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novel
留紺の雪に踊れ


 しゅっと腕を撫でる感触が、滑らかな生地に体温を取り込んでしっとりと肌に吸い付く。光沢のある素材は肩先から腰元までをしなやかに覆い、胸元から落ちた柔らかなドレープが引き締まったスクアーロのウエストに淡い陰影を描いた。
 こいつに着替えろ、と先刻ぶっきらぼうな口調で押し付けられた箱を探ると、新品の革靴の下からご丁寧にも真新しいネクタイとカフスまでもが揃って姿を現す。いい加減男の気紛れには慣れたはずのスクアーロも、ジャケットの襟元に刺繍された有名ブランドの名を目にしたときはさすがに首を捻った。
「男が女に服を贈るのは脱がす楽しみがあるからだって言うが、男が男に贈る場合はどうなんだろうなぁ」
 鏡に向かってネクタイを結びながら、ひとりごちる。こうして腕を通してみたスーツは、まるであつらえたようにしっくりとスクアーロの身体に馴染み、我ながらよく似合っていると思う。
 まさか見立てをしたのがあの男だということはないだろうが、たかがレストランに食事に行くぐらいで、護衛兼運転手のスクアーロにまで新しいスーツを着せることはないと思うのだ。
「ボスさんの気まぐれにも程があるぜぇ」
 酔狂、物好き、思い付き。ザンザスとは長い付き合いだが、正直なところ時々あの男が何を考えているのか分からなくなる。
「遅ぇ」
 着替え終わって玄関のアプローチへ出ると、車に背を凭れさせたザンザスが不機嫌を顔に貼り付け盛大な舌打ちで歓迎してくれた。この寒空の下わざわざ外で待ってる必要などないと思うのだが、今更その程度で臆するほど初心でもないので、悪ぃなぁと軽く肩を竦めるにとどめておく。
 そのまま運転席の方へ回ろうとして、スクアーロはふとザンザスが羽織っているコートの下に目を留めた。
 見覚えのない濃紺色のスーツに洒落たデザインの革靴。袖口を飾る金のカフスはスクアーロの銀のそれと色違いだろうか。胸ポケットに差し込まれたチーフはさり気なくクロスに織り込まれていて、きっちりネクタイを締めて隠した襟元からは凄艶なまでの男の色気が滲み出ている。ぞくりとするようなトワレのミドルノートに鼻腔を擽られ、スクアーロは知らずほろりと顔を綻ばせた。
「よく似合ってるぜぇ、そのスーツ」
 すると何故か、虚を衝かれたように目を見開いたザンザスが、次いでぐっと眉根を寄せ鼻の頭に皺まで寄せて唇をひん曲げた。まるで拗ねた子供にような表情に面食らって、スクアーロは慌てて言葉を続けた。
「な、なんだぁ?オレなんかまずいことでも言ったか?」
「…うるせぇ」
 返って来る悪態もどこか力なく覇気が感じられない。ザンザスらしからぬ声音に思わず反射的に謝ってしまいそうになり、スクアーロはそこでようやく気付いた。
 突然贈られたプレゼント。いつもと違うこの様子。もしかして今日は…
「おいボス、具合でも悪いのか?」
「……」
 ザンザスのご機嫌が斜めなのは火を見るよりも明らかだが、それにしてはさっきからまだ一度も殴られていないし、そういえばいつもより少し顔が赤いような気もする。
「熱でもあるんじゃねぇのかぁ」
 ひょいと伸ばした手をザンザスの額に押し当てると、掌の下で男がぴくりと微かに反応したのが分かった。だが、気安く触るなと振り下ろされる拳はない。これはいよいよもっておかしい。
「調子悪いなら出掛けんのやめとくか?」
「あ゛?ふざけたこと言ってんじゃねぇ」
「レストランの予約ならキャンセルすればいいだろぉ、今日無理して行くことねぇって」
「勝手に決めるな、ドカスが」
 額に触れていた手を苛立たしげに叩き落とされる。虫けらを払うような仕草にはようやくいつもの調子が戻ってきたようだが、まだ万全の体調とはとても思えない。だが、こうと言い出したら人の話など聞かないのがザンザスという男だ。内心ひそりと溜息を零し、スクアーロは運転席へと踵を返そうとした。と、突然その手をぐいっと掴まれる。
 驚いた声を上げたたらを踏んで振り返ると、ザンザスが顔を顰めて睨むようにこちらを見ている。
「今度はどうしたぁ?」
「…手が熱い」
「ほら見ろ、やっぱ調子悪いんじゃねぇか」
「オレじゃねぇ。てめーのだ」
「は?オレ?」
 そう言われ、掴まれていない反対側の手を頬に当ててみるが、体温の変化なんて自分ではよく分からない。
「いつもと同じだろぉ」
「違う」
「そうか?」
 ぺたぺたと自身の額やら首筋やらを撫でまわしていると、不意に掴まれていた手が自由になった。
「部屋に戻る」
「え?あっ、おい!出掛けるんじゃねぇのかよ!」
「今日はやめだ」
「はぁ!?」
 さっきまであれほど行くと言い張っていたくせに、またもや急に気が変わったらしい。
「なんだってんだ、あのクソボス…!」
 理不尽なザンザスの我侭に肩をいからせ、スクアーロはせっかく整えたネクタイの結び目を乱暴に解いた。怒鳴り声でザコ部下を呼びつけ、レストランにキャンセルの連絡と表の車を戻しておくよう命じる。
 一言文句を言ってやらなければ気が済まないと足早にザンザスの後を追い掛けながら、スクアーロは何とはなしに窓の外を見上げた。
 知らぬ間にすっかり暮れた宵空に、ちらちらと白いものが混じっている。星灯りより仄かで、健気なほどに脆く儚い。外では雪が降り始めたようだ。
「そういや今日ってナターレじゃねぇか?」
 はたと気づいて、スクアーロはぽつりと呟いた。このところ任務に駆けずり回ってばかりですっかり日付の感覚がなくなっていたが、街の中がイルミネーションで賑わうようになってからしばらく経つ。城の中もやけに静かな気がするのは皆が出払っているからではないだろうか。
 仕事柄、ナターレだからと特別何かをする立場でもないが、そうと気付けばやはり多少気分は高まる。
「見ろよザンザス!Bianco Nataleだぜぇ!」
 窓に張りつき子供のようにはしゃいだ声を上げると、階段の踊り場で足を止めたザンザスが、こちらを振り返りもせず無愛想に吐き捨てた。
「てめーは気付くのが遅ぇ」
「さっきまで雪なんて降ってなかっただろぉ」
 たたっと軽やかに階段を駆け上がると、翻ったコートの裾にようやく追いつくことが出来た。
 遠く聞こえる教会の鐘の音が、清澄な聖歌隊の歌声を運んでくる。
「そういやお前、ナターレってことは本部で集まりとかあったんじゃねぇのか?」
「レヴィをやった」
「う゛お゛ぉい…」
 降り始めた雪は瞬く間に降り積もり、その下にある真実の姿を白く厚く覆い隠してしまう。
 先を歩く背中にBuon Nataleなどと口にしかけて、スクアーロは小さく笑った。
 こんな極普通の日常を甘受してしまったら、くだらねぇと殴り倒されるのがオチだ。

 脳裏を掠めたのは有り得るはずのない真実。
 だから例え聖なる白き夜であっても。

 二人に奇跡は起こらない。


 ・☆;*。Buon Natale゚*;☆・


Fine.


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あきゅろす。
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