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novel
深緋の罠を破れ


 知らぬふりをするには余りに露骨で、無視するには執拗過ぎた。
 そういえば今日はまだ一度も殴られていないと、気付いてしまったが最後、既に負けは確定している。畜生と口の中で罵って、スクアーロは書棚の整理をしていた手を止めた。
「さっきから何だってんだ、ボスさんよぉ!」
 勢いよく振り返ると、じっとこちらを見据える紅色の双眸にかち合う。机の上には申し訳程度に書類を広げてあるが、右手に握られた万年筆は先刻見た位置から1ミリたりとも動いていなかった。
「あ?何の話だ」
 肘掛けにゆったりと頬杖をつきながら、ザンザスがじろりと眼光を鋭いものに変える。
「しらばっくれんな!今朝からずっとねちねちねちねち、言いたいことがあるならはっきり言いやがれぇ!」
「てめーこそ訳わかんねえこと抜かしてんじゃねえ。文句があるなら言ってみろ」
「っ!」
 ぐっと喉元まで出掛かったセリフを、スクアーロは意地と理性で堪えた。クソッと唇を噛み締め、渋々書棚に向き直る。番号の揃っていないファイルに指を掛けると、うなじの辺りにぴりりとした気配を感じた。
「……」
 まただ。
 溜息をつきたいのを我慢し、努めて書棚の整理に集中する。それでも、ちくちくと背中に刺さる視線からは逃れられなかった。
 今朝からずっとこの調子だ。最初は気のせいかとも思ったのだが、一度振り返って目が合った時に確信した。
 ザンザスが、自分を見ている。
 憤怒とか軽蔑とか嘲笑とか、そんな眼で睨まれることには慣れているが、今日のはいつもと様相が違っていた。業火を煽る熱風のような威圧感は鳴りを潜め、まるでちりちりと静かに燃える熾火に背中を舐められているようだ。
 だからこそ余計に居心地が悪い。生業上人の気配には敏感なだけに、無視したくても本能が先に反応してしまう。
 スクアーロが気付いていることは、ザンザスにも分かっているはずだった。それでも気にする素振りを見せないのは、単なる嫌がらせのつもりだろうか。
「…っ」
 またぴりっと、うなじの毛が逆立った。
 ほんの少し首を傾け、スクアーロはザンザスにバレないよう背後を盗み見た。
 すると、まるでそれを待っていたかのようにザンザスの視線がスクアーロを絡め取り、薄く開いた唇の奥でからかうように赤い舌がちろりと閃く。
「な…っ!」
 カッと一気に体温が上昇し、スクアーロは思わず声を出してしまっていた。してやったりと言わんばかりに頬を歪めたザンザスが、満足げに喉を鳴らして嘲弄する。
「フン、間抜けなドカスが」
「こんの…性悪クソボスっ!」
 腹立ち紛れに力一杯声を張り上げ、スクアーロは叫んだ。
 畜生が。こんなことなら遊ばれていると解った時点で言ってしまえば良かった。
 自意識過剰と嘲笑されるのがオチだと、余計な気を回した自身の浅はかさにうんざりする。
 もうやめろ。
 そんな眼で。
 そんなにも真直ぐな瞳で。
「オレを見るんじゃねぇえええ!」


Fine.


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