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novel
赤錆の血肉を食め


 指紋一つなく磨き上げられた銀食器に淡いクリスマスキャンドルの炎が揺らめく。真っ白なテーブルクロスを彩るとりどりの料理はまるで洗練された名画のようで、『超高級』というタイトルが嫌味なくらいに似合い過ぎていた。
 ケッと僻みっぽい悪態を吐きかけて、スクアーロは慌てて咳払いで誤魔化した。壁の端に背を凭れさせ、視界の端に捉えていた男の横顔をそっと盗み見る。仕立てたばかりの紫黒の背広に身を包んだザンザスは、育ちの良さを窺わせる優雅な所作でナイフを操り、アンティパストの生ハムを口元へと運んだところだった。
「ほう、これは甘味があって美味しいトマトだね。どこで採れたものだい?」
 その向かい側では、お仕着せを着た給仕相手にクソジジイ、もといボンゴレ九代目が下らないお野菜談義を繰り広げていた。自分が話し相手をさせられている老人の正体が何者なのか、あの年若い給仕は知っているのだろうか。
 もっとも、店の前に黒塗りのベンツを横づけにしても、黒服サングラスの男たちをぞろぞろと引き連れて現れても、店側の人間は顔色一つ変えなかった。つまりここは『そういう』店なのだ。
 イタリアの上流階級ばかりを客層に持つこのレストランは、防音も勿論セキュリティも万全で、個室の四隅に隠されたスピーカーからは会話の邪魔にならない程度のクラシック音楽と、盗聴器かく乱のためのジャミングが流されている。万が一敵の襲撃でもあれば絨毯下の隠し扉から地下へと潜り、店の裏を流れる用水路に出られるという抜け道まで用意してあった。
 だからこそ、こんな人出の多い聖夜にオヤコ水入らずでクリスマスディナー、などというふざけたイベントが企画されたのだろうが。
「ザンザス、私のマリネも食べてみないかい?」
「……」
 年の瀬迫った12月の初旬。九代目補佐と名高い義腕の男、コヨーテ・ヌガーが一通の封書を手にヴァリアー本部に現れた。ご丁寧に死炎印まで施されたその招待状は、上層部のジジイ共からの脅迫状と言っても過言ではなく、無視するにはリスクが高過ぎる代物で。
 お陰で今日までザンザスの機嫌は地獄の業火の火口付近を常に推移しており、いつ爆発してもおかしくない危急存亡下にある。今朝など、狸寝入りを決め込む男を無理矢理叩き起こし宥めすかし嘘泣き落としてようやく風呂に入れ服を着せて車に押し込むまで、スクアーロは3度包帯を交換させられる羽目になった。
 幸い、というべきか、店に入ってからのザンザスは時折微かにカトラリーの音を立てるだけで、さっきまでとは打って変わって静かなものだ。なんとかオヤコの会話を試みて九代目が時折話の水を向けているが、それにも眉一つ動かさない。
 プリモ・ピアットにゴルゴンゾーラのリゾットが供され、料理はそろそろメインディッシュへと移りかけていた。
「あっちーなぁ…空調効き過ぎなんじゃねぇかぁ?」
 無味乾燥な時間というものは何故にこうも流れるのが遅いのか。耐え切れない息苦しさにぽつりと愚痴を零し、スクアーロはネクタイに指を掛けた。さすがに解くことは出来なかったが、少しだけ緩めてパタパタと首回りに涼しい空気を取り入れる。
 ふと、これまで微動だにしなかった紫黒の背広が新たに皺を寄せ、ほんの一瞬こちらを見たような気がした。
 見たというのは正しくないかもしれない。表情は相変わらず無愛想なままだったし、視線は前を向いたままだった。
 だが、一瞬、ほんの一瞬だけザンザスの意識がスクアーロに向けられた。
 周囲の誰もそのことに気付きはしなかっただろう。壁際に控える黒服の男たちはおろか、ボンゴレの超直感を持つ、あの九代目でさえ。
 音もなく扉が開き、メインディッシュの大皿を抱えた給仕がスクアーロの前を通り過ぎかけた、そのときだった。
「う゛お゛ぉ゛ぉい!!そこのてめぇ!!」
「はっ、はいっ!?わたくしでしょうかっ!?」
 突然耳元で大声を上げられ、礼儀作法と箝口令を叩き込まれたはずの給仕が情けなく声を上ずらせて足を止める。
「てめぇ、いまその皿に何入れやがった」
「はっ?い、いえわたくしは何も…」
「嘘つけぇ!オレはずっと見てたんだからなぁ!」
「そ、そんなこと言われても…っ!!」
 騒ぎを聞き付け、黒服と個室の外を警護していた連中が集まってくる。瞬く間に屈強な男たちに囲まれて、息を詰まらせた給仕の男は失禁寸前だった。
「どうかしたのかね?」
 声と共にざっと人波が裂け、杖を片手に九代目がゆっくりと近付いてくる。
「スクアーロが、その男が皿に何か入れるのを見たと…」
 傍らに控えていた黒服が耳打ちすると、九代目が白髪の眉を顰め、哀しげとも呼べる表情を浮かべスクアーロを見た。
「それは本当かね」
「ああ、確かに見た。コイツが皿に、うちのボスさんが口にするはずだった肉に何かを仕込むのを」
「だが証拠は…、彼がやったという証拠はあるのかね?」
「う゛お゛ぉい!オレが見たっていう以上にどんな証拠が必要だぁ!?」
 両手を広げ大袈裟に驚いて見せると、その不敬な態度に周囲がざわめくのが分かった。舌打ちしたい衝動を堪え、スクアーロは給仕の男がまだ抱えていた大皿から、今にも血の滴りそうなレアステーキを一枚摘み上げた。
「ならこれでどうだぁ?」
 言うなり、摘まんだそれを自分の口の中に放り込む。がちりと歯を噛み合わせると、甘味のある上質の脂と溢れる肉汁に混じって、舌先をびりっとした苦味が刺した。構わずそのまま咀嚼して飲み込めば、喉の奥が麻痺したような感覚にぐらりと視界が歪んだ。
「ぐっ…!」
 ごほごほっと幾度か咳き込みながら濡れた口端を拭うと、手の甲に赤いものが混じっているのが見えた。
 咽頭が焼け爛れたのだろうか、すぐには出せない声の代わりにニタリと挑発的に笑い、これでどうだと睨み上げるように周囲を見回す。
 ようやく事の重大さに気づいたのか、黒服たちが一気に色めき立った。給仕の男は即座に取り押さえられ、九代目はこちらへ!と分厚い肉の壁で取り囲みながら黒服たちが出口へと急ぐ。去り際、九代目が何か物言いたげな、どこか哀しそうな顔でこちらを見ていたような気がしたが、スクアーロは離れた場所から無表情に一瞥したきり二度と目を合わせなかった。
「帰るぞ、ドカス」
「ん゛、ボス…っ、ごほっげほっ!」
 不意に翳った視界に顔を上げると、いつの間にかコートを羽織ったザンザスが呆れたような表情でスクアーロを見下ろしていた。未だ咳き込む頭の上にばさりと被せられたのは男のより少しくたびれたスクアーロ自身のコートだ。
「馬鹿が。くだらねぇことしやがって」
「ごほっ…、っでも、上手くいっただろぉ?」
「フン、てめーの頑丈さには呆れる」
「ハッ!そこらのザコとは、鍛え方が違うからなぁ!」
 ガサガサに掠れた声で笑い飛ばすと、ザンザスが侮蔑の眼差しを落として踵を返す。コートに腕を通しながら男の後を追い、スクアーロは外で待機させていた部下に車を回すよう指示した。少し考えてから、次に別の番号を呼び出す。
『ハァイ、こちらヴァリアーのクリスマスをみんなで楽しく過ごし隊、お料理担当のルッスーリアよぉ』
「う゛お゛ぉい!勝手に変な名前付けてんじゃねぇ!」
『あらスクアーロ。そっちの方はもう片付いたの?』
「ああ、これから本部に戻る。てめーら準備は終わってんだろうなぁ!」
『うししっ。とーぜん。パーティー会場の飾り付けも完璧だぜ』
『やったのはほとんどミーで、堕王子は引っ掻き回してただけですけどー』
『黙れトナカエル!てめぇは王子のそりを大人しくひっぱってりゃいいんだよ!』
『ゲロッ!』
『貴様ら!ボスがお飲みになる酒を地下から運んで来いと何度も言って…!』
『どけよキモヒゲサンタ!』
『あ…っ!!』
「う゛お゛ぉい!今なんか割れる音しなかったかぁ!?」
『うーわ、これボスが大事に取って置いたグレンリベットの70年物じゃね?』
『あーやっちゃいましたねー。遺言なら聞いといてあげますよ』
『なっ!元はといえば貴様らが…!』
『というわけで、レヴィ以外こっちの準備は万全よぉ』
「あー…後は任せたぜぇ」
 些か不安に駆られながら通話を切り、スクアーロは運転席のドアを開けた。乾燥した空気にまた数回咳き込むと、先に乗り込んでいたザンザスが後部座席から視線だけを寄越す。
「不様だな、カスザメ」
「っるせぇ、軟カプセルは加減が難しいんだぁ!」
 アクセルを踏み込みながら、スクアーロは口の中に残っていたゼリーの欠片を行儀悪く窓の外へ吐き出した。
「他にいくらでも方法があっただろうが」
「あ゛?万事上手くいったんだからいいじゃねぇか。敵組織と癒着してた店はこれで潰せるし、くだらねぇママゴトは早く切り上げられたし、それに」
 一旦言葉を切り、スクアーロはバックミラー越しに悪戯っぽくニイッと笑ってみせた。
「今日のお前は、レアステーキの気分じゃなかっただろぉ?」
 ドンっと座席の背に衝撃を感じ、スクアーロは焼けた喉の奥でくつくつと笑った。
 口の中にはまだ微かな苦みと血の味が残っている。感覚の鈍った舌でそれを拭い、血の一滴まで飲み下す。
 自身の血は肉汁滴る生焼け肉のそれより遥かに不味く、古錆びた鉄の味がした。


 ・☆;*。Buon Natale゚*;☆・


Fine.


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