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novel
紅碧の嵐を起こせ1


 遠くで微かに聞こえていた水音が不意に止んだ。
「終わったか…」
 ぎしぎしと軋む身体を起こして、スクアーロは床に脱ぎ捨てられていた隊服を拾った。掻き出しきれていなかったものがどろりと後孔を伝う感触がしたが、気にせず下だけ身に着ける。
 浴室に続くドアがカチャリと開くのと、スクアーロがベッドの下から先日密かに隠しておいた救急箱を取り出したのはほぼ同時だった。
「…何してやがる、カスザメ」
 濡れた黒髪からぽたぽたと水滴を落としながら現れたザンザスが、スクアーロの手元にある救急箱を見て不機嫌そうに言う。
「手当てに決まってんだろうが、ボスさんよぉ」
 予想通りの反応だったので驚くことも無く、スクアーロはそれを捩れたシーツの上に置いた。
「鮫に食われてボロカスみてぇな身体を晒してるてめーがか」
「そいつはお互い様だぁ。大体、抱き心地が悪ィって人の包帯引っぺがしたのはお前だろうが!」
「ならてめーで巻き直せ」
「お前の手当てが終わった後でシャワーも浴びたらな。いいからさっさとここ来て座れ」
 リング戦から数週間。監視を兼ねた入院生活からようやく抜け出せたとはいえ、ザンザスの受けた傷はまだ癒えてはいない。二度目の零地点突破により受けた皮膚へのダメージに加えて、ボンゴレリングによる血の拒絶はザンザスの内臓にまで及んでいた。
「必要ねえ」
 なのにこの男は、退院してから後ろくな治療すら受けようとしない。
 しかもザンザスにビビらされたどこのザコ部下が用意したものか、気が付くと部屋に常備されているアルコール類が増えている。当然医師から止められているウイスキーに今も手を出そうとしているのを見て、スクアーロは遠慮なく怒鳴った。
「う゛お゛ぉい!酒は禁止っつってんだろうがぁ!いいから黙ってここ座れ!」
 ぴくりと片眉を上げたザンザスが、ゆらりと立ち昇るような怒気をあらわにしてスクアーロを睨みつける。
「…てめー、誰に向かって口を聞いてやがる」
「オレの目の前にいるクソボスだぁ!このクソやろ…ぐぁっ!」
 容赦なく飛んできたグラスがスクアーロの額を直撃する。
「かっ消す」
 ごおっと音まで立てて燃え上がった憤怒の炎のせいで、部屋の温度が一気に上昇する。
 平生と寸分違わぬ炎の鋭さに、つい緩みそうになるにやけ顔を隠してスクアーロはわざと溜息交じりに言ってやった。
「お前がンな態度だから、あの家光のヤローなんぞに気ぃ遣われんだろうが」
「…なに?」
 スクアーロに近付き今にも炎を宿した拳を振り下ろそうとしていたザンザスが、寸前で手を止めて訝しげに呟く。
「今朝非公式に上から話があった。ヴァリアーはボスを含め幹部全員、しばらく他国で療養、追って沙汰あるまで待機しろとな。本来なら即座に更迭、謹慎、もしくは解散処分にしてぇとこだろうが、9代目と門外顧問が目を光らせてる以上それはねぇ」
 口に出すのも腹立たしいが、彼等がいるためにボンゴレの他の幹部たちはヴァリアーに手を出せないというのが現状だ。
 しかし、かと言ってこのまま未処分で放置するわけにはいかないし、体裁のみを気にして早急に事を運んでは9代目と家光の不興を買う危険性がある。まるで腫れ物にでも触るように、連中が自分たちを扱いかねているのが手に取るように分かった。
 恐らくそれに気付いた家光が入院中の9代目に代わって裏から手を回し、療養という形で一時自分たちを隔離しようとしたのだろう。
 今朝その話を耳にしてからというもの、スクアーロとて冷静でいられるわけがない。むしろ大いに荒れてようやく傷が癒えたばかりのルッスーリアを煩わせ、ベルの挑発に乗って好き放題暴れさらに手を焼かせた。
 だが、ふつふつと未だ沸騰寸前の自らの感情は押し隠して、いかにも楽しげに言ってみせる。
「たまにはいいかもなぁ、南の島でのんびり過ごすってのも。オレら日頃人使いの荒い上司の下で苦労してるからなぁ」
 視線を合わせていなくとも、ザンザスの暗い怒りが地を這うように増殖していくのが分かる。だがここで引いたら意味が無い。
「せっかくだから、やつのお言葉に甘えるとするか、ザンザス」
 そこまで言い切った瞬間、今まで感じたことのないくらい重い衝撃が頭蓋骨を貫いた。
「……が、ぁ…!」
 呼吸が止まって咄嗟に声さえ出ず、視界に眩い火花が弾ける。肩からどっと床に倒れこんで、立っていたはずの自分の身体がザンザスの殴打で吹っ飛ばされたのだと気付いた。
「お言葉に甘えるだと?そこまで腐りやがったか、ドカスが」
 キーンと耳鳴りするような音の向こうで、低く腹に響くようなザンザスの声が聞こえる。


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あきゅろす。
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