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novel
韓紅に傘を差せ


 雨が降っていた。
 身を斬るように冷たく、凍えるほどに冷たい雨が。
 外に出た途端、喧しく鼓膜を叩く雨の音に、ザンザスはチッと舌打ちした。
 前を歩いていた黒服の男が、びくっと肩を強張らせる。左右を固めていた連中も反射的に懐に手を入れかけ、ここがどこであるか思い出したようだ。ジャッポーネの市民病院、それも昼の只中に銃などチラつかせたらどうなるか。
 カスどもが、とザンザスは嘲笑した。半径5メートル以内から一般人を排除し、愛用の銃を取り上げ、護衛とは名ばかりの監視役に四方を囲まれたこの状態に於いてなお、彼らはザンザスを恐れている。
 怯え震える声に促され、ザンザスは車の後部座席に乗り込んだ。いや、乗り込みかけて、それに気付いた。
 降りしきる雨の中、傘も差さず冷雨に身を晒し、銀髪の男がじっとこちらを見つめている。
「…スクアーロ」
 思わず零れた呟きを、黒服の男たちが耳聡く聞き咎めた。一人佇むスクアーロに気付き、監視はどうしたと俄かに騒ぎ始める。
 だが、その声も最早ザンザスには聞こえていなかった。叩き付けるように降る雨の向こうで、スクアーロが小さく笑ったのを見たせいだ。
 先刻の声は届かなかったはずだ。重たく煙る靄のせいで唇の動きが読めたとも思えない。
 それでもスクアーロは笑っていた。
「…、……ス」
 何かを言いかけた唇が一旦閉じられ、少し躊躇ってから別の言葉を綴ったような気がした。松葉杖をついた不安定な足取りで、スクアーロが一歩また一歩とゆっくり近付いてくる。
 途端、弾かれたように周囲のざわめきが大きくなった。ボンゴレにスクアーロの名と実力を知らぬ者はいない。次官がボスの奪還に来たか、と半ば恐慌をきたす黒服たちを蔑むように一瞥し、スクアーロはきっちり5メートル離れた位置で足を止めた。
 挑発するような眸の色もふてぶてしく笑う口元も、今度ははっきり見える。
「よぉ、ボス。いつまで待っても来ねぇから迎えにきてやったぜぇ」
 まるで寝過ごした男をからかうような軽い口調で、スクアーロが言う。
「フン、わざわざツラを見せに来やがるとはな。それ以上近付いたら殺すぞ濡れザメ」
「仕方ねぇだろ、こんなに降るとは思わなかったんだぁ!」
「うるせぇ。身を乗り出すな。水滴が飛ぶ」
「お前がさっさと出てこねぇから悪ぃんだろうが!包帯は濡れるわ髪は重いわ泥は跳ねるわ、」
「ハッ、魚類に屋根の価値は分からねぇか」
「誰がだ!ただあんまり近付くとこいつらがうるせぇと思っ…」
「なら全身包帯まみれで松葉杖ついて雨の中に立つ長髪の男が傍目にどれほど薄気味悪ぃかも理解もできねぇだろうな」
「う゛お゛ぉぉい!そこまで言うかぁ!!」
 どこかわざとらしい怒声で叫んだスクアーロの髪先から勢いよく水滴が飛び散る。不快げに顔をしかめ、ザンザスは頬に飛んだ雫を乱暴に拭った。
「さっさと消えろ、ドカス」
「…るせぇっ」
「……」
「……」
「……」
「……ボス、」
「てめーの汚え泣き顔なんざ見たくもねぇ」
 おぞましいと言わんばかりに吐き捨てると、言われたスクアーロの方もぞっとしたように仰け反った。
「はぁ゛っ?気色悪ぃこと言ってんじゃねぇ!オレに涙なんか流せるわけねぇだろ!」
 お前を救えなかったオレに。
 微かに聞こえてきたのはくだらない幻聴だ。込み上げる嫌悪感に眉をひそめ、ザンザスは犬でも追い払うように手を振った。
「面倒臭ぇ。殺す気も失せた。顔洗って出直して来い」
「だから泣いてねぇっつってんだろうが!これは雨の跡だ!」
「そうか」
「お前を待ってたから濡れたんだぁ!」
「好きにしろ」
「う゛お゛ぉい!なんかオレが強がってるみたいな流れになってるじゃねぇか!訂正しろぉ!」
 しつこく追い縋る声を締め出し、ザンザスは自ら車に乗り込んでさっさと座席のドアを閉めた。くぐもった声は一段と遠くなり、更に強く降り始めた雨に掻き消されていく。ザンザスを乗せた車が慌しく走り出すと、聞こえるのは窓を叩く微かな雨音だけになった。
 伏せた瞼に片手を押し当て、ザンザスは深く息を吐き出した。空いた方の手で肘掛を強く握り締める。
 この手は、孤高にして唯一。最強の炎を灯す絶対の存在だ。それを止まない雨の下に晒し、冷たく凍えた銀色に触れてみたいなどと。
 頬に伝う雫は幻、濡れた瞳の儚さは影。
 だからこの衝動も、ただの気の迷いだ。


Fine.


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あきゅろす。
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