいいが、何を話したらいいのかわからない。今の鋼のからしたら、私はただの上司だ。しかも好きか嫌いかと問われたら、嫌いだと言われるだろう。そんな奴が突然現れてもいい顔をする訳がない。かと言って、アルフォンスに諦められないと言って出て来たのに、このまま何もせずまた司令部へと引き返すこともできない。

「…鋼の」

意を決して鋼のの肩を叩いて呼べば、明らかに不機嫌と言わんばかりの顔をこちらに向けてくる。
冷たい視線。
こんな視線を彼女から向けられるのは、随分と久しぶりのことだ。いや、昔より嫌われているかもしれないな。
本当に忘れてしまったんだなということを、実感する。

「読書の最中すまないが、少し話があるんだ」

「オレにはない」

冷たく言い切ってまた本へと視線を向ける。
かもなんてレベルじゃなかったな。確実に嫌われている。
彼女の態度には苦笑を浮かべるしかなかった。

「なら私の独り言だとでも思ってくれ」

返事はないが、聞いていてくれるに違いない。
彼女はそういう子だ。
隣の席に座り、うるさくない程度の声で話す。

「信じられないかもしれないが、君は一部の記憶を失っている。だがそれがなくても君にはなんら問題ないはないし、かえって忘れてしまった方がいいのかもしれない」

アルフォンスには諦められないなんて言ったが、彼の言う通り私は彼女を悲しませてばかりだ。私と付き合っていて、幸せだったのかもわからない。

「だけど私は…寂しいよ」

ただの我が儘だ。

「長い間引き止めてしまってすまなかったね。もう旅を続けてくれて構わないよ。気を付けていってらっしゃい」

それだけ言ってその場を去った。
本当は何故忘れたんだと問いたい。忘れられても好きなんだと、強く抱き締めたかった。

次の日、姉弟が旅に出たと部下から報告を受けた。
これで数ヶ月は顔を合わせることもない。
数ヶ月のうち、僅か一日でも私を思い出してくれる日はきっとないだろう。
それでも私は、ずっと君のことを思っているよ。





『寂しいよ』

チラリと横目で見た時に見えた、酷く苦しそうな顔。
あの時の大佐の声と顔が、頭から離れない。
大佐の話しが本当なら、俺は一部の記憶がないらしい。旅の途中で会った人の顔を名前も思い出せるのに、記憶の一部が無いなんて俄かに信じがたいが、こんなにも大佐のことが頭にチラつくのは、そのせいなのか?

「なんなんだよ…」

イライラする。
ボスッと殴った枕がオレの心の中を表すように、いびつに歪む。
やっと旅を再開できたのに、オレの心はまだイーストシティに残ったままだ。

「姉さん…もう一回大佐と話してきたら?今のままじゃ何も手につかないでしょ?」

「話してこいって…まだ旅再開してから一週間しか経ってないぞ?」

「だからってこのまま旅を続けたって、何も集中できないんじゃ意味ないよ。それにちゃんと寝れてないみたいだし、体壊しちゃったら余計に旅なんて続けられないよ?」

アルの言う通りだ。
もし今何か新しい発見があったとしても、全く頭が回らない。
夜だって大佐のことばっかり思い出して、なかなか寝付けない。
目の下の隈は日に日に濃くなる一方だ。
でも会いに行ったって、何を話していいかわからない。自分でもなんでこんなに大佐のことばっかり考えてるのかわからないんだ。

「会いに行こう。ね?」

本気で心配してくれているアルに、オレは頷くことしかできなかった。

次の日、列車に乗ってイーストシティに着いた頃には、夜になっていた。
夜勤でもない限りきっと家に帰っているか、大佐のことだからデートしてるかもしれない。
そう考えたらツキリと胸が痛くなった。痛みの意味がわからなくて、眉間に皺が寄る。
そして何より驚いたのが、自分が大佐の家を知っていたことだ。今まで行った記憶もなければ、場所を聞いた記憶もない。それなのに体は覚えているということなのか、不思議と自然に足が向かった。
正直にこれには、自分の忘れている何かがあるんだと、はっきりと痛感させられた。
もう自分が何に苛立っているのかもわからないような状態で、チャイムを押す。部屋の明かりはついているから、出掛けてたり、寝てたりはしていないはずだ。誰か先客がいたらまた出直せばいい。
玄関に人が来た気配がしたが扉が開かない。きっと突然の思わぬ客の訪問に、さぞ困惑していることだろう。
開かれた扉から見えた大佐の顔は、予想通り困惑と驚きの表情だった。

「…旅に出たのではなかったのかね?」

「大佐に話がある。今平気?無理なら出直すけど」

大佐の質問を無視するように、自分の用件を伝える。

「何も無いが上がってくれ」

スッと開けられたスペースから、家の中へと入る。
初めて来たはずなのに、何故だか感じる懐かしさ。それに案内されなくてもわかる間取り。
リビングのソファに座らされ待っていれば、ふわりと甘い匂いがし、テーブルにココアが置かれる。大佐にココアなんて何だか似合わなくて、笑える。

「大佐の家にココアがあるなんて意外。飲むの?」

「いや、私は飲まないよ。これは…」

変なところで切られる返事。
飲まないのに用意されてるココア。あぁ、これはきっと…

「彼女用?家に入れるくらいだしうまくいってんだ。可愛い人だったもんな」

大佐が女の人を家に上げるのは珍しい。自分のテリトリーに他人(部下は別だと思うが)を入れるのを嫌ってたはずだし、よっぽどいい関係ななんだろう。

「誰のことを言っているんだね?」

「この前一緒に歩いてただろ。甘栗色の髪の可愛い女の人と一緒にホテル出入りしてたの見たぞ」

自分で言ってて胸が苦しくなる。これじゃあまるで、大佐に恋してるみたいじゃないかよ。
自分の心境を誤魔化すようにココアを飲んだ。オレ好みの丁度いい濃さのココアが、少しだけ心を落ち着かせてくれる。

「いつ見たんだね?」

「東方司令部に行った日と前の日」

そういえばなんで帰って来た日に東方司令部に行かなかったんだ?確か朝早くに帰って来て、一度向かったはずだ。あの日オレは何をしていた?

「彼女は恋人ではないよ。酷いストーカー被害を受けてた女性だ。恋人のフリをしながら護衛をしてたんだ。もう犯人は捕まったから問題ないがな」

「そう…なんだ」

恋人じゃないと聞いてホッとしる自分がいる。
ならこのココアはなんなんだ。

「ヤキモチでも妬いてくれたのかい?」

「んな訳ねーだろ。なんでオレがヤキモチ妬かなきゃなんねえんだよ」

冗談だと笑う大佐の表情には、ただからかっただけだというのとは他に、違う意味を含んでいるようにも見えた。
それが何なのかまではオレにはわかんねえけど。
コーヒーを一口飲んだ大佐が、真面目な顔に戻る。

「それで私に話とは?」

「大佐はオレが何の記憶を失ったか知ってんだろ?あんたはオレに記憶がないのは寂しいって言った。ってことは失った記憶は大佐に関係してることだ。違うか?」

「あぁ。確かに君の言う通りだ。だが私から話を聞いてどうする?運良く思い出せればいいが、思い出せなければただの知識として残るだけだ。それなら知らない方がいいし、私としてもその方がいい」

大佐の言うように、思い出せなくても、普段の生活にはなんの支障はない記憶だ。
一番関わっているであろう人物が言うくらいだ。何も聞かない方がいいのかもしれない。

「それでもオレは何を忘れたのか…大佐がなんでそんな顔すんのか知りたい」

真っ直ぐに大佐を見て言えば、ため息を吐かれた。そんな呆れられる程変なことを言ったか?知らない自分の記憶があるなら、知りたいと思うのは普通なことだろ。
それで大佐に迷惑が掛かるのは、少し申し訳ないとも思うが、そもそもこんなに考えるはめになったのは大佐が原因で、おあいこさまだ。

「挑発したのは君だからな」

「え?」

突然隣に来て手を向けてきたから、殴られるのかと思って、ギュッと目を瞑って身構えた。
だけど痛みはこなくて、出された手で顔を掴まれ、感じたのは唇に感じるぬくもり。
驚いて目を開ければ、睫が数えられる程の近さに大佐の顔があった。
無理やり侵入してきた舌が、執拗に口の中を動き回る。抵抗してもいい立場なのに、嫌だと思うどころか、嬉しさを感じている。ゆっくり目を閉じ、キスに応え腕を回す。

「好きだよ、エドワード」

繰り返されるキス。優しく愛撫される体。暖かい大佐の手が、凄く心地が良くて、流されるままだった。
自分のじゃないような声が出ても気にならなかった。
大佐の艶のある息遣い、がっしりした体、中に感じる熱さ。
全てが愛おしく思えた。



夢を見た。
大佐と女の人がホテルに入って行く。それを見たオレは、大佐を好きにならなければ良かったのにと、いっそ好きになる前に戻れたらと強く思ってしまった。
あぁ、そうか。オレが忘れてたのは…

目が覚めた時、オレは裸のまま大佐にしっかりと抱き締められてベッドに寝ていた。
間近にいる大佐は、穏やかな寝息を立てつつも、眉間には皺が寄っている。きっとオレが寝た後に、色々と後悔したりしてたんだろう。拒絶しなかったにしろ、恋人だった記憶が無いオレを抱いた訳だし。

「ごめんな」

優しく頭を撫でれば、ゆっくりと目が開かれる。
まだ半分寝ぼけ眼だ。

「おはよ」

「おはよう…」

二、三度瞬きしてから漸く頭が動きだしたのか、ガバリと起き上がり頭を下げた。
オレも少し痛む腰を庇いながら、ゆっくりと起き上がる。

「本当にすまない。君の意思も聞かずに最後までシてしまって…」

「オレ初めてだったんだけど」

「すまない」

「しかも中に出しただろ」

「責任は取る」

「どうやって?」

「君と子供の面倒は一生見る。もし良ければ結婚してほしい」

まさかここでプロポーズされるとは思わなかった。
ずっと頭を下げている大佐は、オレが笑ってることなんて気付いてないだろう。
昨夜でオレがどれだけ愛されてるのか、十分過ぎる程伝わってきた。その後のこのプロポーズだ。嬉しくない訳がない。

「ならいいよ。オレも嬉しかったし、それにオレ達恋人同士だろ?今妊娠すんのは困るけど」

「…思い出したのか?」

顔を上げた大佐に笑って見せれば、強く抱き締められた。
お互い裸のままなせいで、直に体温が伝わってくる。昨日は嬉しさが大きかったが、今はなんだか恥ずかしい。

「ごめんな、忘れたりなんかして」

「いいんだ。ちゃんと思い出してくれたじゃないか」

頬を撫でる大佐の手に、自分の手を重ねる。

「でも浮気じゃなくて良かった。てっきりオレなんか飽きられたのかと思ったんだよ。キスもしてくれなかったし」

「私は君一筋だよ。一度でも手を出してしまったら歯止めがききそうになくてね。結局は我慢できなかったが」

君が大人になるまでは我慢しようとしていたんだと、苦笑しながら言う。
結局は全部オレが先走って考え過ぎて、迷惑を掛けただけだった。

「オレのこと思ってくれての行動だったのは嬉しいけどさ、言ってくれなきゃわかんないこともある」

「そうだね。私の言葉不足だった」

「大佐を信じきれなかったオレも悪いけどさ」

「私の過去の行いが悪かったんだ。君は悪くない」

オレがいけなかったことも、全部自分のせいだと言って、受け入れてくれる。大佐は大人で、なんて自分は子供なんだろうと思った。

「一発殴っていい?そしたら中出ししたの許してやるよ」

「それで君の気が済むならいくらでも」

目を閉じて静かに待つ大佐。
オレはしっかりと瞼が閉じられたのを確認してから、軽く唇にキスをした。大佐からしたら、挨拶のようなものかもしれない、本当に軽いものだ。
驚いて目を開けた大佐に、してやったりの顔を向けてやった。

「たまにはキスくらいしてくれよ。そしたらこれから先何があっても大佐のこと信じるから」

それだけ言って、布団を被り再びベッドに戻った。
自分の行動がなんだか凄く恥ずかしくなって、顔を見られたくない。きっと真っ赤になっているに違いない。

「キスだけじゃなくてその先もシたいんだが」

強い力で布団を剥ぎ取られ、上に乗っかられる。

「我慢はどうしたんだよ、我慢は!」

「我慢はもう止めだ」

なんて勝手な奴だ。
まぁ、でも今日くらいこのまま流されてみるのも悪くない。
そう思った。



Fin


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