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novel
灰青の虚飾を外せ


 視界を埋め尽くす紅蓮の炎。鼻をつく不快な刺激臭。
 靴底でざらりと踏み潰した灰燼は、数分前まで人の形を成し、立って歩いていたものだ。
 それをつまらなそうに一瞥し、ザンザスは無線機に向かって撤退の指令を下した。


「ふーん、これがボスの欲しがってたモスカの設計図ってやつ?」
「正確にはモスカシリーズの最新型、ゴーラ・モスカだよ。苦労して手に入れたんだからあまりイタズラしないでよ、ベル」
「言うじゃん、クソガキ」
 広げた設計図の端をこれ見よがしにベルがナイフで突つく。傍らで作戦の成果を満足げに反芻していたレヴィがそれを目にして悲鳴に近い声を上げた。
「き、貴様!それがどれほど重要なものか分かっているのか!ボスの計画を妨げる者は誰であろうと…」
「とかいって、作戦の目的にも気付いてなかったくせに」
「なぬ!」
「やっぱ使えねーなこのタコ」
「タコ!?」
「はいはーい、その辺にしておきなさいな。ベルちゃんもレヴィも。無事終わったんだからそれでいいじゃないの」
 パンパンと手を打って間に立ったルッスーリアを、ソファに埋もれそうな小さな影が見上げる。
「そういうルッスーリアもボスの目的には薄々感づいてたんだろう?」
「まぁ、何か気になることでもあるのかしら、っていう程度にはね。本当の計画を知らされていたのはマーモンちゃんとスクアーロだけだったっていうし。けど私は、またみんなで戦えただけで十分楽しかったわ」
「ほら、やっぱり何にも気付いてなかったのはボケタコだけじゃん」
「ボケ追加!?」
 唸るレヴィを無視し、ベルが壁に寄せられた粗末な椅子に目を向ける。
「で、そのスクアーロは帰ってきてからずいぶん大人しいじゃん。どうかした?」
「…別になんもねぇ」
 ソファで寛ぐ連中から少し離れ、何をするでもなくぼんやりしていたスクアーロがぽつりと答えた。無意識なのか、左手の調子を診るように義手の付け根をいじくり回している。
「ふーん。ならいいけど」
 今は何を聞いても無駄だと思ったのか、ベルがひょいと肩をすくめる。ちょうど会話が途切れた瞬間を見計らったかのように、談話室のドアが乱暴に開いた。
「ボス…!」
 最初に勢いよく立ち上がったのはもちろんレヴィで、次いでルッスーリアが優雅な挙措で立ち、マーモンさえも金を数える手を止めた。
 ぐるりと室内を見渡したザンザスが、壁際の一点に目を留めて近付く。
「おい、ドカス」
 あ゛?とスクアーロが顔を上げたのと、その顔面に何かが直撃したのは同時だった。
「ぶっ!…んだぁ!?」
 まとわりつくそれを引き剥がすと、膝の上にばさりと柔らかなものが落ちる。黒一色で統一されたその服は、見慣れたヴァリアーの隊服だ。
「そいつは今日からてめーが着ろ」
「はぁ?今更なに言ってやが…」
 言いつつ視線を落として、スクアーロはそれの存在に気付いた。
 違う。これは今身に纏っているような他の隊員と同じコートではない。
 左肩に、一本の飾緒。
 その本数を増やすことが出来るのは、今現在この世で唯一、眼前に立っている男だけだ。
 軽く目を見開いて、スクアーロはまじまじと真新しい飾緒を見つめた。
 他の連中もそれに気付いたのだろう。ザンザスの背後から数種類の驚きと泣き声交じりの悲鳴が響く。
「ボス!何故そんな男に副隊長の証を…!」
 レヴィが半狂乱になって叫ぶと、すかさず伸びたルッスーリアの手がその口を塞いだ。
「てめーら文句でもあんのか?」
 肩越しに視線を投げたザンザスがギロリとねめつける。ベルとマーモンが興味なさ気に首を振り、ルッスーリアがレヴィの口をしっかり押さえたまま力強く頷いた。
「いいえ。皆ボスの決定に従います」
 当然だと言うようにザンザスが鼻を鳴らし、スクアーロが新しいコートを手に立ち上がる。
「ハッ!ボスさんの命令とあらば仕方ねぇなぁ!」
 滲み出る喜色を隠し切れずニヤッと笑った瞬間、すさまじい衝撃が後頭部を襲った。
「が…っ!」
 頭蓋骨が割れるのではと恐怖に駆られるほどに、ギリギリと額を抑える男の力は容赦も慈悲もない。壁にめり込むほど押し付けられた頭の中で髄液がぐらりと揺らぎ、あまりの衝撃に痛覚さえ鈍った。
「勘違いしてんじゃねえ」
 ぐっと低められた声が、間近で響く。
「こいつをてめーに付けさせるのは、それが似合いだからだ。裏切り者の証を引っ提げて、せいぜいオレの役に立ってみせろ」
「なっ…!」
 聞き捨てならないとばかりに、頭ごと鷲掴みにされた指の隙間からスクアーロがザンザスを睨み上げる。
「う゛お゛ぉい!オレがいつお前を裏切ったぁ!」
「どいつもこいつも、カスは所詮カスだ」
「オレはオッタビオのやつとは違…、ぐっ、は!」
 スクアーロがその名を口にした瞬間、凄まじい握力でこめかみを締め付けられる。
「くだらねえ妄想は聞き飽きた」
「ボス…、ザンザス!オレは」
「てめえもオレに逆らうなら、ここでかっ消してやる」
 じわりとザンザスの手が熱を帯びる。この男がその気になればスクアーロの身体など一瞬にして灰と化すだろう。だが、今にも力が抜けそうになる手でコートを手繰り寄せ、スクアーロはそれをぐるりと左手に巻きつけた。
 本能的な恐怖を無理矢理捻じ伏せて、ザンザスを見据える。
「オレはお前を裏切らねぇ」
 遠き昨日の誓いごと己に縛り付けるように、一本の飾緒を左手でしっかりと握り締めて。
 それをチラリと見下ろし、ザンザスが不意に手の力を緩めた。スクアーロがほっと息を吐き出した瞬間、ついでのようにもう一度壁に頭を叩き付けられる。
「お゛わっ!…っ!」
 弾みで舌を噛んでしまいスクアーロが涙目になっていると、ザンザスがぼそりと吐き捨てた。
「ドカスが」
 それきりこちらを見ようともせず、ザンザスはさっとコートの裾を翻して談話室を出て行った。
 張り詰めていた空気が緩み、ほうっと誰かが長い息を吐く。
「大丈夫?スク」
 うずくまるスクアーロに声を掛けたのはルッスーリアだ。その声は苦笑というより、どこか嬉しそうにも聞こえる。
「あらいけない。これからはスクアーロ副隊長って呼ばなきゃいけないのかしら」
「うるへぇぞ、ルッふーリア…」
「オレはやだよ。だってオレ王子だもん」
「というよりヴァリアー内の平穏のために今まで通りってことにしてくれないかな。これ以上鬱陶しいのが増えたらたまらないよ」
「ボス…何故だ…ボス…!」
「っ、好きにしろぉ…」
 助け起こそうとしたルッスーリアの手を断って、スクアーロがようやく立ち上がる。ついでに広げてみた新しい隊服は、思いきり握り締めたせいで見るも無惨な姿と化していた。
 ぐちゃぐちゃのそれを苦々しげに眺めながら、スクアーロは先刻から感じていた左手の違和感がなくなっていることに気付いた。
 ジクジクと疼いていた覚悟の証には、もう何の翳りもない。


 切り落とした左手が、長く伸びた髪が、お前を待ち続けた証拠にならないというのなら。
 死神に刈られ、地獄の業火に焼かれ、輪廻転生を外れて尚続く永劫の時間の果てに。
 この魂ごと捧げてやろう。


Fine.


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