第6話:行動開始 先週の煉顔料合成の授業で、彼女は大嫌いなリオ先生に実験役として指名された。その時。 「実験はボク一人でやります」 いきなり言い放ったビコは、薬品を選び取り始める。しばらく見守っていたリオ先生だったが、実験が始まって少し経った後ストップを掛けた。まさにビコが、三角フラスコに入った液体の中に、ビーカーに入った別の液体を入れるところで。 「その配合違うわ……!」 だがビコは、それを完全に無視して調合を進める。その瞬間。閃光が炸裂し、視野が真っ白になり、クラスメート達は皆椅子ごと床に突き飛ばされた。爆発の熱風が教室内をどっと吹き抜ける。ドアが飛び、窓ガラスが砕け散り、悲鳴が入り乱れた。 少し経って、クラスメート達と同じく吹っ飛んだあたしは立ち上がれた。爆発の余韻がびりびりと空気を震わせる中、周囲を見回す。教室内はパニック状態になっていたが起きた爆発は小規模で、幸いクラスにいた誰も爆風や破片の直撃を食らわずに済んだ──爆発の中心にいた人物を除いては。 「ビコ!」 煙や埃、塵が霧のように白く漂った所為で前が全く見えない。そんな中、あたしは動揺しているクラスメート達を掻き分けながらビコの名を教卓の辺りに向かって叫ぶ。だが爆発音の所為で耳がすっかりおかしくなっていた。 「ビコ!リオ先生!」 叫びながら、二人の無事を祈りながら、突き進む。どんっ、と誰かにぶっかってしまった。ヨイチだった。 「リオ先生、大丈夫ですか……!?」 「っ──!」 あたしは見た。服が裂けて焦げ、剥き出しの白い肩に数多のガラス片が無惨に刺さっているリオ先生の背中を。うずくまっているリオ先生は、誰かを胸にきつく庇っていた。 ビコだった。 「せ、先生……!何で……!ボクの盾に……!!」 リオ先生は激しく震え泣きじゃくっているビコに、ゆっくりと、安心させるように、優しく微笑みかける。リオ先生の無惨な傷からはどんどん血が溢れ出ていた。にも関わらず、痛いだろうに、彼女は微笑んだままビコの頭を優しく撫でて囁いた。 「あなたが立派な魔具師になる為なら、こんなの軽いわ」 第6話:行動開始 昨夜覗いたビコの包帯。それは、あの時負った右腕の傷のものだった。リオ先生に全身で庇われて、ビコの怪我はそこだけで済んだのだ。 ビコの分の破片をその身で受けたリオ先生は、肩から背中に架けて負った切り傷と火傷で今も自宅療養中、という事である。 「頑固なのは良い事だって、リオ先生があの時言った」 俯いたビコは、ちょっと乱暴にローブの肩で目の辺りを擦る。 「でもそれだけじゃだめだって事、ボクに教える為に──」 リオ先生は言葉ではなく、その身を以てビコに示した。魔具師という職業がどれ程慎重さと正確さを要求されるかを。一歩間違えば、ほんの僅かな過ちがどれ程恐ろしい結果を招いてしまうかを……。 窓の下の校庭を何か笑い合いながら駆けて行く生徒達の声が、遠く響いた。 「先生にボク、謝らなきゃ。でも多分、謝るよりボクが頑張ってる方が、先生はきっと喜ぶから」 「……そっか。それで、七不思議解決に乗り出したんだ」 今、ビコの“理由”がわかった。 「もしMLS七不思議のどれかを見事解決出来れば、特別ルールで成績に上乗せしてカウントされる。そう聞いたから。だからボク飛び級とかは、ほんとは別にどうでもいいんだ。ちゃんと頑張ってるって事さえリオ先生に伝われば」 「ビコ……」 「ヒッヒ」 ムヒョは本を抱え直し、笑った。そして顎でヨイチを示す。 「ま、オメェはまだ良い。ある意味この馬鹿と同じだからナ」 「ちょっと待てこの馬鹿ってどの馬鹿だ、ムヒョ?オレの事じゃないよな、おい」 「『このヨイチ君が七不思議を解決した暁には、学校のヒーローでモテモテ間違いなしだぜ。そしてユキにも振り向いてもらえるッ!』とか言ってたのは何処のどいつだ」 「あーっ、だめだよムヒョ、それじゃ一緒にされたビコが可哀相だよ」 「ヒッヒ、それもそうだナ」 ヨイチはまた泣いた。 「それより、問題はエンチューだ。飛び級の件、ありゃかなり本気だゼ」 「…………」 「本当じゃないと困るんだ!」 エンチューの真剣過ぎたあの口調。 「エンチューのお母さんの病気、もしかして……そんなに悪いのかな」 ビコのとんがり帽子がちょっと俯いたのが見えた。つられてあたしも俯く。そして今度は、先程の会話を思い出した。 「七不思議って、基本的にどれも夜限定のイベントっぽいからなあ」 「『深夜無断外出』の罪は避けられないって事だねー」 「……『七不思議解決に乗り出す』イコール『校則違反』……」 あたしの呟きにヨイチが反応した。 「そうだよムヒョ、飛び級どうこうってのがもし誰かの仕込んだ只のデマで、七不思議解決どころか深夜無断外出の校則違反を食らうだけだったら、これ、もしかして物凄い逆効果になっちまわねえか?」 飛び級や成績加算を狙って七不思議の解決に乗り込んだところ深夜無断外出の罪で捕まり停学処分になりました、だなんて全く笑えない。 「もしかしてオレら……エンチューを、止めた方が良いかな」 ヨイチがそう漏らしたその時、ムヒョは無言で彼を目線だけで制した。 ふと顔をブックタワーからずらせば、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下に銀髪をちょっと乱したエンチューが待っていたのが見えた。正面玄関から戻ってまっすぐ此処へ来たのか、まだ少し荒い息に肩が上下している。 「ついさっき戻ったところ……ママの容態も安定したみたいだから、急いで戻って来たんだ。一緒の罰当番だったのに僕だけ抜け出しちゃって、本当にごめん」 「大丈夫、全然気にしなくて良いよ!」 「とっとと手伝え。オメェがいないと全然片付かねェんだよ、エンチュー」 ぱっと聞いた限り対象的なあたしとムヒョの言葉にどう対応すべきか少し戸惑いながらも、エンチューはあたし達四人が抱えていた本の山のてっぺんから少しずつ取っていった。もちろんだが、少し軽くなった。 「久しぶりに外出したから……随分帰りは急いだけど、街の中を走って帰って来るのはそう悪くなかったよ。やっぱり、時々はMLSから出ないと駄目かもしれない」 「当たり前だろ、エンチューは根詰めて勉強し過ぎだっての」 ヨイチは殊更に明るく応じた。 「今度遊びに誘った時は、絶対断るなよ、な?」 「うん」 微笑んでそう頷いたエンチューだったが、彼の笑みは窓の外に遠退きかけている陽射しのように、次第に遠退いて、消えた。 「ただ、さ……街で親子連れを見掛けると僕はいつも不思議に思っちゃうんだ。誰も彼も皆笑ってて楽しそうで、凄く健康そうに見える。どうしてあんなに健康なんだろう、どうしてあんなに幸せそうなんだろうって。そうやって元気に笑い合ってるのが凄く当たり前の事みたいに、皆とても楽しそうだ。でも、僕のママにはそれが当たり前じゃない。だから時々……ママと僕だけが、暖かいこの世界から切り離されてるような気がする事がある」 そんな事無いよ、とは言えなかった。あたしには、言う資格が無いと思った。 代わりに、目の前に積み上がっている本をじっと見つめる。一枚一枚のページはとても薄くて、下手すれば指をすぱっと切ってしまう鋭利な刃物のように見えた。 エンチューは続ける。酷く静かに続ける。 「だから……僕は一日も無駄に出来ないから。出来るだけ早く執行人になってママの暮らしを楽にしてあげないといけないんだ。皆が心配してくれてるのはわかってる。でも、──七不思議の解決で特別ルール適用って話、僕は信じたい。やっぱり嘘かもしれないけど、もしかしたら本当かもしれないじゃないか」 「……エンチュー」 誰が彼を止められるだろうか。 「僕、あのおかしな犬でも『顔なし先生』でも、とにかく七不思議をもうちょっと探してみようと思ってるんだ。何もしないより、もしかしたらっていう可能性に賭けた方がずっと気持ちが楽だよ。だから、本当にいても、いなくても──」 「いる」 急に遮ったビコの言葉に一同はぽかんとする。振り返ると、いつの間にか立ち止まっているビコは廊下の奥を指差した。 「変な犬。あそこ」 「ええっ!?」 ビコの指を辿る。そこは、魔法律図書館とは別の校舎へと繋がる人気の無い通路で、その先の廊下に確かに何やら犬らしき生き物がうろうろしていた。床をくんくんと嗅ぎ回っている様子だ。六本の足にくるんと巻いた尻尾。やけに平たい顔に並んだ七つの眼……。間違いない。昨夜の、お化けイヌだ。 昨夜は暗くてわからなかったが、たった今、その犬の毛並みが実に奇妙な色であるという事がはっきりとわかった。ラベンダー色、といった表現が近いだろうか。それさえも、あの犬が普通の犬でない事を示していた。……もっとも、六本足に七ツ眼、そして人語をぺらぺらと喋りまくる時点で、彼が普通の犬でない事は充分過ぎる程証明されているのだが。 あたし達は、無言の連携で各々が抱えていた本を素早く廊下に積み上げ、即席の隠れ場所を作った。そして鼻を突き合わせひそひそと囁き合う。 「やっぱ六本あるよな、脚……」 「多過ぎ」 「ありゃ邪魔くせェナ、ヒッヒ」 「あのさ、僕が聞き間違えたのかもしれないけど……」 「? 何を?」 ごそごそとポケットを探り始めたエンチュー。 「あの犬、昨夜自分の事を『地獄の使者』って言ってなかった?」 「そうなの?」 聞いてない。あ、あの時は放心状態だったから聞こえなかったのかな。 「そうでなくてもあの姿を何処かで見たような気がしてたんだけど……」 あたしは再びあの犬を注視する。犬は相変わらず床に近付けた鼻先をぴくつかせていた。 うーん、そう言われてみればどっかで見た事あるような、見なかったような……。 「皆、ちょっとこれ」 エンチューの言葉にあたしは顔を戻した。彼は使い込んだ魔法律参考書を広げてみせる。 「魔法律のガイドブックなんだけど、ほら。此処。見習い段階でも召喚出来る契約フリーってところに出てる、下級使者一覧を見てみて」 示されたページを、額を突き合わせて全員で覗き込んだ。 「あっ──」 思い出した。そういえば、以前パパの書斎に勝手に入った時、こんな感じの使者の写真やら絵やらが載っている本を見た事がある。確かにそこには、あの七ツ眼の犬のような使者も載っていた。 ヨイチはよくわかっていない様子で、ううんと唸る。 「……『ナントカ能力をナントカし霊の犯罪を暴く』?」 「『擬態能力を駆使して霊の犯罪を暴く』だよ。だからあれは──」 エンチューは書かれている内容を辿った。 そうだ、確か、あの使者の名は── 「──『七面犬』っていう、本物の地獄の使者だ」 「えええっ!?」 叫びかけたヨイチは、青筋を立てたムヒョとビコにすかさず押さえ込まれた。あたしは本の陰からそっと七面犬の様子を窺う。幸いな事に、廊下の端を嗅ぎ回っている彼はこちらの気配に気付かなかったらしく、呑気極まりない足取りで向こうの校舎へと入っていった。 ──つまり。七面犬が現世にいるという事は、当然誰かによって召喚されている事を意味し。そして誰かによって召喚されたその使者は昨夜、七不思議が伝えられる路地で、怪物に化けてあたし達を脅かした(そしてあたしのペンも踏みにじった)。 それは、つまり? 「じゃああの『七番通路の影歩き』って、実は霊なんかじゃない……って事かよ!?霊現象じゃないなら、七不思議で飛び級のご褒美がどうのこうのってのもおかしくなってくるじゃん」 「さあナ。“あれ”を取っ捕まえて聞き出すのが一番早ェだろ」 ムヒョが楽しそうに含み笑いをした。 「幸い、向こうは煩いぐらい人の言葉で喋りやがる奴だしナ。ヒッヒ」 「…………」 あたし達は顔を見合わせた。答えは既に決まっていた。それを意思表示したのは、しばらく経った後なのかたった一瞬の後なのかはわからない。だが確かにあたし達は同時に頷いたのだ。満場一致。 そうと決まれば。 行動──開始だ。 第6話:行動開始(了) 七色の魔声/どり〜む/ふる〜つ村。 |