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闇亡者(※)
 大昔、ここでは奇病が流行ったそうだよ。

傍らに立つ主人は、事も無げに言った。新天地での生活を始める際に、あまり相応しくない言葉に私は眉をしかめる。

「どんな病ですの?」

 不快な思いをしながらも質問をしたのは、私が強引にこの人を自分の婿にしたという負い目があったからかもしれない。

この人が愛したのは、私の可愛い妹だった。

だから、私は妹に悪い男を出会わせて家から出て行かせた。可愛い妹は悪い男に殴られて出来た痣を愛おしそうに撫でていた。

「子どもが次々と死んでいく病でね。あまりの悲しみに母親たちは嘆き悲しみ、毎晩墓を掘って子どもを抱きしめるんだ。その度に墓守が墓を手入れするんだが、ある時、骨がなくなっていることに気がつくんだ」

「墓を荒らして子どもを惜しむぐらいですもの。骨を持って帰った母親がいたのでしょう」

 主人は口元を軽く緩める。

「その村には長患いの年老いた長者がいて、彼はどうしても病を治したかった。まだ死にたくないと痣だらけの顔で呻いていたそうだ」

 痣だらけ。

一瞬だけ、どきりと肝が冷えた。家を出る時に会った妹の顔は、顔中に痣があった。

可愛い、愛くるしい顔立ちは気味が悪いぐらいに紫色になっていて、凄みすら感じる顔で笑いながら出て行った。

あれはもう頭がおかしくなっているだろう。白眼は濁り、焦点が定まっていなかった。

「長者は生き残るために、人骨を食べるという民間療法を試し始めてね。だけど、病は一向に治らなかった」

「嫌ですわ、そんなお話をなさらないでくださいまし」

 豪華な造りの一軒家の前で、こんな怪談などする気にはなれなかった。

周囲の人々が羨むほどの豪邸を私は手に入れ、誰もが振り返るほどの美男を主人にした。

今、私ほど幸せな女は絶対にいない。

 怪談よりも、これからの楽しく明るく、光り輝く未来の話をしたかった。

「死んだ人間の骨では駄目だと思った長者は、生きた人間の骨を食べることにしたんだ。死なないように急所を外して、ゆっくりと肉を削いで骨を齧る。そうやって何人も殺したけれど、長者は村人に捕まって結局殺されてしまったそうな。割と馬鹿馬鹿しい怪談だろう?」

 声の調子が笑いを含んで、主人は明るい笑顔を私に向ける。

はっとするほどに美しい顔に私は息をのんだ。

 ――ああ、何て美しい男だろう。

この男を亭主に迎えることが出来た私は、何て幸福な女だろうか。

妹のことは、とても愛していたけれど仕方なかった。私が幸福になるにはやむを得ない犠牲だったのだ。

「もう、驚かしっこはやめてくださいな」

 私は昔から男たちを虜にしてきた、とびっきりの笑顔をしてみせた。大抵の男はこの笑顔一つで私の言いなりになる。

 初めて主人に出会った時、彼は妹の友人として私の前に現れた。一目で自分の物にしたくなった私は、この笑顔を見せてやったのに、彼はまるで私に興味を見せず妹に熱心な視線を注いでいた。

だから私は妹を出て行かせて、彼を振りむかせた。妹を失うという犠牲を払ってまで手に入れた男なのだから、これから先の未来は必ず明るく富に溢れたものにしなければならない。

「今の怪談は、この村に伝わるものなんだ。ここに住むからには、知っておいた方がいかと思ってね。もしかしたら、ご近所の方との会話に役立つかもしれない」

「まあ、ほほほ」

 優しげな笑みで話しかけた主人に、私は吹き出してしまった。

 こんな寂れた村に住む貧しい奴らと私が会話をするわけがない。この村に来たのは、主人が赴任する学校に近いからと、この立派な造りの屋敷があったからだ。

いずれ主人には出世してもらって都会に移り住む予定なのだから、この豪華な屋敷もほんの仮住まいに過ぎない。

主人は天涯孤独の身の上だが、私の両親は名の知れた名家である。出世などたやすいこと。

寂れたこの村など半年もいないだろう。私にも、美しい私の主人も、もっと華やかな都会が似合うに決まっているのだから。

「荷物はもう運んでありますから、お茶でも飲みましょう」

 手伝いの娘が明日にならないと来ないのは計算外だったが、偶には私自らお茶を入れてあげるのもいいかもしれない。

善き妻としての印象を、少し鈍い主人に与えることは大切だ。

「そうだね。外はまだまだ寒いや」

 首をすくめて主人が私の後に続いて家に入る。

主人が通り過ぎるのを待って、私は戸を閉めようとしたが突然、光が消えたように暗くなったような気がして足がよろけた。

 ――今のは……?

ハッとして顔を上げると、先ほどと変わらない日差しが当たっている。

引っ越しで疲れているのかもしれない。私はひとつため息をついた。

こんな田舎にいきなり引っ越すことになったのだから無理もない。

 夜になると、寂しさはさらに増した。他に人が住んでいないのではないかと感じるほどに、周囲からの音は聞こえてこない。

加えて、主人は結婚する前には気がつかなかったが無口な性格らしく、面白い話の一つもしてはくれない。

 ふと結婚相手を間違えたかしら、とは思うが、目が合う度に見せてくれる美しい笑顔の前では疑問など吹き飛んでいく。

やはり、どこを探してもこの男ほど美しい男はいないだろう。自分に強く言い聞かせて、私は床に就いた。

 主人は傍らで静かな寝息を立てている。

明日から赴任先の学校で初めて教鞭をとることになるから、早めに床に就いていたため眠りは深そうだ。

 私もその眠りにつられるように目を閉じた。

 深い、深い暗闇で、カリコリと耳触りな音がする。胸の上が重くて息苦しい。生臭い匂いが鼻をつく。悪夢なのか、現実なのか分からぬまま私は目を開けた。

 目と鼻の先に、醜く崩れた紫色の顔をした老人がいた。身体はなく、首が浮いている。身体はないのに胸が潰れそうに重い。

「死にたくねえよおぉぉおおおおおおおおおおおお」

「ああああああああああ!」

 私は絶叫して起き上がろうとしたが、腕の感覚がない。感覚がない、ではなく、私の腕がない。腕があった場所は赤い血だまりが広がっている。

「腕が、私の腕が!あなたあぁあ、あなたぁ、起きて!起きてぇええ!」

 あらん限りの声を出して助けを求めると、主人の姿がない。老人の生臭い匂いが顔に近づいてくる。

「骨をくれよぉお、死にたくねえぇえ」

 老人の歯は私の柔らかい頬に齧りついて、肉を引きちぎる。凄まじい痛みと屈辱と恐怖が私の身体を駆け巡る。

「あなたぁあ、あなたぁああ!」

「どうしんたんだい、そんな大声を出して」

 落ち着いた声がして、主人が私の前に居た。正確には私の上にいた。

「あなた、あなた……私、私すごく恐ろしい夢を見て……」

 話しながら私は頬に鋭い痛みを感じた。夢?この痛みは?

主人の口から赤い糸が垂れている。糸のように細長い赤いものが口から首を伝って私の上に滴り落ちてくる。

「首を切られた長者が、今も首だけの姿で生きていると村人は信じていて村を捨てたんだ。この村には、今、僕と君しかいない。お手伝いの娘は明日になっても来ないよ。僕が殺したからね」

「あなた?何をおっしゃってるの……?」

 自分の声とは思えないほどに無様に震える。

今まで私が何かに対して怯えたり、逃げたりすることなどなかった。私は全てに恵まれた女、私が手に入れられないものなどない。私がこんな目に遭うわけがない。私は幸運に愛された女。

「この屋敷は怪談に出てくる長者の屋敷なんだ。長者の執念が染み付いているようで復讐にはうってつけの場所だよ」

 主人は微笑みながら、鏡を持って私に向けた。鏡には右頬がなくなり、暗い穴から歯列を覗かせた醜い女が映っている。

美しい、可憐な、綺麗な、私の顔が崩壊してしまった!

私の顔が!何よりも美しい私の顔が!

「ああぁああ!私の、私の顔が、顔が!!!」

「最期には妹さんと同じ紫色の顔にしてあげよう。僕の愛しい人と同じ顔で、死ぬといいよ。まあ、死ぬのは僕が君の骨を食べつくしてからだけれどね」

 主人は血まみれの腕を振り上げて齧り付いた。それは私の腕……?

 ああ、ない……私の腕が……私の美貌が……。

 暗く沈んだ村、生臭い豪華な屋敷、喰われていく私の身体……何もない、明るく富に溢れた私の未来が……ああ、私の全てが無くなっていく。じわり、じわりと。


ただ、闇だけが――ある。





『Oxygen shortage/酸欠 参加作品』:『ある』


作者名:URI


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あきゅろす。
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