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久々に見た君の姿。
何人もの人が行き交う中、私の目はいとも簡単に見付け出した。
私にもあまり見せないような笑みで笑う君。
鋼の…隣にいる男は誰なんだい?



『コーヒーに一杯のハチミツを』




それは昨日の出来事だ。
視察中に鋼のの姿を見付け、帰って来ていたのだと初めて知った。彼はいつも連絡の一つもない上に、帰って来る期間も不定期。連絡をするようにと再三注意もしてきたが、守られた事は一度もなく、もう諦めた。
彼と付き合い出してからもう一年近くになる。それなのに3ヶ月以上も音沙汰無しなんてこともあるのだ。そんな彼が仕事のことで定期連絡をするはずもない。
報告もせずに何をしているのだと思いながら彼の背中を追った。否、彼に近付きたかっただけかもしれない。
「はが…」ねの、と言い掛けのまま言葉を飲み込み、足も同時に動きを止める。
彼は嬉しそうに笑っていた。私の知らない男の隣で。





「報告書持って来たぜー」

昨日のことを見られているとは夢にも思ってないのだろう。いつもと何ら変わりない様子で報告書を突き出してくる。

「いつ帰ったんだい?」

昨日には帰って来ていたのはわかっていたが、敢えて質問する。

「ついさっき」

何故嘘をつく?私が考えたように、本当にやましい事でもあったのか?あの男と。
私が疑っているとは微塵も思っていないのだろう。「早く報告書を見ろ」と催促しながら、鋼のはソファにもたれ掛かる。

「…昨日君によく似た子を見掛けたんだが人違いだったかな?」

報告書をパラパラと捲りながら話す。内容など頭には入ってこず、ただ紙を捲っているという行為にすぎない。
鋼のの肩が小さく揺れたのを見逃さなかった。やはり昨日の光景は、見間違いなどではなかったのだ。どうか見間違いであってくれ、というまだ心の奥にあった淡い期待は簡単に消え去り、沸々と醜い嫉妬心がこみ上げる。

「他人の空似だろ…」

白状するつもりは無いらしい。それ程までに私に知られたくは無いことがあったのかと疑いたくなる。
まぁ、何ヶ月も放置していた恋人にも会わずに、違う男と仲良く歩いてるなんて知られたくないのは当然と言えば当然か。
持っていた報告書をパサリと机に置き、鋼のの横へと座る。

「な、なんだよ…」

焦っているのか、鋼の目はあちこちに泳ぎ、声もどもっている。演技の下手な子だなと内心で苦笑する。

「金髪の三つ編みに赤いコートを着た少年はそうそういないと思うが?」

ここでまたビクリと体を揺らす。
もう言い逃れもできない状態だ。どうでる、鋼の?

「あんたには関係ないだろ!オレが何処で何してようが!」

開き直りときたか。私を騙し通すのは不可能だと思ったのだろう。まるで猫のように威嚇した目で私を睨み付けてくる。

「関係なくはないだろ?恋人である私をほったらかした挙げ句、他の男と一緒にいて。それとも付き合っていると思っていたのは私だけだったのかな?」

「違う!あの人とは本当に何にもないから!」

鋼のが私に隠れて二股をかけていたなんて思ってはいない。彼の性格上そんな事は出来ないのは分かっている。今まで私に言ってくれた言葉に嘘偽りは無いだろう。
しかし昨日あの男に向けていた笑顔を思い出すと、無償に腹が立つ。

「なら何故嘘をついた?何でもないなら正直に話せばいいじゃないか。話せないのはやましい事があったからなんだろ?」

自分でもこんな事を言ってはダメだと頭の片隅で思うが、口が勝手に動いて止まらない。

「彼の体の具合は私より良かったかい?」

最悪だ…と思った直後に、パンッと小気味良い音が鳴った。じわじわと右頬が痛さを訴えてくる。叩かれたのだと理解したのはだいぶ後だった。

「ふざけんなっ!」

涙を溜めた赤い目で腹の底から叫び、私に固い物が入った袋を投げつけ、全力疾走で彼は部屋から飛び出して行った。
彼の姿を視線で追った後、ずるずると力なくソファにもたれ、頭を背もたれへと乗せる。

「最低だな…私は……」

ははっと乾いた笑い声が部屋の空気に溶ける。
そういえば、彼が私に投げつけていった物はなんだったのだろうか。当たった感触から固いものであるのはわかった。
ソファの上に転がっている茶色の無地の袋を開けて中身を取り出す。取り出した物は、彼にはあまり似つかわしくないように思える物だった。

「コーヒー?」

入っていたのは「coffee」と書かれた缶。中身が飴やチョコであるならば、彼が持っていてもなんら違和感はないが、私の目の前にあるのは、正真正銘コーヒーだ。
確かに彼がコーヒーを飲んでいる姿は見たことは幾度かある。しかし眠気覚ましに仕方なく飲んでいるという程度だ。こんな風にコーヒー缶をわざわざ買ってまで飲むとは考え難い。
心境の変化なのかもしれないし、特別に美味しいから買ったのかもしれない。実際のところ、いくら私がここで頭を回転させたところで、本当の真相を知ってるのは鋼のだ。私一人では答えなど出てこない。
後で少尉にでも宿に届けさせるか、と一先ず袋に戻し、テーブルの上へと置いておく。
あんな事言わなければ良かったとか、直ぐに追い掛け謝れば良かったとか、今更後悔しても後の祭りだ。私達もこれで終わりかもしれないな、と散々考えを巡らせた後、書類を片付けるべく重い腰を上げたのと、ノックの音がしたのは同時だった。

「入れ」

「失礼します…」

ガシャン、ガシャンと独特の音をたてて歩いてくる人物は一人しかいない。兄に私の吐いた暴言でも聞いて、叱咤しに来たのだろう。

「兄さんのことなんですけど、誤解してるようなんで僕が変わりに説明しに来ました」

何とも律儀というか、兄思いなんだといつも感心する。
上げた腰を再びソファへと下ろし、アルフォンスにも向かいのソファへ座るように促す。

「誤解を解きに来たみたいだが、鋼のが浮気してないのは分かってるよ」

向かいにいるアルフォンスに、苦笑を浮かべながら先に切り出す。

「え?でも兄さんは大佐に自分が浮気してるって言われたって…」

「単なる私のヤキモチだよ。私に会う前に他の奴と一緒にいるのが許せなかったんだ。他の男に笑顔を見せているのが、どうしようもなく腹が立った」

なんともちんけでくだらない理由。こんな事で最低な言葉を吐き、彼の心を傷付けたのだ。最低な奴だとしか言いようがない。

「誤解してないなら良かったです。それともう一つ…」

アルフォンスの説明を聞いた後、私は袋を抱えて鋼ののいる宿へと一心不乱に走っていた。車を使うという手段を忘れる程に焦っていたのだ。一刻も早く鋼のに会って謝らなければならないと。
必死で走る私の姿は、さぞや注目の的だったであろう。国軍大佐が街中を全力疾走など、まず見られるものではない。後で中尉に説教をされる可能性大だな。しかしそれも、私が今やらなければならない事の前においては、微々たる問題だ。
アルフォンスから預かってきた部屋の鍵を鍵穴に滑り込ませ、部屋の中への侵入に成功。こちらに背を向けベッドに横になっている鋼のの姿を、直ぐに発見できた。静かにベッドに近付き床に正座する。

「すまなかった…」

私ができる事は謝ることだけだ。背中に向かって必死に謝る。

「アルフォンスから聞いたよ。これ私の誕生日プレゼントに買ってくれたんだって?」

持ってきた袋の中からコーヒー缶を取り出す。プレゼントの割には、包装もしておらず、無地の袋に入れたままというのがなんとも鋼のらしい。

「電車の中で会った人に美味しいコーヒーの店に案内してもらったんだってね。今日は自分の誕生日だなんてことすっかり忘れていたよ」

この歳になると誕生日などそんなに気にしなくなる。考えたとしても今日でまた一つ年齢が上がったと思う程度だ。祝うなんてことは勿論しない。

「君の笑顔が知らない奴に向けられてると思ったら怒りが止まらなくなって…嫉妬して、思ってもない事を言って君を傷付けた。本当にすまなかった…」

ここで漸くこちらに顔を向けてくれた。だが眉間に皺が寄っていて、まだ怒ってるというのは見ただけで分かる。
一発(で済むかは分からないが)殴られるのを覚悟で歯を食いしばった。

「本当に怒ってんだからな。驚かせようと思ってこっそりプレゼント用意して行けば、人が話す前に勝手なこと抜かしやがって…」

「すまない…」

「大佐が女の人と一緒にいたって我慢してやってたのに、オレが一回違う奴と一緒にいたぐらいで疑うし…」

「すまない…」

仕事とは言え、鋼のと付き合いだしてからも、将軍の娘や紹介された女の人と何回か食事に行っていた。タイミングが悪ければ、鋼のが帰って来た時に食事に行かなければならない事もあった。
しかし鋼のはいつも「仕事なんだから仕方ないさ」と笑顔で見送ってくれていたのだ。本当は行って欲しくなどないのにだ。
鋼のは大人だ。私なんかよりずっと私の立場を考えて行動してくれている。それなのに私ときたら全くもって自分勝手だ。一回の我慢すらできない。

「別れてやろうかと思ったけど一回だけチャンスやるよ。オレが旨いと思えるようなコーヒー淹れて来い。旨かったら許してやる」

私が喜び勇んでコーヒーを淹れに行ったのは、言うまでもない。
とびきり美味しいコーヒーを淹れてからまた謝ろう。
そしたらまた笑顔を見せてくれるに違いない。
おめでとうと言う言葉を乗せて……





Fin

あい様のみフリーです。


あきゅろす。
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