novel 葡萄色の欠片を喰らえ2 ごおっと耳元で炎の燃え上がる音がし、頬から後ろにかけて舐めるような熱さと痛みが広がった。 吐き気を催すほどの異臭が鼻をついて、自分の皮膚か髪の先か、とにかくどこかが焼け焦げたのだと分かる。 だが、嫌な臭いを感じたのは一瞬で、それきり痛みは襲ってこなかった。 「……?」 咄嗟に閉じた目を恐る恐る開けると、ちりちりと怒りを燃やしたザンザスの瞳が間近にある。 こんな状況なのに、やっぱこの男の怒りは綺麗だな、とつい見惚れそうになった。 「おい、カスザメ」 「…な、なんだぁ…」 「舐めろ」 そう言って差し出されたのは、さっきグラスを叩き落した右手だった。 芳醇な香りの赤ワインと混じって、砕けたガラスの欠片が光を弾いている。ところどころ違う紅が混じっているのは、滲んだザンザスの血の色だろうか。 「な、舐めろっておまえ、破片が…」 「ごちゃごちゃうるせえ」 「ん゛ぶっ!」 躊躇ったスクアーロの口の中に、ザンザスの指が容赦なく突き込まれた。 濡れた指先で、口腔に遊んでいた舌をぐちゃぐちゃと弄ぶように嬲る。 「ふっ、ん…っ、はふっ……」 スクアーロが苦しげに息を吐くと、ずるりと引き抜いた指で唇をなぞり、ザンザスがガラスの破片と赤い液体にまみれた自身の手の甲を無理矢理押し付けてきた。 「全部、舐め取れ」 「う゛…」 もとはと言えば、ザンザスの手に傷を作ったのもスクアーロの責任だ。 これ以上文句は言えず、スクアーロは諦めて男の手に舌を伸ばし、ざらりとした感触の皮膚を舐めた。 「んっ、んむっ…ぅ」 猫がミルクを舐めるよう舌で掬い上げると、ワインの香りに時々鉄のような味が混じる。癒すようにそこばかり舐めていると、ぐいっとさらに強く手の甲を押し付けられた。 「ふ…はっ、ん……」 いつの間にか自ら男の腕を掴み、手首にまで滴り落ちていた液体を丁寧に舐め取っていく。 濡れた筋を何度も往復する度、ざらざらした感触が滑らかなものに変わって、それが少し嬉しい。もっとその感触を味わいたくて舌をひらめかせた瞬間、舌先につきりとした痛みが走った。 「っ!」 じんと鈍い痛みが広がって、ガラスの破片で切れたのだと分かる。 舌先を出して確認しようと顔を離した瞬間、ぐっと息がつまって後頭部を別の衝撃が襲った。 「ってぇ!」 「血の味に興奮してんじゃねえ。変態が」 「ごほっ……だ、だれが変態だぁ!」 喉を押さえたスクアーロが見上げているのはダイニングの天井。どうやら喉笛に手を掛けられて、一気にテーブルの上へと叩きつけられたらしい。ぐわんと揺れた脳がまだ悲鳴を上げている。 「おまえがやれっつったんじゃねぇか!」 「うるせえ。かっ消すぞ」 「う゛っ!」 まだ記憶に新しい炎の恐怖が鼻腔に蘇って、反射的に何も言えなくなる。 「あとでオレの部屋に酒を持ってこさせろ」 のそりと身を離したザンザスに素っ気なく指示され、スクアーロははたと気付いた。 そういえば、ザンザスは夕食を食べにここへ来たのではなかっただろうか。 「待てよ、ザンザス。晩メシは?」 ベルとの騒ぎで無残な様子を呈しているここは使い物にならないだろうが、何も胃に入れず酒だけというのも身体に悪そうだ。 「いらねえ。てめーの顔を見たら食う気がうせた」 「う゛お゛ぉい!んなのが理由になるかぁ!」 スクアーロの叫びを無視して、ザンザスはさっさとダイニングを出て行った。 「チッ、世話の焼けるボスさんだぜぇ」 あとで厨房担当の誰かに、酒と一緒に何か軽く摘めるものでも見繕ってもらおう。仕方なそうな溜息をついて、スクアーロはゆっくりと身体を起こした。 ちろりと出してみた舌先に、真新しい血の色が滲んでいる。 「ってぇなぁ…チクショウ」 止血するよう口壁にそれを押し付けると、口の中に残っていた別の味が舌先に触れた。 ザンザスの、血の味だ。 くちゅりとひらめかせた口腔で二人の血が混じり合う。絡まるように溶け合って、臓腑に染み落ちていく。 「オレが変態なら、お前はなんだろうなぁ」 喉が熱く焼けるような感触にククッと笑って、スクアーロはいなくなった人物の背中に問うた。 気に入らぬものは容赦なくかっ消す残虐非道な暗殺集団のボス。いずれ全てを手に入れる傍若無人な若き帝王。 いや、むしろヴァリアー全員、頭のキレた変態集団か。どいつもこいつも、血に飢えた暗殺者ばかりなのだから。 「…よし」 立てかけておいた自分の剣を左手に装着して一振りし、いつも通りの滑らかな動きを確かめる。 「まずはボスさんの晩飯を調達しに行くかぁ」 その後は、勝手にトンズラしやがったベルフェゴールの捕獲だ。 ニヤリと笑ってスクアーロは口端に残ったワインの味をぺろりと舐め取った。 Fine. [*前へ][次へ#] [戻る] |