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novel
紫黒の頂を下ろせ


 ひんやり乾いた空気がさらりと湯上りの肌を撫でる。暗い室内に視線を巡らせて床に脱ぎ捨てられた服を一瞥し、ザンザスはついでのように先刻起き出したベッドを見た。
 が、当然そこに潰れているだろうと思った銀髪の肢体がない。ぴくりと不愉快そうにこめかみを引き攣らせると、寝室と続き間の書斎から微かな物音が聞こえてきた。
 自分の意思に逆らって動き出した両足が、少しだけ開いた扉の前で止まる。一瞬その隙間から覗き込もうとして舌打ちし、ザンザスは幾分乱暴にドアを押し開けた。
 薄暗がりに灯されたランプが、長い銀髪を淡く浮かび上がらせている。
 鮫の名を持つ男が重厚な紫檀の机に書類を広げ、主の椅子をぶんどって紙の束と格闘していた。
 どこから引っ張り出したものか、その素肌には柔らかなバスローブを羽織っている。いや、サイズがぴったり合っているところを見ると、ザンザスの知らぬ間に勝手に部屋へと持ち込んでいたのだろうか。
 時折書類をめくっては、ガリガリとペンを走らせる。集中してこちらに気付いていないのか、それとも気付いていながら無視をしているのか。机に向かったままのスクアーロは顔を上げようともしない。
 いつもより俯き加減のせいで長い睫毛の影が頬にまで落ち、銀色の眼光が隠されてしまっていた。
 不意に、それが無性に腹立たしくなってくる。
「おい」
 ずかずかとわざと音を立てるようにして近付き、ザンザスはスクアーロのおとがいを掴んでぐいっと顔を上向かせた。
「お゛わっ!」
 驚いたように見開かれた目はいつもと変わらぬ鋭い銀色を湛えていて、ほんの少しだけ溜飲を下げる。
 そんなザンザスの心情など微塵たりとも知らぬスクアーロは、間延びした声で呑気に言った。
「なんだぁ、もう上がったのかザンザス。じゃあオレも風呂に…」
「こんなところで何してやがる、ドカス」
「あ?なにって、見りゃわかるだろうが。仕事してんだ、仕事!どっかの誰かさんが人の仕事中にベッドに引きずり込んでくれたおかげで、今日中にまとめなきゃならねぇ書類が溜まってるからなぁ」
「フン、てめーにまだ起き上がる余力があったとはな」
「うるせぇ!やりたい放題ムチャクチャしやがって、このド鬼畜絶倫男が!」
 クソッ、まだ痛ぇ…と思い出したようにぶつぶつ文句を言って腰をさするスクアーロに、ザンザスはニヤリと笑みを落とした。
「なら、ド淫乱のてめーにはもっと相応しい扱いをしてやる」
「おいザンザス!」
 不意に声のトーンが変わって、銀色の頭が右へ左へともがき出した。訝しげに眉を寄せて手を離すと、スクアーロが慌てたようにバサバサと書類をまとめ机の向こう端へと追いやる。
「水!水垂れてるだろうが!」
「あ゛あ?」
「濡れた髪を拭けってんだ!書類に水滴が落ちるだろうが!」
 上に提出する機密書類なんだからな!とぶつくさ文句を言いながら、スクアーロがバスローブの袖で書類に落ちた水滴を慎重にぬぐった。
 そのまま伸ばした袖を両手に引っ掛け、ぐしゃぐしゃとザンザスの髪を拭きながら頭を押し退けるようにして立ち上がる。これ以上近寄るなと言わんばかりに机とザンザスの身体を引き離し、スクアーロがほっとしたように満足げな息を吐き出した。
「ったく、しょうがねぇボスさんだぜ」
 ぶちりと、ザンザスの頭の中で何かが切れる音が聞こえた。
「てめー…」
 ゆらりと立ち上がった憤怒の熱気が全身を覆う、その直前。ひょいと伸ばされたスクアーロの手が、ザンザスの前髪に触れた。
「しかしこうして見るとお前の髪もずいぶん伸びたよなぁ」
 黒髪のしなやかな感触を確かめるように、すらりと細い指先で髪を梳く。
「……」
 いったい何が面白いのか、濡れた前髪を何度もくるくると指に絡めて、スクアーロが少し笑った。
「なんだ、オレと同じに願掛けしてみる気になったか?」
「……くだらねえ」
「言うと思ったぜぇ」
 するりと手を離して、どこか嬉しそうにスクアーロが言った。
「けどたまにはそういうのも悪くねぇな。前より若く見えるぜ、三十路ボスさんよぉ」
「年なんざ、てめーと大して変わらねえだろうが」
「ハッ、オレはまだピチピチの二十代だからなぁ!」
 子供みたいな屁理屈を捏ねて、残り数ヶ月の二十代を謳歌している大の男が胸を張る。
 シャワーでも浴びてくるかとこちらに向けた後頭部に、ザンザスは机の上にあったペーパーウェイトを容赦なく投げ付けた。


「ちょっと見た見た?今朝のボスの髪型!あのツンツン頭がさらさらストレートヘアーになってたのよぉぉ!」
「フン、どのようなお姿をなさっていても、ボスの凛々しさにお変わりは無い」
「出たよムッツリ。つーかなんで突然?なんか理由知ってんじゃねーの、スクアーロ」
「いや…心当たりがなくもねぇが………まさか、なぁ……」


Fine.

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