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novel
蝋色の夢を払え


 ふと無性に腹が立って、ザンザスは飲みかけのテキーラをボトルごと放り投げた。
 最短の軌道を描いたそれは真っ直ぐ反対側の壁まで届き、ガシャンと音だけは派手に呆気なく砕け散った。大理石の床を透明な液膜が覆い、アルコールの刺激臭がつんと鼻粘膜を刺す。
 だが一度割れたボトルはそれ以上ぴくりとも動かず、しんと耳に痛い静寂に一層苛々が募った。
 違う、と唐突にザンザスは思った。
 眼前の光景に違和感を覚えるということは、ここに何かが欠けているということだ。
「どこにいる」
 口を開けばするりと勝手に言葉が零れた。
 在り処ではなく居場所を問うたのは、別段故あってのことではない。なのに疑念を挟む余地もないほど、それはしっくり舌に馴染んだ。
「そんなヤツここにはいないよ、ボス」
 いつの間にか目の前に現れたベルが、さも愉快そうにクスクスと笑う。揺れ定まらぬ影は酷く曖昧なのに、やけにはっきり響く声が印象的だった。
「いても煩わしいだけなら、最初から出会わなければいいのさ」
「ボスの望みは全てオレが叶える。何なりと命じてくれ、ボス」
 ふわりと現れたマーモンが肩を竦め、レヴィが力強く頷く。カツリと靴音を立てたルッスーリアが、抑揚のない声で静かに問うた。
「それとも、ボスはあの子が欲しいのかしら?」


 津波のように膨れ上がった闇が一気に遠去かり、ザンザスは目を開けた。
 見慣れた寝室の光景に夢かと思う間もなく、血色を宿した眼球が勝手に傍らを探る。
 目に映ったのはグシャグシャに乱れたシーツと脱ぎ捨てられた一人分の服。微かに乱れた自分の呼吸音が嫌になるほど煩わしかった。
 額に張り付いた前髪をかき上げ、湿った感触を拭う。ギリッと奥歯を噛み締め、ザンザスは固めた拳をベッドに振り下ろした。ドスッという重い音に小さな金属音が重なったのはそのときだ。
「お゛わっ!な、なんだぁ?」
 声のした方に目をやると、バスローブを羽織ったスクアーロが驚いたようにこちらを見ている。
 ちょうど部屋の中央で視線がかち合うと、スクアーロは気圧されたようにじりっと後退った。
「あー…悪ぃ、起こしたか?」
 どうやらザンザスの眠りを妨げたせいで不興を買ったと思ったらしい。
 先刻の不快な夢の名残が顔にも表れていたのだろう。そう気付いたが口には出さず、ザンザスはじっとスクアーロを睨み据えた。
「来い」
 短く命じると、ほんの一瞬躊躇うように視線をさまよわせ、渋々ながらもスクアーロはザンザスの言に従った。
 手を伸ばせば届くかどうか、という位置で諦め悪く足を止めたスクアーロを、有無を言わさずベッドに引きずり倒す。
「おぶっ!」
 腕を取られバランスを崩したスクアーロが、柔らかなシーツに顔面ごとダイブする。暴虐に抗議すべく即座に起き上がった頭をもう一度ベッドに沈めてから、ザンザスは濡れた髪を鷲掴みにして無理矢理顔を上げさせた。
「…にしやがる、このクソボスっ!」
 色素の薄い虹彩の裏で、隠し切れていない殺気がちりちりと燃えている。その強く美しい輝きをいつでも握り潰せるのだという優越感は、何にも代えがたい悦楽だ。
 不意に掴んだ銀糸を解放し、ザンザスは緩く広げた指の腹でほっそりした顎のラインをなぞった。肉付きの薄い頬を軽くつねり、ひんやりした耳朶を優しいとさえ言える手つきでくすぐる。
 触れる度感じる確かな存在感が、欠けた夢の残滓を追い払う。
「…おい、…?」
 突然の行為に目を白黒させながらも、小振りの脳しか持たぬ海洋生物は無防備な間抜け面を晒して大人しくしていた。
 他人の眼前に急所を晒すなど、生き物としての危機感が欠落しているとしか思えない。戯れにこの首を締めてやったら、本能的な恐怖を思い出すだろうか。
 密かな計画を立てつつこめかみから眦へと指を滑らせると、怯えたように震えた瞼が慌てて瞳を庇い伏せた。
 細く弱い睫毛の感触は長く伸びた銀髪より柔らかく、思いがけず触り心地がいい。気に入りの玩具を何度も撫でていると、どこか不安げな声がぽつりとザンザスの名を綴った。
 はっとしたように手を止め、ザンザスは反射的にスクアーロの頭をベッドへ叩き付けていた。
「ぶふっ!…う゛お゛ぉぉい!!何なんだ今日はぁっ!!」
 この数分間で3回もシーツとキスさせられたスクアーロが、クワッと目を吊り上げて怒り出す。フンと鼻を鳴らしつつ思い切り顔をしかめて、ザンザスは不愉快そうに吐き捨てた。
「てめーは…いてもいなくても同じだ」
「な゛っ!んだとぉ!そりゃどういう意味だぁぁっ!!」
 またギャーギャーと騒ぎ出すスクアーロを無視し、乱れたままのベッドに身体を横たえる。
 子守唄にはなるべくもない喧しい声は、ザンザスが目を閉じてもまだ喚き続けていた。
 いてもいなくても、変わらない。
 実に煩わしく、騒がしく、鬱陶しい。
 この手を伸ばし引き寄せて確かめて、殴らずにはいられない程に。


Fine.


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あきゅろす。
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