[携帯モード] [URL送信]

novel
真紅の聖夜を砕け


 黄金を散らしたような燐光が街中に降りそそいでいる。あちこちから美味しそうな香りが立ち上り、賑やかな音楽に合わせて人々の笑い声が弾ける。小さな教会からやけに古めかしい発音の聖歌が聞こえてくると、ナターレもいよいよ本番という感じだ。
 地元に不慣れな観光客の人込みを縫って歩を進め、スクアーロは人気のない路地裏にするりと身体を滑り込ませた。
「う゛お゛ぉい!裏口と侵入経路の確認、終わったぜぇ」
 表通りの煌びやかな喧騒とは裏腹に、話す内容は物騒極まりない。
「報告書通り狙い目はミサの後だな。どうせファミリーの息が掛かった教会だ、多少派手にやったところで向こうが勝手に揉み消してくれるだろうぜぇ」
 今回の任務は以前から目を付けていた敵対ファミリー幹部の暗殺だった。逃げ足と雲隠れだけは得意な男だったが、ナターレ当日ならば確実に姿を現すだろうと予測し、こうしてヴァリアーの次官たるスクアーロが直々に下見に来ている。
 それも珍しい同行者を連れて、だ。
「おいボス、聞いてるかぁ?…ザンザス?」
 返事どころか気配すらないことに首を傾げ、スクアーロはもう一歩暗闇の中に足を踏み入れた。すると、安っぽいワインに混じって芳しいスパイスの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「なんだぁこの匂いは」
 つられるように顔を寄せると、鼻先に何かがぶつかりそうになった。反射的にパッと身を引いたが、噎せるようなアルコールの香りがつんと粘膜を刺す。
「ヴァン・ブリュレか。お前にしちゃ珍しいな」
 暗がりに不恰好なマグカップを認めてその正体にようやく思い至ると、スクアーロは求めていた人物が自分のすぐ傍らに立っていることに気が付いた。少しでも身動ぎしたら腕が触れ合ってしまいそうな距離だ。いくら相手が相手とはいえ、これほど近くに寄るまで気付かなかったなど、暗殺者としての矜持に関わる。
 悔し紛れに舌打ちして、スクアーロはふいと横を向いた。
「んなもん飲むほど寒いなら、車で待ってりゃ良かっただろうが」
 もっとも、この男に子供じみた誤魔化しなど通用するはずもない。考えの浅さを嘲笑するように、ザンザスはククッと喉奥で笑って、手の中のカップを揺らした。
「カスが。こんな安酒欲しさに、このオレがわざわざ出向いてくるとでも思ってんのか」
「あ゛?酒なら車にいつものウイスキーが用意してあっただろぉ?」
 自分が部下に命じて用意させたのだから間違いない、とスクアーロは眉を顰めた。
 そもそも今日の下見も当初はスクアーロ一人で来る予定だったのだ。それを出立直前になって何を思ったか、ザンザスが表に車を回せと騒ぎ出し、運転手役の部下を無理矢理引き摺り下ろしてスクアーロに運転をさせ、到着したかと思ったら下見に同行するでもなくこんな路地裏でワインなんぞを飲んでいる。
 だいたい余程の上物でもなければ日頃ワインなんて口にしないくせに、こんなマーケットの端で売っている安酒のどこが気に入ったのだろう。
「まだ戻らねぇなら、そっちの酒も取って来てやるぜぇ」
 言いつつ既に身を翻しかけているスクアーロを、ザンザスの短い否定の言葉が止めた。ならばもう帰るのかと思いきや、凭れた壁から身を起こす様子もなく無言でカップを弄んでいる。
「そんなに美味いのか?」
 ザンザスがこんな路地裏に留まりたがる理由はそのワインくらいしか思い当たらず、スクアーロは純粋に不思議そうな顔でカップの中を覗き込んだ。
 ふわりと立ち昇った湯気はまだたっぷりとアルコールを含んでいて、癖のある香辛料の香りをレモンの切れ端が中和している。確かに味は悪くなさそうだが、御曹司育ちで舌の肥えたザンザスのお気に召すとも思えない。
 鼻をひくひくさせながら首を捻っていると、スクアーロの眼前にぐいっとマグカップが押し出された。
「あ?」
 それきり動かないマグカップの意味は、飲め、ということだろうか。自分の顔はそれほど物欲しげに見えていたのかと、スクアーロは小さく苦笑した。
「いや、やめておくぜぇ。一応これから運転して帰らなきゃならねぇからな」
 これくらいのワインで酔うはずもないが、ノエルも間近なこの季節、下手に検問にでも引っ掛かって車を没収なんてことになったら洒落にもならない。
「フン、ドカスがいっちょまえの口利きやがって」
「お前の車ならともかく、今日は公用車で来てんだ。何かあったらマズイだろうが」
「ここはイタリアだ。どうせオレたちに手は出せねえ」
「う゛お゛ぉい!癒着を堂々と宣言すんなぁ!」
「てめーはもう黙れ」
 うるさげに顔を顰め、ザンザスは少し冷めかけたワインを呷った。やっぱりその味が気に入ったのだろうかとスクアーロがぼんやり思っていると、突然伸びてきた手に思いきり髪を引っ掴まれる。
「ん゛うっ!」
 そのまま首筋を滑った手はスクアーロの後頭部を押さえ、ついでのように何か柔らかなものが唇に触れた。
 まさか、とスクアーロは閉じ忘れた目を零れんばかりに見開いた。パチパチと瞬きを繰り返して焦点を合わせると、あまり人に知られていない綺麗に揃った睫毛の下で、燃えるように紅い瞳がこちらを見据えている。暗く翳った眼光を表通りのイルミネーションが払うと、けぶるような情欲があらわになった。
 傍若無人な舌先が抉じ開けるように唇を開かせ、濡れた感触と共に生温い液体が一気に流れ込んでくる。濃厚なアルコールと鼻腔を溶かすスパイスの香りに、頭の芯がくらりとした。
「ふあ…っ、ん…」
 思わず声を漏らした瞬間、溢れて零れそうになる唾液を、慌ててザンザスの舌ごと絡め取り吸い上げる。自らの口中に引き込んで赤ん坊のようにちゅくちゅく吸っていると、間近に合わせた視線の先で、ザンザスが興味深そうに目を細めたのが分かった。
 ワインと唾液が混じり合い、舌先に甘ったるく感じられるそれをこくりと飲み込む。思った以上にいやらしく喉が鳴って、カッと顔が熱くなった。
「…は、っふ…」
 息が続かず名残惜しげに離れた舌が、ねっとりと濡れた糸を引く。ぷつりと切れたそれをスクアーロが舐め取ると、ザンザスが今度は低く声を立てて笑った。
「気に入ったか、ドカス」
「…まぁ、悪くはねえぜぇ」
 ぬるく安っぽいワインの味も、滅多に味わえない特別なキスの味も。
「だが、まだ捕まるほど酔っちゃいねぇ」
 ザンザスの手からマグカップを引ったくり、スクアーロはその残りを一気に呷った。喉が焼けるような熱さを吐息と一緒に吐き出し、両腕をザンザスの首に回す。
 鬱陶しげに振り払われたら今夜はここで終わり。だが、もしこの手を振り払われなかったなら。
 ふと男の肩越しに空のマグカップを見つめ、スクアーロは目を眇めた。ざらざらと粗い表面には色鮮やかなナターレのモチーフが描かれていて、訪れた観光客には良い思い出の品になるだろう。…だが。
「今のオレたちには邪魔だなぁ」
 すっと手の平を滑らせ、スクアーロは手にしていたマグカップを地面に落とした。ガシャンと鈍い音が響いて、粗末な陶器が粉々に砕け散る。
 割れたカップに用はないといわんばかりに、ザンザスは一瞥さえすることなくスクアーロの身体をぐっと引き寄せた。もう一度確かめるように触れ合った唇が、すぐに貪るようなキスに変わる。


 一年でもっとも街が賑わう、輝きの聖夜を迎える前に。
 誰の目も届かない路地裏の奥で、一夜限りのプレゼントを。


・☆;*。Buon Natale゚*;☆・


Fine.


[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!