※一年後捏造 梅が咲き出した三月の半ば。空の青を飾るそのうすい桃色は綺麗だ。だいぶ暖かくなった風に草木がそよそよと揺れ動いた。穏やかな午後だ。 「行くんですか」 そう呟けば、どこからともなく姿を現した鉢屋先輩が寝転がる俺を覗き込むように見下ろしてきた。逆さまに見えるその顔の、素顔を見ることはできなかったなあとぼんやり思う。 「よくわかったな」 「はあ」 特にいつもと変わらない鉢屋先輩は深緑の制服をなびかせた。 「手ぶらですか?」 「ああ、部屋にあったものは処分した。必要なものなんて特にないからな」 この人はあっさりとすべてを手放すのだろう。過去も思い出もなにもかも。 「お元気で」 そっけなくそう言ってやれば、ぱちりと目を見開いた後、可笑しそうに鉢屋先輩は肩を揺らして笑った。 「どうした次屋、お前でもふてくされることがあるのか」 しゃがみこんだ鉢屋先輩の顔が近付く。漆黒の瞳に吸い込まれそうだ。額に落とされた口付けは温かくて涙が出そうだった。 「じゃあな」 スッと立ち上がった鉢屋先輩が手をかざせば、そこからぱらぱらと梅の花びらが舞い落ちた。最後の一枚が俺の額に落ちた時には鉢屋先輩の姿はどこにもなかった。 摘まみあげた桃色は相変わらず綺麗だった。 美しき別れ (さよならは言えなかった) 20100915 |