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novel
群青色の紐を解け2


 ぽたぽたと顎から水滴が滴り落ちる。
「う゛ー…」
 鏡に映る自分の顔を見つめながら、スクアーロは唸った。
 確かに、これは便利だと思う。
 首の後ろにべったりと汗をかくこともないし、頬にかかる髪をいちいちかき上げる必要がない。何より、顔を洗うとき邪魔にならないのがいい。
「別に切るわけじゃねぇし、まぁいいか…」
 ほらみなさい、といわんばかりのルッスーリアの顔が目に浮かんだが、それは渋々認めるしかない。
 まだ滴り落ちている雫を手の甲で拭って、スクアーロはプレスされて仕上がってきた隊服をばさりと羽織った。
 暗殺部隊であるヴァリアー幹部が全員顔を突き合わせて食事することなど滅多にないが、一応時間になればダイニングに人数分の食事が用意されることになっている。
 昨夜は結局あの任務のせいで夕食を食べ損ねたので、スクアーロは空腹を抱えながらいそいそとダイニングへ向かった。
 その途中、反対側から歩いてくる見慣れた姿を見つけた。
「よぉ、ボスさん」
 おはようなんて挨拶したら「気色悪ぃ」と炎付きの殴打が返ってくるのは分かりきっていたので、軽く手を上げて一応声をかける。
 不意に、じろりとねめつけるように向けられた視線が一瞬動きを止めたような気がした。
「おい、カス」
「あ゛ぁ?なんだ?」
 あまりに腹が減っていたのでそのまますれ違ってダイニングへ向かおうとしたスクアーロをザンザスが呼び止める。
 何故か朝っぱらから不機嫌絶好調の声だったが、どうせいつもの気紛れだろうとスクアーロは普段と同じ調子で振り返った。
「ごあっ!」
 振り向きざま、がっと後頭部を掴まれて、そのまま壁に顔面から叩きつけられる。鼻の軟骨がみしりと嫌な音を立てて歪んだ。
「…めえ!あにしやがる、このクソボス!」
 理不尽極まりない暴力に痛む鼻を押さえてスクアーロが怒りを露にすると、ザンザスがスクアーロの髪をギリギリと拳に巻きつける。
「い゛っ…だぉあ゛!」
 髪を巻き上げられるごとにじりじりとザンザスに引き寄せられて、思わず苦痛の呻き声が漏れた。
 ついにヘアゴムの根元まで届いた拳でぐっと後頭部を鷲掴みにされると、無理矢理首を上向きにさせられて、一瞬地面からつま先が浮く。
「ってぇだろぉがぁ!」
「黙れ、カス」
 涙目で訴えるスクアーロを一蹴して、ザンザスが不意に顔を伏せた。
「ぐがっ!」
 突然首筋に凄まじい痛みが走り、呼吸が止まる。
「い゛ぎ…っ!」
 頚動脈ごと硬い筋肉まで噛み切るように、あらわになったスクアーロの首筋をザンザスの鋭い犬歯が容赦なく突き破る。先に切れた毛細血管からつっと生ぬるい血が溢れ出したのが分かった。
「って、ぇ…離せ、このっ!…ぐあぁっ!」
 耐え切れず右手でバシバシとザンザスの肩を叩くと、もう一度同じ場所にぎりっと強く噛み付いてからようやくザンザスが顔を上げた。
 既に興味を失ったとでもいうように巻きつけた髪を邪魔臭そうにほどき、じんじんと鈍い痛みに呻くスクアーロの身体を突き飛ばす。
「う゛お゛ぉぉい!いったいなんだってんだ、てめぇはよぉ!」
 いい加減頭にきて、スクアーロは首筋を押さえながら立ち去ろうとするザンザスの背中に罵声を浴びせた。
 ちらりと視線だけで振り向いたザンザスが、ふんと鼻で笑う。
「女みてえな髪しやがって、カマザメが」
「んな゛っ!」
 それだけ言って去って行くザンザスに、ふつふつとまた新たな怒りが込み上げてきた。
「まさかそれだけの理由でオレの…ってちょっと待てゴラァ!」
 だがそれ以上あの男に文句を言ってもどうせ意味はない。行き場のない怒りを抱えスクアーロはクソっ!と仕方なく壁を蹴りつけて憂さを晴らした。
 焼け付くように痛む首筋から手を離して見ると、指先に滲んだ血がついている。
「吸血鬼かよあいつは…!」
 ただし血を啜るのが目的ではないことは分かりきっていた。
 噛まれたのはちょうど耳の下辺り。髪を下ろしたとしても、完全に隠せるかどうか微妙な位置だ。
「気に入らねぇなら、はっきりそう言えってんだクソボスがぁ!」
 こんなあからさまな噛み痕を人目に晒すほどスクアーロは厚顔無恥ではない。
 せっかく気に入っていたのに、またしばらくこの髪型には出来そうになかった。…というより、きっと二度とできないだろう。
 これ以上無駄な傷痕を増やされるくらいなら、顔を洗うときの不便さを我慢するほうが、ずっとマシなのだから。


Fine.

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あきゅろす。
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