『鋼のを抱くのも終わりだな』

『別れる?付き合っていたつもりはないぞ』

とても嫌な夢を見た。
いっそのこと昨日の事が全て夢なら良かったのに、目の腫れぼったさが確かに現実の事だったのだと主張してくる。
この顔のまま外に行くのもなんだが気が引けたが、空腹に負け、簡単に身支度をして部屋を出た。


一番最初に目に付いたカフェのテラス席に座り、モーニングセットを注文する。
暫く行き交う人達を見ていたが、どうも色がない。何を見ても白黒といった感じだ。
大佐にフラれただけでこんなにも変わってしまうのか。オレの心は自分で思っていたよりも、遥かに弱かったらしい。
部屋を出たのは空腹のせいでもあるが、それ以上に一人で部屋にいたくなかったからだ。でも結局外に出ても一人。こんなにたくさんの人がいるのに、この色のない世界では疎外感を感じる。

「たーいしょ!」

急に飛び込んできた金とスカイブルー。今日初めて見たカラーの存在。
今から出勤なのか、私服の少尉はオレの前の席に座り、モーニングセットを運んで来てくれたウエイターに、同じものをと注文する。

「今から仕事?」

急に現れたカラーの存在への驚きを隠し、平静を装いながらサラダを頬張れば、新鮮な野菜がシャキシャキと音を立てる。

「いや、今日は非番。煙草が切れてたから買いに出たら偶々大将見つけた訳ッス。これって運命?」

「狭い行動範囲じゃよくあることだろ」

おちゃらけた感じに言いながらも、何だか少し前とは違う。
オレが少尉の気持ちを知ったせいか、前よりアピールしてきている気がする。でも強引に誘ってくる訳でもなく、返事を急かす訳でもなく、ふんわりと包んでくれているような優しさを感じる。
少尉の出す空気が、とても居心地が良くて、縋りたくなってくる。

「大将は今からどっか行くのか?」

運ばれて来たトーストをかじりながら聞いてくる。
用事と言うならば、職探しだろうか。だが、とても仕事を探し回る気になんてなれない。

「用がないなら俺とデートでもしませんか?」

「デ、デート…!?」

デートに誘われるなんて初めてだ。
大佐とは家か司令部でヤるだけだったし、勿論大佐からのデートの誘いなんて無かった。

「でもオレこんな格好だし…」

よく見るデート中の女の子は、可愛い服と綺麗に化粧をしている。それに比べてオレは、普段のお洒落気もない格好で、パッと見男みたいだし、化粧なんて勿論してない。

「大丈夫だって。そんな高級な場所に行く訳でもねぇし、大将は何着てても可愛いからよ」

「かわっ…」

あまりに直球な褒め言葉に、顔がかぁっと熱くなる。
にこにこ笑いながら言ってくるものだから、恥ずかしくて少尉の方を直視できない。

「俺の寂しい財布じゃ大した所行けませんが、気分転換にいかがッスか?」

「……お願いします」

少し考えてから、すっと前に出された手に手を乗せた。
少尉と一緒にいれば気が紛れる。そんな気がした。









少尉とのデートは本当に楽しかった。
カフェを出た後、映画館に行き恋愛映画を見た。内容はありきたりなものだったが、スクリーンに映し出された二人の幸せそうな姿に、何だか涙が溢れ、涙を抑えるのに必死になった。
その後はぶらぶらと歩きながらウィンドウショッピングをして、少尉が体が戻ったお祝いにと可愛いワンピースを買ってくれて、せっかくだから靴も合わせて買ってそのまま着て歩くことにした。
スカートなんて履いたのは、本当に久しぶりで、足がスースーして落ち着かなかった。

楽しい時間が過ぎるのはあっという間だ。
同じ時間なのに、どうしてこんなに感じ方が違うんだろうか。

「こんな時間まで連れまわして悪かったな」

辺りはもう真っ暗で、人もまばらに歩いているだけ。空には星が輝いている。

「オレも楽しかったから」

苦笑する少尉に、首を振りにっこり笑って返す。
少尉は本当に優しくて、どうしてこれでモテないのか不思議なくらいだ。

「じゃあまたな」

「うん、また…」

宿の前で別れを告げ、少尉の背中を見送っていると、とてつもない寂しさに襲われる。
真っ暗闇の中、一人残されるような孤独感。
耐えきれない。

「少尉!」

走って少尉を追いかけ、服を掴む。
少尉は驚いて止まり、何事だという顔をしながらこちらに振り返る。

「あのさ…少尉の家にお世話になってもいい‥かな?」

少し俯きながらそれだけ言って少尉の顔を見れば、目をぱちくりとさせていた。
もしかして昨日言ってたのは冗談だったんだろうか。それならこんな事言われたら、かなりの迷惑でしかない。

「ごめん、迷惑だった…?」

不安になってそう聞けば、とんでもないと言いながら顔を横に振る。

「言ったろ?俺はいつでも歓迎するって。今から来るか?」

「うん!荷物取ってくるからちょっと待ってて!」









「今片付けるから空いてる所にでも座ってくれ」

「わかった」

少尉の部屋はお世辞でも綺麗とは言えない。
テーブルの上には昨日の夜にでも食べたであろう弁当箱が置きっぱなしで、灰皿からはタバコが溢れている。
部屋の隅には脱ぎっぱなしになった洗濯物が山になり、掃除をしてないのか所々には埃がたまったままだ。
どこに座ろうかと考えたが、邪魔にならずに綺麗な場所と考えれば、ベッドの上しかなかった。

「暇なら先にシャワー浴びるか?」

部屋の片付けをしながら、手持ち無沙汰にしていたオレを見かねたのか、風呂を勧めてくる。

「じゃあお言葉に甘えて…」

トランクから着替えを出しながら、バスタオルを持っていないことに気付く。普段は宿のを使っていたから、持ち歩くことはなかった。
着替えすら数日分しかない。旅も終わったことだし、そろそろ増やすべきだろうか。

「少尉、タオル借りていい?」

「いいぜ。脱衣場に洗ってあるのが置いてあるから好きに使ってくれ。あるものは好きに使っていいからな」

「ありがと」

着替えを持って風呂場に向かう。
脱衣場に入ってみれば、使用済みのタオルが山になっていた。軍人だから忙しいのはわかるが、それにしても溜めすぎな気がする。
明日にでも洗っておいてあげよう。世話になるのだからそれくらいの役には立たないと悪い。

「シャンプーは…これか?」

並んでいる中からshampooの文字を探す。
少尉の使っているシャンプーはミント系で、時々匂う少尉の匂いがした。
自分から少尉と同じ匂いがして、なんだか不思議な気分だ。

リンスは使おうとしたが置いてなかったので、まぁいいかとシャワーを浴びて風呂を出た。
タンクトップにスパッツにトランクス(女物の下着はないし、ずっとこっちだったせいかこの方が落ち着く気がする)だけで、髪を拭きながら部屋に戻る。

「シャワー、サンキューな」

「おぉ…ってなんて格好して出てきてんだよ!?」

オレの格好を見た少尉が慌てふためき、視線が空を泳ぐ。
そんなに慌てふためくような格好だろうか。夏ならこれより露出が高い格好をした人なんて、山のようにいる。

「大将、見えそう…」

何がと思い少尉の指の先に目を向ければ、タンクトップの上から中が見えそうな状態(もちろんブラジャーなんて物も持ってない)。
アルにも気を付けるように言われていたが、すっかり失念していた。

「わっ!」

急いでタンクトップの上を押さえる。
こんなことなら何かちゃんとした部屋着を買っておけば良かった。

「これでも着てな」

「ありがと」

渡されたのは少尉のパーカー。
着てはみたものの、服の中が見える心配はないがサイズが大きすぎて、袖を何回も折らないと手が出てこないし、丈も長すぎてワンピースみたいになっている。

「ブカブカ…」

「仕方ねえだろ。大将サイズの服なんてねえし」

掃除が大まか終わったのか、「風呂に入ってくる」と言って行ってしまった。
一人になって部屋をゆっくり見渡すと、さっきまであったゴミが片付いて、幾分すっきりしている。
ベッドにごろりと横になれば、タバコの匂いが布団に染み付いていて、鼻を刺激する。もしや寝タバコをしているんじゃないだろうな。しようとしたら注意してやろう。

暫くして戻ってきた少尉の格好は半裸。
体力仕事が多いせいもあってか、腕にも腹筋も逞しくて、惚れ惚れするほどの筋肉だ。
つい観察するようにジッと眺めてしまう。

「そんなに見られると恥ずかしいんスけど…」

「あっ、ごめん」

「いや、いいんだけど…もっと違う反応されるかと思ってた」

服の山からTシャツを取る。あの服の山は洗濯済みだったのか。あのまんまじゃきっと下の方は皺だらけだな。

「こう『服着てよ!』とかそんな反応かと思った」

「そりゃ素っ裸で来られたら困るけど、上半身なら別に。アルとか大佐で見慣れ」

そこまで言って急いで口を塞ぐ。
少尉には(というかみんなには)大佐との関係は内緒にしていた。
というか、別に言うなと言われていた訳ではないが、大佐がみんなの前では恋人というか、そういった素振りを絶対にしなかったから、言い出せずにいた。

「やっぱり大佐とはそういう関係だったのか」

「やっぱりって…知ってたのか?」

「大将の事ずっと見てたしな。大佐はよく分かんねえけど、大将が大佐を好きってのは見てて分かった」

そんなに態度に出ていただろうか。そうだとしたらかなり恥ずかしい。

「片思いかなぁとも思ったけど、大佐が手出さない訳ないもんなぁ…じゃあ昨日泣いてた理由って…」

「フラれたって言うか‥まぁそんな感じ」

体だけの関係でしたなんて言えなくて、苦笑して誤魔化す。
なんだか空気が重くなって、寝ようと言って無理矢理話を終了させる。
そう言えば、オレはどこで寝ればいいんだろうか。ベッドは二人で寝るには狭い(寝れないこともないとは思うが)。ソファで寝れなくもないが、余分に掛け布団があるのかは微妙だ。

「大将はベッド使いな。俺はソファで寝るから」

そう言いながら、ハンガーに引っ掛けてあったコートを取る。やはり掛け布団はないようだ。
ソファのサイズはオレでも寝るには窮屈そうなサイズで、とてもじゃないが少尉がゆっくり寝れるものじゃない。

「悪いよ。オレがソファで寝るって。少尉は仕事もあるんだからゆっくり寝なきゃ」

「そう言われても女の子をソファで寝かせて、自分はベッドで寝るなんてできねえよ」

遠慮しなくていいからと、オレの頭を撫で「おやすみ」と言ってソファに行こうとする少尉の服を引っ張り、引き止める。

「なら一緒にベッドで寝ようぜ?くっ付けば寝れないこともないし」

「…俺は好きな子が同じベッドで寝てて、何もせずにいられるような出来た男じゃありませんよ」

苦笑して再びソファに向かおうとする少尉に言った言葉は、少尉を怒らせるものだった。

「ヤりたいならヤってもいいよ。大佐のおさがりみたいな女で良かったらだけど」

パンッと耳の近くで音がした。それから頬が段々と熱くなり、じんじんと痛みだす。そこでやっと叩かれたんだと認識した。
少尉の顔を見れば、さっきまで優しかった顔はなく、眉間に皺が寄り明らかに怒気を放っている。

「軽々しくそんなこと言うんじゃねえ。もっと自分を大切にしろ」

涙がじんわりと浮かぶ。
涙の原因は痛かったからじゃない。自分があまりに汚くて、嫌になったから。
少尉が自分に好意があるのを知っていて、それを利用するかのように少尉の家に転がり込んだ。
自分の都合のいいように少尉に縋って、悲しみを埋める為に利用されてると知りながらも、優しくしてくれていたんだろう。
そんな最低なオレを、少尉は本気で怒ってくれた。
涙を流すオレに、謝りながら頬を撫でてくれる。少尉が謝ることなど一つもないのに。寧ろ謝らなくちゃいけないのは自分の方だ。

「ごめっ…ん…っく‥ごめん‥ッな、さい…」

必死で謝った。何度も何度も謝罪の言葉を繰り返した。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

少尉は泣きながら言うオレ謝罪を、ずっと優しく抱きしめながら聞いてくれた。




続く




あきゅろす。
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