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novel
cravatta nera


 鏡に映った見慣れた顔がぶすっと膨れている。左右逆に見える鏡というのは便利なようでいて意外に不便だ。右手を動かしたつもりだったのに左手があらぬ方向へと動いて、スクアーロは苛立たしげに舌打ちした。
 その音を聞き咎めたように、開け放したドアの向こうから黒髪の少年がふらりと姿を現した。いつにも増して不機嫌な顔を鏡の端に見留めて、スクアーロは更に五発くらい舌打ちを追加したくなった。
「遅えぞ、ドカス」
 いつの間にか馴染み始めた不本意極まりない呼び名に渋々振り返り、不承不承「悪ぃな」と口にする。
「ネクタイが上手く結べなくてよ」
 言い訳に聞こえないよう素っ気なく言うと、ザンザスが一瞬不愉快そうに片目を眇め、ジロリとスクアーロの左手を見たのが分かった。
 先日の戦いで切り落とした左手首の先には真新しい義手が装着されている。役に立てるのか、というザンザスの言葉に反発するように暇さえあれば剣を振るっているお陰で、剣技に関しては元の感覚を取り戻しつつあった。だが逆に日常生活の他愛ない動作においてはまだ些か戸惑うことも多い。
 ちらりと腕時計を確認したザンザスが口汚く吐き捨てる。
「カスが。パーティーが終わっちまうだろうが」
「先に行けぇ御曹司。オレはともかくお前は顔出しとかないとマズイだろぉ」
 今日これから出席する予定だったのはボンゴレで催されるごく内輪のホームパーティーだ。この男がそんなくだらない催しに興味を惹かれるはずもないが、九代目直々のお声掛かりとあらば顔ぐらい出しておかないと後々面倒なことになる。
「それが出来たらとうにそうしてる」
「つーかなんでオレまで呼ばれんだぁ?今日のパーティーには幹部の奴らが集まってんだろ?」
 そんな場にボンゴレとしては新米の自分が、しかも独立暗殺部隊という特殊な組織に在籍する自分が呼ばれる理由が分からない。
「オレが知るか。訳はクソジジイにでも聞け」
 面倒臭そうに言ったザンザスが、ドアに凭れていた身をのそりと起こして、くいくいと指先を動かした。猫や犬でも呼ぶようなその仕草は、こっちへ来いということだろうか。
「あ゛?なんだよ」
 またもや結び損ねたネクタイを腹立ち紛れに引き抜いて、スクアーロは呼ばれるままザンザスの元へと近付いた。
「寄越せ」
「う゛ぉ…?」
「じっとしてろ」
 スクアーロの手から皺くちゃのネクタイが奪い取られる。次いでザンザスの手が首元に触れたときは首でも絞められるのかと思った。だが身を硬くしたスクアーロの眼前で、しゅっと小気味良い音を立てて手際よくネクタイが結ばれていく。
 最後にきゅっと少しきついくらいに締め上げ、ついでにスクアーロの身体を引き寄せてザンザスが言った。
「てめーに施してやるのはこれが最後だ。今度オレの手を煩わせたらかっ消す」
「…お、おう」
 妙な居心地の悪さを感じてスクアーロがぎこちなく頷き返すと、一瞬顔を顰めたザンザスがスクアーロの身体を突き飛ばした。小さく声を上げてたたらを踏んだスクアーロが、文句を言いかけて口を開く。顔を上げた瞬間、不愉快そうに自分の手を見下ろしていたザンザスも同時にこちらを見て、空中で二人の視線が交錯した。
 口を半開きにした間抜けな顔のまま、スクアーロが硬直する。ありとあらゆる思考が頭の中でぐるぐる回って、どれを言うべきか分からなくなった。
 背筋がむず痒くなるような居た堪れなさを持て余し、何故か焼きごてを押し付けられたような頬の熱さまで加わって、ぐつぐつと脳が沸騰する。
 あ、とか、う、とか意味の為さない言葉を発するスクアーロに対し、先に声を取り戻したのはザンザスの方だった。
「行くぞ」
 さっと踵を返し、スクアーロが付いて来ることも確かめずに歩いて行く。その背中が角を曲がって見えなくなったところで、スクアーロはようやくはたと自意識を取り戻した。
「お、おう!」
 誰もいない部屋に返事を残し、たっと床を蹴ってザンザスを追いかけて行く。
 伸ばすと決めた銀髪はまだ短く切り揃えられたままで、スクアーロが歩を刻むたび弾むように跳ね上がった。
 一度見失った背中はまだ見えてこない。


「う゛お゛ぉい!早くしろぉ!」
「うるせえ」
 扉の陰から顔を覗かせざま間髪入れず飛んできたグラスを、スクアーロは奇跡的に持ち前の瞬発力で避けた。
「っぶねぇ、スーツが汚れるだろうがぁ!」
 乱れた襟を正しながらソファで寛いでいるザンザスに近付く。
「そろそろ時間だぜぇ、ボスさんよぉ」
「オレに指図するな。てめー一人で行って来い」
「そうはいくかぁ!今日は是が非でもお前を連れて来いって言われてんだからなぁ!」
 マフィアにはマフィアの、ボンゴレにはボンゴレのルールというものがある。対外的にはあくまで九代目の息子という立場にあるザンザスには、同盟ファミリー間の平穏を保つため疎かに出来ない集会やらパーティーやらが数多く存在していた。
 …とかいう話を幹部連中に延々数時間掛けて説かれ脅され、最後には泣きつかれんばかりに拝み倒されたスクアーロは、吐きたい溜息を我慢して腰に手を当てた。いざとなれば引き摺ってでも連れて行く覚悟で、きっと目を吊り上げザンザスを見下ろす。
「さっさと立てぇ!クソボスがぁ!」
 ちらりとスクアーロを見たザンザスが、すっと音もなく立ち上がった。まさかこんな素直に言うことを聞いてくれるとは思わず、意気を殺がれたスクアーロが思わず一歩後ずさる。
「お、おう、じゃあ…」
 行くか、と言いかけたスクアーロの目の前で、ザンザスが自分のネクタイに指を掛けた。だらしなく緩んでいたそれは呆気ないほどにしゅるりと解かれ、ひらりと床に落ちる。当て付けるように最後にふんと鼻を鳴らされて、スクアーロは脳内の血管が数本ぶち切れた音を聞いた。
「んの…っ、ガキかてめぇはぁ!」
 床に落ちたネクタイを乱暴に拾い上げ、ついてもいない埃を払ってザンザスの首元に手を回す。
 ふと既視感を覚えて、スクアーロは小さく笑った。
「そういや前にもこんなことあったなぁ。覚えてるか?」
「忘れた」
「だろうな」
 当然の如く即座に否を切り返され、今度は声を立てて笑う。器用にネクタイを結ぶスクアーロの手を見下ろしながら、ザンザスが不意に言った。
「おい、ドカス」
「あー?」
 あっという間に結び終えたネクタイを整えつつ、スクアーロが気の抜けた返事を返す。それが気に食わなかったのか、ザンザスが焦れたように片手でスクアーロの顎を掴み上げ、無理矢理に視線を絡ませた。
 至近距離から紅い瞳で見据えてしまえば、スクアーロが身動ぎさえ出来なくなることなど百も承知。長い付き合いの中で弱みを知り尽くした男が、ぞっとするような色気を滴らせて低く囁く。
「施しだ。上手に出来た褒美をくれてやる」
 骨張った親指がゆっくりとスクアーロの唇をなぞる。一瞬淫らな想像が脳裏を過ぎって、スクアーロは不本意にもさっと顔を赤くした。それを見たザンザスが吹き出す。
「なに想像しやがった、ドカスが」
「っ!うるせぇ!てめぇが変なこと言い出すからだろうが!」
「淫乱ザメが。オレに口答えしてんじゃねえ」
 割り開いた唇の隙間から指を差し込み、黙らせるように柔らかな粘膜をなぞる。唾液で濡れた指先をスクアーロの唇でぬぐって、ザンザスは微かな笑みを形作るように口端を上げた。
「おあずけだ。夜まで待て」
「…オレは犬じゃねぇぞぉ」
 スクアーロが悔しげに呟くと、ザンザスが満足そうに目を細める。
「行くぞ」
 声を掛けただけでさっと踵を返し、部屋を出て行く。その背中に先刻と同じ既視感を蘇らせながら、スクアーロはククッと喉奥で笑ってザンザスの後に続いた。


 覚えているのは変わらぬ視線の高さ。意志の強い瞳。揺るぎない後姿。
 伸びた髪の代わりに、持て余していた距離を切り捨てて。
 遠く離れた背中の記憶を、前を見据えた横顔で塗り替えて。

 ただ触れる温もりの意味だけを、きっと互いに知らない。


Fine.


10-12 22:02 甘々リクエストの方へ捧げますw
ありがとうございました!


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あきゅろす。
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