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novel
濡羽色の印を刻め1


 ゆらゆらと漂う波が光をかき乱し、深い水底に沈むのは朧な糸筋ばかり。
 眠らない脳の記憶中枢でそれを眺めながら、スクアーロはふと身体の力を抜いた。
 沈んだ身体が水面へと浮かび上がるように意識もつられて覚醒する。重たい瞼をゆっくり開くと今度は白く乱れた布の波が目に入った。
 うつ伏せていた唇に長い髪が纏わりつき、それが酷く鬱陶しい。絡んだ髪を解こうと右手を動かし首を傾けた瞬間、
「ぐぁっ!」
 身体の最奥から脳天を貫くような衝撃が走って、噛み締めた口端から声にならない悲鳴が漏れた。
 剥き出しになった全身の皮膚が冷え切っているのを感じ、それでようやく自分の置かれている状況を思い出す。あ゛ぁー…と呻きながら暖炉の上の置時計を確認すると、事の起こりがつらつらと思い出されてきた。
 確か任務報告のため我らがヴァリアーボスの元を訪れたのがちょうど3時間前だ。
 ウイスキーを傾けながらスクアーロの話を右から左へと聞き流していたザンザスに形だけの報告を済まし、とっとと部屋を出て行こうとしたところを呼び止められたのが2時間53分前。
 振り返った顔面に飛んできたグラスが直撃し、う゛お゛ぉい!といつも通り噛み付き返した瞬間、ザンザスのこめかみが引きつったのを見たのが2時間52分前。
「……ぐ」
 そこから先は、あまり思い出したくない。
 最初に引っ掴まれてベッドに張りつけられた手首にはくっきりと赤い指の跡がついている。恐る恐る身体の向きを変えると奥に注ぎ込まれた残滓がどろりと太腿を伝うのが分かった。
 実際に見ることは出来ないが、自分のそこが無惨にめくれ上がり腫れぼったくなっているのは確実だ。下手をすると中が切れて血が滲み、白濁と混じり合って気味の悪い桃色を垂れ流しているのかも知れない。
 その原因を作った張本人は、やるだけやって気が済んだのかどこにも姿が見えなかった。
 シーツに触れてみるとスクアーロが寝ていた場所以外は既に冷え切っているから、行為の途中で気絶した自分と二人分の汗と精液でぐちゃぐちゃになったベッドを見限って、どこか別の部屋で休んでいるのだろう。
 もっとも、あの男に後始末なんて期待する方が間違っている。大体こんな下らないことで人並みの気遣いを利かせたら、もはやそれは自分の知っているザンザスじゃない。
「ってぇ…」
 ずきずきと走る激痛を口に出して誤魔化し、力の入らない腰を叱咤して腹にへばり付いたシーツを引き剥がす。
 いつの間にか義手に嵌めていた黒革の手袋がなくなっているが、両手を押えつけられていた時にでも捩れて脱げてしまったのだろう。
 他はどうせ隠す必要もないのだからと全裸を晒したまま、スクアーロは備えつきの浴室へと続く扉を押し開けた。
 ヴァリアーボスの部屋だけあって浴室の中は広く快適だ。いつの間にか使い慣れてしまったシャワーのコックを捻り、ぬるめの湯を頭からかぶる。
「あ゛ぁ?」
 首筋から水流が肌を伝っていくと、ぴりぴりと強めの静電気を押し付けられたような痛みが走って、スクアーロは訝しげに自分の身体を見下ろした。
「んだこれ…」
 身体のあちこちに点々と細かく並んだ赤い痕が刻まれている。既に血が乾いて固まっているのもあるし、じわりと新しい血を滲ませている傷もあった。
 キスマークなんて生易しい代物じゃない。鋭い犬歯で皮膚ごと噛み切られた痕だ。
 あまり日の当たらない腹部から太腿の辺りにかけては、そうでなくとも人より白い肌が一層白くて、赤く彩られた華の痕がやけに映えて見えた。
 あの男に暴虐の限りを尽くされるのは今に始まったことではないが、これほどまでに酷い情事の痕跡を残されるのは珍しい。
「そういや今日はやけにしつこかったなぁ…」
 湯の温度に馴染んで痛みを感じなくなった傷を辿り、何かあの男の気に障ることでもしただろうかと首を捻る。だが、特に思い当たることはなかった。
「またいつもの気まぐれかぁ」
 仕方なそうに肩をすくめ右手を後ろへと伸ばす。あまりやりたくないが処理しておかないと困るのは自分だ。
 仕事柄痛みには耐性があると自負しているものの、この部分の痛みにだけはどうしても慣れない。ぎりっと歯を食いしばって一気に指を2本差し入れ、孔を広げるように出し入れして白濁を掻き出す。
 次から次へと呆れるくらい溢れてきて、一体どれだけ責められていたんだろうとぼんやり思う。湯とは違う感触が指先に触れなくなるまでそれを繰り返すと、スクアーロは詰めていた息をほっと吐き出した。
 不意にガチャリと浴室のドアが開き、籠もっていた湯気がざあっと逃げるように薄まった。
「う゛ぉ!」


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あきゅろす。
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