novel 黒紅の刹那に祈れ 杯を満たす琥珀色の液体。鼻腔を擽るとりどりの料理。純白のテーブルクロスを穢す賑やかな揶揄と悲鳴。 血の滴る肉塊に舌鼓を打てば、今日は一際煩わしい銀色の視線が幸福そうに笑う気配がした。 こつこつと刻まれる秒針の音が不思議なほどにゆっくり聞こえた。全身の血流を巡るアルコールは夜半の静寂と相まって、痺れた脳髄に心地よい酩酊をもたらしてくれる。 肌触りの良いロングソファにだらりと寝そべり、顎の下にクッションを引き込んでスクアーロは小さく欠伸を噛み殺した。 「なぁ、ボス」 間延びした声で呼びかけると、カランとグラスの氷の鳴る音だけが返る。返事など端から期待していなかったので、スクアーロは王座の背凭れを相手に勝手に話を続けた。 「誕生日、なんか欲しいものあるかぁ?」 柔らかなクッションに片頬を押し付けていたせいか、アルコールに掠れた声が更にくぐもって聞こえた。それでも言いたいことは伝わったのだろう。今度は氷ではなく、呆れたような吐息と嘲笑が返ってくる。 「ハッ、ドカスが。いま何時だと思ってやがる」 「23時52分だなぁ、10月10日の」 時計に目をやりながら悪びれもせずに答えると、それきりぷつりと会話が途切れてしまった。さすがにその沈黙は気まずくて、スクアーロは言い訳をするように言葉を繋いだ。 「う゛お゛ぉい、別に忘れてたわけじゃねぇぜぇ」 むしろ、何を贈ろうか悩んでいるうちに当日を迎えてしまったというのが正しい。 ネクタイやら時計やら万年筆やら、スクアーロの稼ぎで買える程度の品は去年までに一通り贈ってしまったし、代わり映えはしないが順当にいって酒、という選択肢も今年はあまり良い物が手に入らなかった。頼みの綱のアルコールが駄目となると、もう他に思い当たるものがない。 「つっても、もう時間もねぇしなぁ」 うーんと考え込むように唸ってから、スクアーロはあっと小さく上げた声に喜色を滲ませた。いいことを思い付いたとばかりに勢いよく上半身を起こし、とっておきの秘密を明かす子供のように銀の瞳を輝かせる。 「今日一日、お前の言うことを何でも聞くってのはどうだ?」 言い終えた瞬間、時計の長針がカチリと11を差したのが見えた。ザンザスもそれに気付いたらしく、ちらりと時計を一瞥して呆れたように言う。 「たったの5分間か。ずいぶん気前のいいプレゼントじゃねぇか」 「だからこそ、だろぉ」 24時間もお前のわがままに振り回されてたまるか、と喉元まで出掛かった言葉は寸前で飲み込む。 「ただしこの5分間だけはオレのこと好きなようにしていいぜ。オレはお前のやることにいっさい抵抗しねぇし、不満も文句も言わねぇ」 「…ほう」 「殴りたきゃ殴ってもいいし、犯りたきゃ犯ってもいい」 すべて、お前の望みのままに。 だが、我ながらナイスアイディアと内心密かに絶賛したプレゼントは、男の鼻先であっさり一蹴された。 「くだらねぇ」 「あ゛ぁっ!?」 前言撤回。せっかくのひらめきを無下にされては面白くない。眦を吊り上げて唇を尖らせ、スクアーロはムッとしたように声を荒げた。 「んだよ!少しは考えてみるくらいしろぉ!」 「興味ねぇな」 「なんかひとつくらいはあるだろ!酒瓶で殴るとか、花瓶叩きつけるとか、耳にえび天突っ込むとか…」 反応の薄いザンザスに焦れて、思い付く限りの過去事例を挙げてみる。言っている途中で目頭が熱くなった気がしたが、それも努めて意識の外へ追いやった。 「じゃあこれはどうだ!裸エプロンで三つ指ついてお帰りなさいませご主人様!!」 「…なんだそれは」 「知らねぇ。けど、そういうのがジャッポーネで流行ってるらしいぜ」 「そんなこと誰に聞いた」 「刀小僧」 言うなり、背凭れの向こうから飛んできたウイスキーグラスがスクアーロの額を直撃する。いつもなら牙を剥いて噛み付くところだが、ようやく期待していた反応があったことに今回ばかりは嬉しくなった。 「う゛お゛ぉい!やっとお前らしくなってきたじゃねぇか!」 ついにやる気になったかとソファから跳ね降り、全身の筋肉を緊張させてどんな事態にも対応出来るように身構える。何でもしていいとは言ったが、自身の被害は最小限に留めておきたいのが真情だ。 だが結局飛んできたのはそのグラス1個だけで、スクアーロは拍子抜けしたように不満の声を上げた。 「なんだよ、これで終わりか?日付変わるまであと2分しかないぜ」 「てめーのクソつまらねぇお遊びに付き合う気はねぇ」 「いいのか?こんな特別サービス二度とねぇぞ!」 そう言っている間にも時計の針は刻々と進んでいく。徐々にいきり立つスクアーロに対し、ザンザスの態度は涼しげなまま変わらない。 「本当にいいんだな!?お前の好きなようになんて、もう一生させてやらねぇからな!」 最後通牒とばかりに仁王立ちで牙を剥き出しにし、びしっと人差し指を突きつけてやる。 そしてついに残り1分を切ったところで、唐突にザンザスがククッと笑った。 「カスが。まだわからねぇのか」 「あ゛ぁっ?なにが!」 鼻の頭に皺を寄せて目を眇めたスクアーロに、返ってきた笑い声はどこか可笑しそうな響きを帯びている。 「何年経ってもカスザメは進化しねぇな」 のそりと椅子から立ち上がったザンザスは、訝しむスクアーロの方へと向き直りながら声には出さず何かを呟いている。それがカウントダウンだと気付いたのは、ザンザスの姿が眼前に迫り、長針と短針が重なり合うその瞬間だった。 「タイムリミットだ」 そう言い終える方が早いか、ザンザスは空になったウイスキーボトルを思い切り、それはもう精一杯、渾身の力を込めてスクアーロの脳天へと叩き付けた。 「っ゛でぇ゛え゛えええ!!いつもよりさらに痛ぇ゛ぇっ!!」 「当然だ。そうしてる」 「はあ゛っ?オレの相手はしないんじゃなかったのか!」 「昨日のてめーの相手は、な」 両手で頭を押さえながらどういう意味だと視線で問うスクアーロに、ザンザスがニヤリと笑う。 「てめーなんぞに言われるまでもなく、オレはいつでもオレのしたいようにする」 「…………」 その笑顔の背中に漆黒の悪魔の羽が見えたのは幻覚だろうか。 「い゛っ!てめっ、このクソボス、髪を引っ張んなぁ!!」 「だいたい無抵抗のカスを殴っても面白くねぇだろうが」 「ふざけんな鬼畜!サディスト!お前の趣味なんか知るか、…うぐっ!」 「ギャーギャーうるせえ」 こめかみへの綺麗な裏拳でスクアーロを床に沈めると、ザンザスは呻くスクアーロの肩に硬い革靴の底を押し当てた。じわじわと骨が軋む音を上げるまで、ゆっくり力を込めていく。 「それで?結局オレはてめーから何も貰っていないわけだが」 「ぐっ、ぅ…」 「この償いはどうするつもりだ、ドカス」 「っ、どうせ…誕生日だのプレゼントだの、気にもしてねぇくせに…っ!」 「そうだ。だが先に言い出したのはてめーの方だ」 重く鈍い痛みに耐え苦しげに息を吐くスクアーロを、先程とは打って変わって酷く愉しげな表情のザンザスが見下ろしている。 「望み通り、オレのしたいようにしてやろう」 ごりっと骨が捩れる鈍い音に、濁声の耳障りな悲鳴が重なった。 もう二度と、ザンザスの誕生日なんか祝ってやらない。 震える睫毛をひっそりと悔し涙に濡らしながら、スクアーロは堅く心に誓った。 さあ、祝おう。我らが王の誕生を。 無知な愚民の膝を砕き、手向かう叛徒の血潮で杯を満たして。 8年間、その空席へと捧げ続けた祝福の言葉を、今。 Fine. [*前へ][次へ#] [戻る] |