朝起きると、寝る前まで隣にいた人物は姿を消していた。
隣にいた者が動く気配に気づかなかったのは、軍人としてまずいんじゃなかろうか。
彼が寝ていたであろう場所は既に冷たくなっており、だいぶ前に出て行ったのだとわかる。今から探しに行っても、もうこの街からはとっくに姿を消しているだろう。

「こんな置き手紙一枚で…」

ごめん
ありがとう

さようなら

見慣れた筆跡で書かれたシンプルな文章。
これはいったい何に対しての謝罪で、感謝で、別れなんだろうか。
このまま終わりになんてさせないよ。



一時はもしかしたら二度と私の前に姿を現さないんではないかと心配もしたが、杞憂に終わった。
二カ月もした後、定期報告にきちんと姿を現した。

「ほら、報告書」

「ご苦労」

何もなかったような普段と変わらない流れ。
報告書に目を通しながら、ソファに座っている鋼のをチラリと見る。持参した文献を開き、文字を追う金の瞳。今までと変わらない風景のはずなのに、見えない壁が存在するような気がしてならない。

「は、鋼の。今夜一緒にご飯でも食べに行かないかい?」

「無理。少尉達ともう約束してるし」

人がせっかく見えない壁を壊すべく動いたのに、そんなにあっさりと拒否しなくてもいいだろ。
しかもその理由が部下達と約束しているから?そこは上司の誘いを優先させるものではないのか?
イライラする。

「それは中止だ。今夜は私の家に来るように」

「なんだよそれ!」

「これは命令だ。拒否は許さない」

自分でも思った以上に冷たい声が出たことに驚いた。
鋼のは息を詰まらせ、怒りを隠しもしないで執務室を出て行った。
何をやっているんだ私は…
決して怒らせたい訳じゃない。そばにいて、笑ってほしいと思うだけなのに上手くいかない。

「クソッ」

何に対する苛立ちなのか。
両手が髪をグシャグシャとかき乱した。





夕方一緒に帰ろうと鋼のを探したが、見付けることができなかった。
ハボック達と飯に行ってしまったんだろうかと思ったが、そうでもないようだ。
約束(と言っても一方的でかなり強引だったが)を無視して、どこかに行ってしまったんだろうか。だが報告書のチェックもまだだったのだから、この街から出て行ったとは考えにくい。
もしかしたら家に直接来てくれるかもしれない。
そう思いたち、帰り道で二人分の夕飯を買って帰った。
何度か長針と短針がすれ違ったが、来る様子はなく仕方なしに、一人で夕食を食べる。すっかり冷めてしまったそれは、美味しいとは言い難いものだった。いや、これは気持ちの問題で、ここに鋼のがいてくれれば、どんなに不味い飯でも美味しいと感じたかもしれない。
もし始まりが違えば、今頃鋼のは私の隣で笑ってくれていたんだろうか。
後悔したって過去はやり直せないが、悔やまずにはいられない。
てきとうに腹を満たし、もう寝てしまおうかと考えていると、チャイムの音が響いた。
まさかという思いと、期待を半々に急いでドアを開ければ、目に入る金と赤。

「来てくれたのか…?」

「アンタが来いって言ったんじゃねえか」

用がないなら帰ると言い出した鋼のを、逃がすまいとリビングへ案内する。

「夕飯は食べたかい?」

「食べた」

短くて棘を隠さない返事をしながら、ドカリとソファに座る。

「なら何か飲み物を…」

「何もいらないから話あるなら早く話せよ」

自分の家で子供相手に、何だか私の方が挙動不審になっている。
落ち着けと自分に胸の中で叱咤し、鋼のの前のソファに腰を降ろす。
しかしこうしていざ向き合うと、何から話せばいいのかわからない。微妙な沈黙が部屋に流れる。
今まで色恋沙汰にこんなに悩まされることはなかった。相手がどんな美女であろうと、平静でいられたし、言葉に困ることなんてことはなかった。
それとも相手が子供で同性だからこうも上手く言葉が出てこないんだろうか。

「話す気もないならもう帰る」

「ま、待ってくれ!君が好きなんだ!」

「はぁ?」

自分でもなんて情けない告白をしたんだろうと思う。
本当ならどこかで夕飯を食べていいムードになった時に告白する予定だったのに、どうしてこんなムードの欠片もない形になってしまったんだろう。情けない。

「何それ…オレのこと馬鹿にしてんの?」

「え?」

情けない告白になってはしまったが、喜んでくれると思っていた。
まだあの日から二カ月だ。そんな簡単に気持ちが変わったりしないと思っていた。

「二カ月前は恋愛対象には見れないって言っといて今度は好きだ?俺をおちょくるのを大概にしろっ!」

「おちょくってなど…」

「じゃあ何だよ!?嫌がらせか?俺が最後にあんなお願いしたらから?」

ソファから立ち上がり、私を睨み付けてくる瞳には、わずかに涙が見える。
それは怒りからくるものかもしれないが、とても綺麗だ。

「人がせっかくただの部下に戻ろうとしてんのになんなんだよ。許せないなら後見人なんて辞めればいいだろ?そうすれば二度と目の前には現れない」

「少し落ち着いてくれ」

テーブルを周り彼の横に行きソファに座らせ、固く握り締められた左手を、両手で包み込む。

「君は本当にあれで綺麗さっぱり私への気持ちは消してしまったのかい?」

「…そんな簡単に消せるほど軽い気持ちじゃない」

それはまだ好きでいてくれるという訳で、それなら口説くのに遠慮は不要だ。
もしもう好きではないと言われても、もう一度好きになれと迫っていただろうが…

「まだ好きでいてくれると言うならやり直してくれないだろうか?」

逃げられないように包み込んだ手に少し力を入れ、真剣に見つめれば、綺麗な琥珀がこちらを見て揺れる。
包んだ手が中でさらに握られたのがわかった。

「ふざけるのもいいかげ…」

「ふざけてなんかいないよ。私は本気だ」

「…っ」

くしゃりと歪んだ顔も愛おしい。
額にキスをすれば体をビクリと震わせる。

「愛しているよ、エドワード」

「…後で嘘でしたとか無しだからな」

「そんなことは言わないよ」

「浮気したら右手で殴るからな」

「右手の出番は一生ないよ」

「女ったらしのくせに」

「信じらんねー」と言いながら笑う鋼の。そんな皮肉にも暖かさが伝わってきて、嬉しくなった。
久しぶりに見た柔らかく暖かい微笑み。
もう二度とこの笑みが消えないように守っていこう。
始まりは嘘からだったが、ただあの時は自分の気持ちを自覚していなかっただけだ。きっとずっと前から私はこの子に心を捕らわれていた。
この選択はおそらく修羅の道になるだろう。
それでもきっと二人でなら大丈夫だ。
どんな暗闇に落ちようとも、こんなにも眩しい太陽が一緒なのだから。



Fin




あきゅろす。
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