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novel
濃紅の果実で遊べ


 精緻な意匠を施した真鍮製のノブに手を掛けると、押し開けた扉の隙間から柔らかなオレンジの灯火と調子外れな旋律が迷い込んでくる。
 そういえば今夜階下の大広間では、万聖節にかこつけた幹部以下のカス共による宴会が催されているはずだった。作り物か幻術か黒い蝙蝠の羽をはためかせ、広間の使用許可と菓子を強請りに来たベルフェゴールの姿を思い出す。
 勝手にしろと一応許可は与えたが、奥まったこの部屋まで届くほどの馬鹿騒ぎは想定していなかった。過ぎたアルコールを含む歌声は餓鬼の喚き声と大差ない。突き抜けのホールにこだました名も知らぬザコ部下の悲鳴にうんざりし、ザンザスは素早く扉を引いて耳障りな騒音を私室から締め出した。
 窓際に寄せたカウチへと踵を返せば、床に点々と転がる空のボトルが目に入る。追加を持って来させるため先刻鳴らした内線のコールは、なるほどあの喧しい騒音に掻き消されてしまったのだろう。憤怒の炎を以って自ら天誅を下すつもりだったが、あの騒ぎを耳にしてはそんな気も失せてしまった。
 程好く馴染んだレザーカウチに身を沈めると、空っぽのグラスを片手にむっつりと唇を歪めた男と相対する。夜を吸い込んだ窓は鏡のようになっていて、淡いキャンドルの灯りがザンザスの姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。
 未練たらしく空のグラスを弄っていても仕方がない。のそりと身を起こしサイドテーブルにグラスを戻す。ついでに上の生ハムだけ綺麗に無くなったブルスケッタの残骸を一瞥すると、ザンザスはその傍らに見慣れぬ柳のバスケットが置いてあることに気付いた。
 束の間訝しげに眉を寄せたが、何のことはない、縁から覗くその濃赤色の果皮はどこにでもあるただの林檎だった。
 気紛れに一つ取り上げ、手持ち無沙汰に軽く手首を捻る。ひょいと目の高さまで上がった禁断の果実は、一瞬視界を赤く染めたきりであっさりと男の掌に落ちてきた。
 旧約聖書、万有引力、ギリシア神話、ヴィルヘルム・テル。史実にしろ偽説にしろ、このごくありふれた林檎という果物には関連する逸話が多い。ありふれている、と思うのは特別目に留めることが出来ぬほど、絶えず近くにあり過ぎるせいだろうか。
 確かハロウィンにも何か関連があるとかで、そうだ、だからルッスーリアが酒と一緒にこれを置いて行ったのだった。鏡と林檎をどうとか未来の伴侶がどうとかやけに力説していた気がするが、端から聞く気もなかったので覚えていない。
「林檎と鏡、か…」
 取り留めもないことを考えるのにも飽きて、ザンザスは先刻捕まえたその林檎にかしりと歯を立てた。鋭い犬歯が薄黄色の果肉に食い込み、溢れた果汁が口端から零れて手首を伝う。抉り取った欠片を数度咀嚼し飲み下すと、ほのかな酸味とさっぱりした甘さが舌に残った。間に合わせの窓鏡が不意に翳り、ザンザスの背後にもう一つの人影が映ったのはそのときだ。
「トリーックオアトリートぉ」
 気だるげな声で語尾を引き伸ばしたのは、誰と問うまでもない、いつも煩く傍らに侍り喧しく大声を上げ、習性がそれを平常と甘受してしまうほど絶えず近くにいる一匹の下等生物だった。
「任務完了だぜぇ、ボス!ハッ、最近のプランは温ィなぁ。Aランク如きオレには2日で十分だ」
 闇色の隊服に夜気の匂いを纏わりつかせ、スクアーロが笑いながら近付いてくる。滞っていた室内の空気が掻き回されて、かすかな冷気がひやりと頬を撫でた。
「…何故てめーがここにいやがる」
「あ゛?だから言っただろうが。任務が早く片付いたから飛行機のチケット取ってとっとと帰ってき」
「ドカスが。そんなことは聞いてねえ」
「んじゃどういう意味だぁ?」
 意味が分からないとばかりに片眉を上げてみせるスクアーロの間抜けづら目がけ、ザンザスは振り返りざまに齧りかけの林檎を投げつけた。
「う゛おぁ゛っ!」
 さっと宙に直線を描いた赤い塊が、細く整った鼻面へ見事にクリーンヒットする。ずしりと重い果実は意外な殺傷力を誇っていたようで、スクアーロは無様に呻きながらその場に崩れ落ちた。
「フン、くだらねぇガキの遊びだ」
 それを見下ろし、満足げに鼻を鳴らしながらザンザスは窓の方へと向き直った。これであの不愉快な白い人影も消えたはずだ。
 そのはずだった。
「……おい」
「う゛お゛ぉ゛ぉぉい!!!」
 窓に浮かんだ影がすぅっと闇に溶けるのと、それを塗り替えるようにして立ち上がるスクアーロの姿が映ったのはほぼ同時だった。
「珍しく果物なんて食ってると思ったらオレにぶつけるためかぁ!手の込んだ真似するようになったじゃねぇかこのクソボスがぁっ!」
「…………」
「っておい、ボス?どうした?」
「…………」
「なんだ?何固まってんだぁ?ボス…う゛お゛ぉい、ザンザス?」
「…………切れ」
「はぁ?」
「今すぐ髪を切りやがれこのドカス!」
「な゛っ!いきなり何言い出すんだぁ!これはオレの誓いだと何度言えば…!」
「うるせえっ!四十越えてまでいつまでも女みてぇに伸ばしてんじゃねぇ!」
「はぁ゛っ!?オレはまだ三十…ってう゛お゛ぉい!そのハサミこっちに寄越しやがれ!マジな目でこっち来るんじゃねぇやめろクソッタレぇぇっ!!!」


 悪魔が世界を支配する晩に。
 暗い部屋に蝋燭を灯し、鏡に向かって赤い果実を唇へ。

 いつか出会う未来の恋人に、Happy Halloween!!


Fine.


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あきゅろす。
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