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novel
迷子のような航海


 地の底から沸き上がるような重低音が終始聴覚を遮っている。潮騒に紛れてこちらへと近付いてくる足音が聞こえ、スクアーロは口の中で小さく舌打ちした。
「面倒なことになったぜぇ」
 黄昏の夕闇が紫紺に染まる頃、スクアーロはイタリアの片田舎にある小さな港町にいた。
 古くからボンゴレの支配下にあるこの町で、近頃違法ドラッグを売り捌いている命知らずの組織があるという。スクアーロの任務はそのアジトへ侵入しボスを始末すること。ザコ新兵に任せてもいいくらい至極簡単な任務だ。
 実際潜入から標的の始末まで掛かった時間は十数分。そのまま誰にも見つからず脱出して任務は成功…するはずだった。
 食事に出ていた警備の者たちが予定より早く戻って来なければ。
「いっそ全員かっさばいちまうか」
 そう思って何度剣を振り上げたことか。しかしその度にギリギリでなけなしの理性が働いた。
 命を狩ることをためらったのではない。勝手な真似をして本部へ帰還した後のことを考えたせいだ。
 錆び付いたコンテナの間に細身の身体を押し込めて、スクアーロは懐から携帯電話を取り出した。
 機密保持のためアドレスなどの類は一切登録されていない。暗記した番号を手早く打ち込んで電子音に耳を澄ます。2コール目も鳴り止まぬうちに、相手が受話器を取った。
「遅え」
 聞こえてきた第一声が、これだ。反射的に舌打ちしそうになってスクアーロは寸前で思い止まった。残念ながらそう言われても仕方のない状況なのは、自分でも重々承知している。
「悪ぃな、ボス。…こっちにもいろいろあってよぉ」
 ひそりと声を低めると、受話器の向こうでもこちらの異変に気付いたのだろう。ザンザスが不機嫌そうな声音は隠さぬまま、何があったと尋ねてくる。
「途中で戻って来た警備の連中と交戦になった。そいつら撒きながらあっちこっち走ってたら港に出ちまって」
「今どこにいる」
「船の中だ。行き先はわからねぇがな」
 追っ手をやり過ごそうと停泊していた船に身を隠したはいいが、連中がまだ港をうろうろしている間に肝心の船が離岸してしまったのだ。
「呆れてものも言えねえな、カスが。てめー何年この仕事やってんだ。全員かっ消しちまえばよかったものを」
「う゛お゛ぉい!後始末が面倒だから余計な殺しはすんなって、お前が言ったんだろうが!」
 思わず大声を出してしまい、はっとして周囲の気配を探る。幸い誰かに気付かれた様子はないようだ。
「とにかく、荷の様子から見るにこいつは地元の貨物船ってとこだ。また近くの港に停泊するだろうから、その後で……ザンザス?」
 突然ザザッと耳障りな音が入り、微かに聞こえていたザンザスの息遣いが、分厚いフィルターを掛けられたような無音に変わった。
 どうやら海上に出たせいで、携帯の電波が届きにくくなったらしい。
「チッ、こんなときに」
 どうにも今日はついていない。がしがしと頭を掻き毟りたい衝動に駆られながら、スクアーロは受話器の向こうに呼びかけた。
「おい、ボス。ザンザス、聞こえてるか」
 再び断続的に雑音が混じり、男の声が途切れ途切れに鼓膜を揺らす。
「…っと…、って…い、…ス……」
 それきりプツリと音声が途絶え、しばしの後に無情な電子音が響いた。受話器を離して画面を確認してみるが、一度張り付いた圏外の表示はしばらく消えてくれそうになかった。
「クソッ、肝心なときに役に立たねぇ!」
 一先ず連絡は後回しにして船の行き先だけでも確認しておこうと、スクアーロはコンテナの隙間から船内の様子を窺った。
 武装の類は一切ない、ごく普通の小型船だ。乗組員も鍛え抜かれた兵士ではなく、平穏な生活を送っている一般人ばかりだろう。
 乗っ取ろうと思えば簡単だが、それではただの海賊になってしまう。ボンゴレの独立暗殺部隊が素人相手に略奪行為なんて、笑い話にもならない。
 少々面倒だが、気配さえ消してじっと身を隠していれば見つかる心配はないはずだ。もう一度コンテナの隙間に潜り込み、スクアーロは膝を抱えるようにして冷えた床に腰を下ろした。
 しばしの休息を得ようと目を閉じると、不意に右手がぶるぶると震えだす。そういえば携帯を握り締めたままだったことを思い出し、慌てて画面を開いた。
「なんだ、メールか」
 表示は相変わらず圏外だが、何かの拍子で電波が入ったのだろうか。まさかあのザンザスがわざわざメールなんて面倒なものを寄越すとも思えず、首を傾げながらキーを操作する。
 やはり、送り主はルッスーリアだった。
『はぁいスクアーロ。なんだか大変なことになってるみたいね、大丈夫?でもね、こっちはこっちで大変なの。ボスったらもうご機嫌サイアクで、あなたが今から2時間以内に戻らなかったら殺れって息巻いてるし、レヴィはいそいそと準備始めちゃってるし。だからね、早く戻ってらっしゃいな』
 洩れそうになる笑いを噛み殺して、スクアーロはもう一度メールを読み返し、記録が残らないよう手早く削除した。ついで先刻の通話履歴も削除し、まっさらの状態に戻しておく。
「残り2時間か。こいつは是が非でも戻らねぇとなぁ!」
 ククッと喉奥で笑って、ああ、そうじゃなかったなと思い直す。
 戻るのではない、帰るのだ。あの場所に。ザンザスの居る場所に。
 携帯の電波が切れる直前、スクアーロは確かにその声を聞いていた。
『とっとと帰ってこい、カスザメ』
 あの言葉が聞き間違いだったなんて、言わせるものか。


 いつ果てるとも知らぬ氷の海に漂い、欠けることさえない牙を研ぎながら水面下で息を潜めていたあの頃。
 幾重にも覆われた氷を一瞬で溶かしたのは、暗闇に浮かぶ灯と呼ぶには眩し過ぎる劫火だ。
 故に二度と見失うことはない。二度と失わせることもない。

 さあ迷い子たちよ、あの炎を目指せ。
 安寧に縋る者には決別を、修羅を恐れぬ者には地獄を。
 命を削り、魂を焦がし、いずれ訪れる最期の刹那に、お前は誇りの意味を知るだろう。


Fine.

*XSonly企画spiral様提出作品

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