縁側から見える今夜の月は、まんまるな満月だった。 ガサ、と庭の草木をかき分ける音がして肩を揺らした。もう夜もだいぶ更け、生徒が歩き回るような時間帯ではない。身構えて音がした方を見つめていたら、そこから姿を現したのはよく知っている人だった。 「…七松、せんぱい?」 「三之助じゃないか!」 ニコリと効果音が付きそうなくらい顔を綻ばせた七松先輩は、俺に気付くとすぐに駆け寄って来た。 「こんな遅くにどうしたんですか?」 「実習でな、少し遠出していたんだ」 見れば制服のあちこちが汚れている。しかし傷はないようなので俺はほっと胸を撫で下ろした。おかえりなさい、とそう言う前に俺は七松先輩の腕の中にいた。 「…せんぱい?」 ぎゅうと強い力で抱き締められる。少し苦しい気もしたが、七松先輩から香る血の匂いになにも言えなくなってしまった。 「もう泣けないんだ」 ぽつりと静かに呟く七松先輩の声はいつもより大人びて聞こえた。 「涙が出ないんだ。どうしてかなあ」 「…せん、ぱ」 「嫌だな。人間じゃなくなっていくみたいで」 笑うその顔が痛くて、苦しくてたまらなくて、俺はいつの間にか涙を流していた。びっくりしたように目を開いた七松先輩はすぐに眉を下げて笑った。 「はは、なんで三之助が泣くんだ?」 なにも言えない俺の濡れた目蓋に七松先輩は唇を当てた。 「しかしこうして三之助が泣いてくれるなら、私は人間でいられるような気がするよ」 離れた唇から紡がれた言葉に俺はそっと目を開けた。七松先輩の後ろに見える月がぼやける。優しくない世界で唯一、月が優しく笑った気がした。 「私の為に泣いてくれるなんて、優しいなあ三之助は」 俺は優しくなんてないのに。尽きることを知らない涙がまた溢れ出し、月がとろりと歪んだ。 まるで涙を流したようだった。 20100805 涙脆い次屋 |