[携帯モード] [URL送信]

novel
焦茶色の毒を呷れ1


 磨き上げられた銃身が仄暗い夕闇を吸って鈍く浮かび上がる。先端を貫く空洞は地獄の深淵を覗き込んでいるようで、そこから弾き出される炎塊は地獄の業火に等しい。
 眼前を埋め尽くした銃口が一旦視界から消え、硬い感触に変わって眉間に押し当てられた。まだ感じるはずのない熱がジリリと額を焼く。男が戯れのように撃鉄を鳴らしてもスクアーロは眉一つ動かさなかった。
「てめーがオレを裏切るとはな」
 一切の感情を殺し、ぞっとする程の無表情でザンザスが言う。薄い紅唇を細く割いてスクアーロは高々と嗤い飛ばした。
「う゛お゛ぉい!その言い方だとオレを信じてたように聞こえるぜぇ!」
「ハッ、寝言は寝て言え」
 ゆっくりと頬の輪郭を撫でた銃口が、喉元に狙いを定める。下顎の窪みをぐっと突き上げられて息が詰まった。
「何か言い残すことはあるか」
「っ!あ゛るぜぇっ!」
 無理に引き伸ばされた気道を震わせ、スクアーロは傲慢さの滲む三白眼で、ギロリと暴君を睨み下ろしてやった。
「こんの…意地っ張りがぁああああっ!」
 2代目剣帝にまで上り詰めた男が死に際につく悪態にしては、それは余りに幼稚で低俗過ぎたのかもしれない。一瞬虚を衝かれたように瞼を震わせたザンザスが、ぎこちない瞬きで表情を隠す。興ざめしたように逸らされた愛銃はついでとばかりにスクアーロのこめかみを殴り付けてからホルスターへと戻された。
「っ゛でぇ!」
 衝撃でぐらりと視界が傾ぐ。重力に呼ばれるまま傍らのカウチへ倒れ込むと、スクアーロは乱れた銀髪の下に表情を隠し、チッと小さく舌打ちした。
「改心する気はねえようだな」
 音は殺したつもりだったのに、潜めたそれも耳聡い男に拾われてしまったらしい。ゆったりとした造りのカウチが軋み、緩慢な動作でザンザスが乗り上がってくる。元来カウチソファとはそうやって使う物であってここはザンザスの書斎なのだから何も間違いはないが、ふと猛獣の前に放り出された獲物のような感覚を覚え、スクアーロは今度こそしっかり音を立てて舌打ちしてやった。
「クソっ、上手くいくと思ったんだがなぁ!」
「馬鹿が。くだらねーこと考えやがって」
「無色透明で無味無臭だったはずだぁ。なんで分かった」
「フン、毒殺には慣れてる」
 愚者の浅知恵を鼻先で嘲笑い、ザンザスがどうでもいいことのように言う。仰向いた視界が翳り、息の根ごと潰すように喉仏に膝を押し当てられると、狭められた気管が苦しげに鳴った。
「…くっ」
「どいつもこいつも低能なカスの考えることは同じだ。コーヒーの香り如きでオレを欺けると思ったか」
「んなこた分かってるけどよぉ」
「てめーだけは成功するとでも?」
 薄い唇を噛み締め、スクアーロは悔しげに顔を歪ませた。一瞬身を離したザンザスがローテーブルに手を伸ばし何かを掴む。
「口を開けろ」
 男の手にあるそれは、あり過ぎるくらい見覚えのある陶製のコーヒーカップだった。何をされるか瞬時に悟り、スクアーロはぎょっと目を剥いて咄嗟に飛び起きようとした。だが暗殺部隊随一を誇る剣士の俊敏性は、その長に片手であっさり封じ込められてしまう。
「やめ…っ!離しやがれっ!」
「口を開けろ」
 いよいよカップを口元に近付けられ死に物狂いでもがくスクアーロを抑えながら、先刻と寸分違わぬ調子で男が命令を下す。意地でも開けるものかと唇を引き縛ると、手間を掛けさせるなとばかりに鼻を摘まれた。空気の通り道を奪われ尚も暴れ続けていると、急速に息が苦しくなり脳が酸素を欲し始める。
「んぐ…っ、く…」
「そんなんで犬死するつもりか、ドカス」
 おぞましいほど優しい猫撫で声を出し、不意にザンザスが固く引き結ばれたスクアーロの唇を撫でた。
「その足りねぇ頭でよく考えろ。無駄にしぶといてめーはどうせこのくらいの毒じゃ死にやしねぇ。だが悪戯が過ぎたカスザメには仕置きが必要だ」
 誘うように柔らかく撫でられると、触れられた場所からあまり歓迎したくない疼きがぞくりと沸き上がってくる。声を出せない代わりに思いつく限りの罵詈雑言を脳内で吐き散らし、スクアーロはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
「一時の苦しみで済むなら楽なもんだろうが」
 冗談じゃねぇと返す言葉は音にならない。だがそろそろ息の方が限界だった。
「………れ、…す」
「あ?なんだ、遺言か?」
「…っ、後で覚えてやがれっつたんだぁ!このクソボスがぁっ!!」
 最後に放った決死の呪詛も瞬き一つで跳ね返され、スクアーロは傾いたコップの淵から茶色い液体が降り注ぐのを見た。冷めて酸味を増したコーヒーがぼたぼたと口元を汚しながら舌を打つ。中身がなくなるまで注いでしまうと、カップを放り出したザンザスの手がそのまま首を押さえてきた。液体を飲み込み、喉仏が上下したのを確かめられる。
 無駄なことを承知でしばらく足掻き続けていると、ふっと視界が霞むのが分かった。夢と現を彷徨うように意識が朦朧とする。思考が重く鈍り、瞼を開閉させることすら億劫になってくる。
 閉じかけた眦の端で、スクアーロは満足げに唇を吊り上げ、ぞっとするような低い声で笑う死神の姿を見た。
「てめーに後があったらな」


 ぐったりとカウチに沈んだ身体と床まで落ちる銀色の房を眺め、ザンザスはゆっくりと身を起こした。ぴくりとも動かないスクアーロをそのまま放置し、執務机に備えられた内線で呼び出し音を鳴らす。
『はぁい、お呼びかしらボス』
 と甲高い声で応じたのはルッスーリアだ。
「残ってるカスの仕事をレヴィに回せ。書類は今日中に上げろと伝えろ」
『あらあら、その様子じゃ作戦は失敗したのね』
「てめぇもグルだったのか」
『怒らないであげて、スクアーロもあれで一生懸命考えたのよ』
「考えた末の結果が睡眠薬か」
 苦々しげにというより、呆れた口調でザンザスが言う。そうねぇと笑うルッスーリアは、事の顛末がどうなるか見越した上でスクアーロの反逆を楽しんでいたとしか思えない。
『最近忙しかったでしょ。週末にはお誕生日もあるのに、このままじゃ倒れちゃうんじゃないかって随分心配してたみたい』
「…誰の話だ」
『さぁ、誰の話かしら』
 くすくす笑いを続けるルッスーリアに電話機を叩き壊しかけ、ザンザスはふと思い付いたように受話器を持ち直した。
「明日以降の予定はどうなってる」
『ボスの?それともスクアーロの?』
「…両方だ」
 機密情報のスケジュールを読み上げるルッスーリアにいくつか指示を与え、最後に一言だけ付け足す。
「週末は予定を入れるな」
 今度は何かを問い返されることも耳障りなくすくす笑いで茶化されることもなく、Siと簡潔な答えだけが返ってくる。気の回り過ぎる部下は役に立つが、時として酷く不愉快だ。結局舌打ちして受話器を叩き壊し、ザンザスは一方的に通信を切った。
 顔を上げれば、カウチに横たわる無様な銀色の残骸が見える。上下する胸を視認出来るほど呼吸は深く、物音を立てても起きる気配は全くない。余程睡眠薬が強力だったのか、疲労した身体が薬の効果に耐え切れなかったのか。
「てめーに人のことが言えるか」
 暗殺者にあるまじき安らかな寝息に難癖を付け、何気なく自らの言葉を反芻すると、ザンザスは心底うんざりして顔を顰めた。



[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!