笑うかのこ様〜恋だの愛だの 恋愛感情ですと言ったら? 「この家の財産が目当てて近づいてきたんだろ?記憶喪失の振りまでしやがって……金ならやるから、さっさと出て行けよっ!!」 ボロボロの衣服を纏って、身体中包帯だらけの少女に向かって初流は声を荒げた。 父親が気まぐれに拾ってきたその少女は酷く憔悴しきっていて、とても演技など出来るような状態ではなかったのだが、初流にとってそんなことは関係なかった。 人は醜い生き物だ。弱者は強者に媚び、金に群がり、簡単に人を裏切る。 利用するだけ利用して、いざとなったら簡単に手のひらを返すんだ。 その考えは、幼い頃一番懐いて信頼していた家庭教師に裏切られてから、初流の心に深く根づいてしまったものだ。 そんな初流を見て心を痛めた父親は “人を信じることの大切さ”を常に言い聞かせたが、16になった今でも素性の知れぬよそ者には過剰なほど反応してしまう。 憎しみのこもった感情を真正面からぶつけられたその少女は、泣くことも怒ることも戸惑いの表情を浮かべることもしなかった。 虚ろかと思われたその瞳は理知的な色を宿し、静かな眼差しでただ真っ直ぐに初流を見ていた。 そして僅かな身じろぎすらせず、その口を開く。 「助けてほしいなんて私は一言も言ってないよ。何も覚えていないのは本当だけど、好きであんたみたいな性格悪い奴がいるところに来るわけないでしょうが。まともに歩けるようになったらここの旦那様に御礼言ってさっさと出て行きますのでご心配なく」 少女は広い客室のベットから上半身だけ起こし、物怖じもせずに初流の目を真っ直ぐに捕らえている。 その言葉の中に嘘はないのだと素直に信じてしまえるほど、強い意志がそこにはあった。 何というか、見かけによらずものすごく失礼な奴だ。 そう思いはしたものの、初流は生まれて初めて悪意も羨望も媚びもしない真摯な瞳を持つ人間に出会ったのだった。 そして彼女の傷が癒えた頃、ここにいてもいいのだと先に口を開いたのは、親父ではなく俺の方だった。 ***** 彼女が頑ななまでに俺に対して敬語を使い、やたらと尖った態度を改めたのは果たして何時の頃だっただろうか。何時から『お前』から『かのこ』と名前で呼ぶようになった?初めて彼女の笑顔を見た? そして少しずつ打ち解けて、また気軽な口調で話すようになったのは何時だっただろうか? 彼女を想う気持ちが、次第に変化していく自分にひどく戸惑うこともあった。 ―ぎみ……わかぎみ!!― 彼女の声がする。 泣いているような、悲痛な声で俺を呼んでいる。 だから、若君って呼ぶな! 俺の前で泣いたことなんて、ないだろ? そんなふうに呼ばないでくれ― うっすらと開けた視界の中は一面の白。 それが天井だと気がつくのに少しの時間を費やして、何故かひどく痛む頭を無理やり動かして横を見る。 「若君っっ!!」 キーンと耳の奥が痛むほど大きな声に呼ばれて、思わず怒鳴り返そうとするが声が上手くでない。 「うるせぇよ。耳元ででかい声だすんじゃねー」 なんとかそれだけ言って、かのこの顔を見た。 ぼやける視界の中に映るかのこは思わず絶句するほど、ぐしゃぐしゃだった。 流れる涙を拭おうともせずに、ただ真っ直ぐに俺を見ている。 「誰の、せいだと思ってんの!!何で私なんか庇ったのよ!!あんたがっ……死ぬかも知れないなんて、思わせないでよ!!」 そう言って、ベットに顔を伏せたかのこを見て、全てを思い出す。 余計なことに首を突っ込んだ挙句、敵の最後の悪あがきで馬車で轢かれそうになったかのこを見たら身体が勝手に動いた。 そうか、自分も避けられる計算で動いたつもりだったのにしくじったな。 どんな時でも冷静で感情を乱すことのないかのこが、俺のせいで泣いている。 お前のせいじゃないと言った所で、頑固なこいつはますます自分を責めるだろう。 顔を伏せたかのこの頭に手をおいて軽く撫でてやると、わずかに肩が震えた。 「なぁ、この怪我が自分のせいだって思うなら一つ頼みを聞いてくれないか?」 なるべく優しい声で問いかければ、俺の思惑通り、かのこはがばりと顔を上げた。 「うん、聞く。何でも言って。今だったら何でも聞いてあげるから!」 「俺にキスしろ」 「うん。わかっ……って、はぁ?ちょ、若君な、何言って……」 面白いくらいに動揺するかのこを見て、身体が悲鳴をあげているのも無視して笑った。 もちろん、本気で言ったわけじゃない。 取りあえず怒るなり呆れるなりして、彼女の涙を止めることができたらそれで良かったのだ。 しかし、かのこは一頻り動揺してから何かに気付いたかのようにふと真顔になり、それからふわりと微笑んだ。 「やっぱ優しいね、若君は」 「……何が?」 「私が自分を責めないように、バカなこと言ってくれたんでしょ?」 「うるせーよ」 「助けてくれてありがとう」 「〜〜〜」 バツが悪くて目を反らしたと同時に影がかかる。 次の瞬間、唇にわずかに温かい感触が触れた。 それは触れたと同時に直ぐに離されてしまったが― 「は?えっ!?」 思わず上半身を起こせばあまりの激痛にそのままうつ伏せになる。 それでも顔が見たくてかのこの方を見れば、部屋を出て行くところだった。 その背に「何で?」と問えば「何でも言う事聞くって言ったでしょ?」と素っ気ない返事が返ってくる。 「お前、好きでもない相手に簡単にキスできるのかよ」 どこか釈然としなくて小さく呟いたセリフに自分でダメージをくらう。 なんて馬鹿らしい。再びどさりとベットに仰向けになると、ガチャリとドアを開けた所でかのこが同じように小さく呟いた。 「恋愛感情があるからキスした……って、言っても困るのあんたでしょうが」 一度も振り向かずにそのままパタンと閉じられたドアを呆然と見つめながら、急激に上昇する熱を隠す様に顔を片手で覆った。 「まじかよ……」 誰にともなく呟いて、突然舞い降りた幸せをかみしめた。 END あとがき だいぶ間を空けてしまいましたが、主従関係第三話がやっと更新できたー。 なんだろう。自分でハードル上げすぎた気がする。 次のお題が「ちゃんと意識して下さい」なんだよなー。 かの→椿?えー!今更〜??なんて困惑しつつ、お互い素直じゃない二人が進展していく様を書くのが楽しみでもある。 ←→ [戻る] |