笑うかのこ様〜恋だの愛だの 罰ゲーム(中編) 玄関に入ってすぐの所で仁王立ちして待ちかまえていたのは、以前にも見覚えのある美しい女性であった―― 「ちょっと初流君、その女……の子たちはだぁれ?」 開口一番に暴言を吐かれるのかと思いきや、寸でのところで思い止まったらしい。 むりやり軌道修正をかけた語尾は軽く震えていたものの、椿君のお姉さんはそのまま上手く自己紹介の流れへとこの場を繋いだのだった。 ***** 椿家訪問にあたるまでの経緯を話せば、彼女は意外にも理解の反応を示してくれた。 私は前に一度椿君のお姉さんに会っている。 その時のお姉さんの反応を見る限り、私は既に椿君の彼女候補としては戦力外通知を出されている。謂わば安全パイだ。 桃ちゃんに対してのしつこい詮索はあったものの、意外にも椿君の熱心なフォローが入り、桃ちゃん本人の「椿君のことは何とも思ってません。私、他に好きな人がいるんです!」という強い主張もあってか、お姉さんは完全とは言えないまでも少し警戒を解いたようだった。 「初流君を差し置いて好きな男がいるだなんて!」と、無茶な怒り方はしていたが……。 そして―― 「つーわけで、姉貴の化粧道具借りるから。どうしても貸せないやつだけ外しといて」 というごくあっさりとした椿君の言い分に、お姉さんはどこか納得のいかないものを感じたらしく、少し悩んだ末にいきなり私の手首をぐっと掴んだ。 多分これは「初流君がそこらの同級生の女に接近するのを断固阻止!!」という彼女のブラコン精神が働いた結果だろうが。 「この子のメイクは私がやるわ! 初流君はリビングでくつろいでて」 あまりの勢いに慄く弟を置いて、お姉さんは私と桃ちゃんを連れて歩き出した。 向かった先は勿論お姉さんの部屋だ。 「まぁ、初流君に頼まれたんだから仕方ないわよね。あんた達本当にただの友達みたいだし」 強引に引っ張ってきたくせに、よく言う。 典型的なブラコンであるお姉さんの分かりやすい言動は、見ていてとても面白かった。 桃ちゃんへの警戒心は消せないようだったが、今回の目的が『冴えない眼鏡女の変身企画』だったが故に、お姉さんは意外にも乗り気な様子だ。 「こういう冴えない子を好きなようにいじくり回すの、結構好きなのよね。不本意だけど、あんたの顔を中の上くらいには仕上げてあげる。覚悟なさい!」 椿君にそっくりな自信に満ちた魅力的な笑みを浮かべて、お姉さんは私たちの肩に手を回すのだった。 ***** ―数十分後― 「……っっ!! か、かのちゃんっ、私、ちょっと家に帰ってお父さんのカメラ借りて来るから!! それまでそのままでいてね!? すぐに戻ってくるからね!」 「えっ!? 桃ちゃん!?」 何故だかえらく興奮した様子で桃ちゃんが部屋から飛び出てった。 「ふ、私の手にかかればこんなもんよ。……っていうかあんた、ほんと化粧映えするわね。コンタクトは持ってきてるの? それで眼鏡なんかじゃ正直私の頑張りが報われないからね。やるなら徹底的にやるわよ!」 「……はぁ、そうですか」 自分で化粧を施したくせに、椿君のお姉さんは驚いたような顔でジロジロと私を上から下まで観察し、満足げに大きな胸を反らせた。 もともと自分の容姿やファッションには何の興味も無い自分としては、とにかく一刻も早くこの状況から逃げ出したかったのだが、生憎本日の罰ゲームはこの恰好のまま桃ちゃんと町を歩かなければならない。 繊細なフリルを使った、いかにもなロリータファッション。 しかし、控えめなリボンとシンプルな色合いのワンピースがかのこの黒髪と肌の白さを最大限に生かしていた。 もはやとても素人の作とは思えない出来栄えだ。 普通に桃ちゃんと出かけるのなら勿論大歓迎なのだが。 しかし、いつもなら絶対にしないような気合の入りまくった装いで外に出掛けるのは、それなりの抵抗や葛藤がある。 全ての支度が整い、他にすることもなくただぼんやりと座っていたところで、カチャリとドアの開く音がした。 「なぁ、今花井がすげー勢いで飛び出してったけど、なにか――っっ!?」 「あ、椿君。なんか、桃ちゃんは家にカメラを取りに行ったみたいだけど……って、椿君? どうしたの?」 ドアノブに手をかけたまま固まった椿君は数秒ぱちぱちと目を瞬き、無言のままポケットから携帯を取り出した。 「?」 何だ? と首を傾げた瞬間にピロリ―ン♪というシャッター音。 「えっ!? ちょっ、今もしかして撮った?」 「……いや? 撮ったけどブレたから消す。あーあ、折角これで暫く笑えるネタが出来たと思ったのによ」 椿君は携帯を操作したあと、証拠とばかりにフォトフォルダ―を開いて私に見せてくれた。 よし、これなら安心だ。 そそくさと携帯をポケットにしまう仕草に若干の不振を覚えたが、椿君が嘘を吐いてまで自分の写真を保存しておくメリットなどないだろう。 だってこの恰好は、普段のかのこなら絶対しない類のものであって、文化祭のようにネタになるようなほどでもないのだから。 そこまで考えた所でハッとした。 っていうか桃ちゃん、一体どんだけ良いカメラを持ってくるつもりだ!? 一緒に映るなら携帯カメラで十分じゃん! 超高性能カメラを携え、嬉々として色んな角度からシャッターを切りまくる桃ちゃん。 あながち大げさとも思えないリアルな想像にぞくりと背筋が泡立った。 「ところでお前――」 「ごめんっ、私やっぱり桃ちゃんを追う」 「はぁ?」 何かを言いかけた椿君を遮るようにして、ドアノブに手をかける。 桃ちゃんは少し迷った挙句に可愛らしくこう言ったのだ。 『おめかししたかのちゃんと、町中を歩きたいな』 うん。オーケー。 桃ちゃんがそう言うのなら、私が許容できる範囲の恰好ならなんだってしてあげよう。 でも、それでも―― 「一緒に歩くまでが罰ゲームの条件。高性能カメラでの撮影会なんて、耐えられないよ!っていうか、見る方も見るに堪えないっつーの!!」 「はぁ!?」 お前、今の自分の姿をきちんと鏡で見て来いや、と誰もが言いたくなるようなことを絶叫しながら、かのこはキッと鋭い眼差しで椿を見た。 「私、ちょっと行ってくる!」 言うが早いか驚く程の俊敏さで部屋を後にしたかのこ。 それに一瞬あ然としたものの、椿はハッと我に返るとテーブルの上に忘れられたかのこの眼鏡をひっ掴み、同じように部屋を飛び出した。 「阿呆かお前っ!!そんな恰好で一人で出歩くんじゃねぇーっっ!!」 慌ただしく部屋を出て行った二人の後ろ姿を、ただ一人部屋に残された椿姉はただ呆然と見送っていた。 「……なんなのよ、あれ。っていうか、あんな熱い初流くん初めてだわ……」 混乱する思考を遮るように頭を抑え、アンニュイな溜息を一つ。 (ああ、なんか、頭痛い) 化粧道具が散乱するテーブルに目をやって、そのままだらしなくソファーに倒れ込んだ。 ***** 思わずそのまま家を飛び出してしまったが、それなりの距離を走ったところでふと歩調を緩めた。 視界が悪い。 いつもの癖でずれた眼鏡を直すように顔に手をやって、そこで初めて自分が眼鏡をかけ忘れたことを思い出した。 (うわーしくったー) 心の中でボヤキながらも、目を凝らしてぼんやりと判別できた赤信号で足を止める。 しかし、どこからか感じる視線を感じてふと顔を上げた。 (うーむ……。これは誰かに、見られている……?) 自意識過剰な訳ではないと思う。 人を観察する上で、相手との距離感は大事だ。 傍観者の鉄則とは、自分が観察している対象に気づかせてはいけないのと同様に、周囲からも「苗床はいつもあいつのこと見てるよなー」なんて思われてはいけない。 そのために培った「人の視線に敏感になる」というスキルが、今確実に、正常に発動していた。 自分の視界が悪い中で人の視線をはっきり感じるというのは、なんだか落ち着かない気分にさせられる。 周囲の人から向けられる目が痛いような気がするのは、やはり大きな勘違いなのだろうか……。 かのこは赤く点灯したままの信号機を睨みつけながら、仁王立ちで熟考していた。 ***** 仏頂面で信号を睨みつける少女に目に止める人間は、かのこの勘違いではなく、実のところ結構いた。 いつものようなノーメイクに眼鏡、機動性だけを重視した気合の欠片も無い普段着姿だったならば、こうはならなかっただろうが、今日だけはいつもとちょっと事情が違っていた。 かのこは現在フルメイクの完全武装中なのだ。 絶世の美少女、とまでは言えないが、それでも現在のかのこの装いはパッと目を惹く愛らしい少女であることには変わりない。 同じ横断歩道で足を止めた数人からちらほらと視線を送られたとしても、全くおかしくはないのだが……。 しかし、自分のことに関してはとことん無頓着で鈍いかのこの考えは違っていた。 (やっぱ目立つのかな?これ) コスプレよりはマシとは思ったものの、それでもやはり全身から溢れ出るロリータ感は拭えていない。 それが注目の元凶だろうか?なんて見当違いのことを考えつつ、ふわりと揺れるスカートの裾をげんなりと見つめた。 ボリュームのあるスカートは走る度にフワフワと揺れてなんだか心もとない。 (童話か何かから飛び出して来たようなファンシーな恰好で、しかも手ぶらで出歩いているという奇異な人間を見るなと言うほうが無理な話だよな……) そう自分なりに結論付けると、向けられる視線などもうどうでも良くなった。 溜息をひとつ洩らし、ふっきるように首を小さく振って顔を上げるとちょうど信号は青になったところだった。 しかしまたいくらも進まないうちに足が止まる。 何度か桃ちゃんの家にも遊びに行ったこともあるし土地勘はある方だと思っていたが、人の家からだといつもと様子が違う。 眼前に広がる見慣れない景色にきょろきょろと目印になるものを探している時だった。 「あの〜すみません」 肩を叩かれて振り向くと、そこには若干緊張したような面持ちで自分を見つめる少年――というか、見知った顔がいて……。 「あれ?山田!?」 「えっ!?……いや、まぁ確かに俺は山田ですけど……っていうかなんで君……俺の名前知って――ってああーっっ!!」 思わぬ偶然に驚きつつも名前を呼ぶと、元富中の同級生であった山田はまじまじと私の顔を見て暫し沈黙し、そして何故か挙動不審にうろたえまくった揚句に最後は人を指差して大声を上げた。 「なっななな、苗床ぉ!?」 「だぁー、うっさいっ!!ってかそんな驚くようなことかっての!」 「イテッ!」 あまりの騒ぎようにイラッとして思わずぼかりと頭を叩くと、山田は大げさに痛がりながらもどこか感心したような顔でぼけーっとこっちを見ている。 「なによ?笑いたければ笑えば?」 「……いや、笑えって言われてもね。いやーこれは笑うどころかもっとこう、驚きっつーか……」 「はぁ?」 「でもマジで驚きだよなぁ。まぁ、そのふてぶてしい態度を見れば苗床だってことにも納得だけど……それにしても化けたよなぁ」 うんうんと一人頷く山田が再び何か言おうとしたその時―― 「やっと追い付いたと思ったら、何勝手に山田なんかに口説かれてんだ」 聞きなれた声がしたと同時に、背後から肩を掴まれて強引に後ろに引っ張られた。 「えっ、うわっ、椿君!?」 「ったく、道が分からねーなら直ぐ戻って来るぐらいしろよ。お前無駄に足速いから、探すの大変なんだって」 後ろからのしかかる重みと、頭に顎を乗せられた感触。 顔を見なくても分かる椿君のちょっと疲れた様子に、不謹慎ながらも少しだけ笑ってしまう。 ぼやけた視界に見慣れない景色、異色の服装に向けられる好奇の視線。 知らずのうちに感じていた数々の不安が、椿君に会えたというただそれだけのことできれいさっぱりなくなったことを自覚して、かのこは漸く安堵の息を洩らすのであった。 つづく ●中書き2 やばい、年越えた・・・。 叶美お姉さまに苦戦、大苦戦。 それでもなんとか話は進んだ・・・。 あと一話〜!!! 12/01/12〜12/01/18 ←→ [戻る] |