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 長い長い廊下がもどかしい。
 たった一分という猶予を一秒も無駄には出来ない。捕まってしまえば、……終わりだ。
 混乱する頭の中、何とか作戦を考える。……否、作戦と呼べるものなんて本当は無い。自分は、ただひたすら逃げるより他無いのだから。
 いくら走ってもメイドはおろか、人っ子一人居ない。これもすべて剛三郎の手引きか。今、この屋敷に居るのは自分と、あの悪魔達。そして部屋で閉じ込められて眠っているであろう、モクバだけであった。

 とにかく剛三郎の部屋から遠ざかろうと、必死に走る。革靴は走るのには適していないが裸足になるのは危険だ。二階へと続く螺旋階段を二段飛ばしに上がっていく。
 一分の猶予。
 自分は年を食うしか能が無かった中年男共よりは確実に早く走れる。遠くに逃げることが出来よう。

 そして、瀬人にはこの足さえすくむような非日常の中、唯一の救いがあった。
 それはこの間剛三郎の目を盗んで手に入れた屋敷の細部にまでわたる見取り図。もしもの時のためにと暗記したのがこんなところで役に立とうとは。
 しかし、どこかの部屋に入ることは躊躇われた。向こうにはチェーンソーがある。剛三郎も居る。マスターキーなどすぐに出てくるだろう。ゆえに一点に身を潜めるのは自殺行為に思えた。
 何とかして逃げる。しかも、退路を確保しつつ。

 さあ、夜明けまで残り……4時間45分───






「…ハァ、ハァ…」  
 全力疾走なんて、どれくらいぶりだろうか。あまりにも久しぶりすぎることと、極度の緊張からか、喉がヒューヒューと鳴った。 剛三郎の部屋からできるだけ遠くへ逃げた。ここは奴の部屋のある棟とは別の棟。しかもこの辺りは普段使われておらず、正確な見取り図を把握しているのはおそらく自分と剛三郎のみ。 
 きっと剛三郎は自分を追いかけては来ないだろう。おそらく、あの白い仮面をつけた男共が自分を連れ帰るのを部屋で待っている。あの男はそういう男だ。 
 奴がいないのならここで、しばらくは身を隠せそうだ。

 だが、一つ問題があった。 
 見取り図も手に入れ、唯一自分以外に屋敷を熟知しているものはいない。多少は自分にも希望が持てたこの状況下、邪魔なものが一つだけあった。 
 監視カメラ。 
 この屋敷にはいたるところにカメラが仕掛けられており、すべての映像は守衛部屋へと集まっている。 
 とりあえずカメラに写らないように細心の注意を払いつつここまでやってきたが、やはり邪魔でしょうがない。これが、一対多数の怖いところ。 
 奴らの内一人が監視モニタの前に陣取ればそれで事足りる。携帯もある。そういう点では自分はかなり不利な状況だった。 
 さらに、厨房、その他凶器となりうるものが置かれている場所へは入れない。こちらに、反撃の手は一切無いといっていい。

  
 瀬人は身を潜めながらも乱れる吐息を何とかしようと試みた。だが、落ち着こうとすればするほど手足の震えを自覚する結果となる。 
 全速力で走ったためだけではない汗が、額にうっすらと滲んでいる。嫌な汗だ。 
 瀬人は白いシャツの裾でぐいと汗を拭うとあたりの気配を探った。

 自分が生き残る術を考える。まず、しなければならないこと。 
 タイムリミットにはまだ4時間以上ある。その間ずっとこの場にいれるとは思わない。一点に留まるのは危険。ということは、屋敷内を常に移動していなければなら無いということ。奴らが来る前に、逃げなければ。 
 そのためには、監視カメラを制御不能にする必要がある。もちろん、簡単に行くとは思わない。だが、これが自分が生き残るための最低条件であった。 
 まずはこの屋敷のセキュリティーシステムの一角を担う部屋へと移動しなければ。そう考えていた瀬人の耳に、不吉な音が聞こえてきた。
「…っ、まさか…!」 
 長い長い廊下を歩く足音。海馬邸の廊下絨毯は毛足が長い。そのため耳を澄まさなければ聞こえないほどの音だったが、剛三郎ではないことだけは確かだ。 
 分かるのだ。奴の足音だけは。

 
 静かに近寄ってくる足音に、早く逃げなければと思うのだが、一つ合点がいかない。 
 何故、この場に自分がいることがばれた? 
 監視カメラには映らぬように細心の注意を払ったにも拘らず、自分が居るところを見事に当てている。遠くから聞こえてくる足音は、徐々にだが、確実にこちらに向かっているのだから。 
 だが、今はその疑問を悠長に考えている場合ではない。…逃げなければ。 ぐっと震える足に力を込め、立ち上がった瞬間嫌な声が聞こえてきた。
「瀬人君…?いるんだろう?悪戯の時間だよ…」 
 あの煩わしい高い濁声に虫唾が走る。 だが、次の瞬間何かを外す音と、もう一度同じセリフが吐き出された。
「久しぶりだね…。覚えているかい?私のこと」
 どうやらマスクを外したらしい低い声に、心臓が早鐘を打つ。そして、その声には聞き覚えがあった。 
 以前、自分を集団で襲った人物の内の一人…。カッと頬が熱くなり、その時の惨めな気持ちと屈辱だけが心を支配する。ギリリと鳴った歯は、ギュッと噛み締めた唇から赤い血を浮かび上がらせた。 
 それほどに、屈辱だったのだ。  

 今、こちらに向かっている男を迎え撃ち、殺してしまいたい。  

 


驀進!オレは引き下がらない!

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