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第4話:七ツ眼のお化けイヌ



今この通路を歩いているのは、あたし、ビコ、ムヒョ、ヨイチ、エンチューの五人だけ。

……の、はずだったが──

あたし達五人の靴音に混じり、第六の足音が背後から聞こえてくるのだった。しかしその足音は靴音ではなく、柔らかいものがレンガをひたひたと踏む音。
それだけではなく、その足音の主の呼吸までも聞こえてきた。

──あたしの、すぐ後ろから。





第4話:七ツ眼のお化けイヌ





あたしはビコに教えてもらった七不思議、『七番通路の影歩き』の話を思い返していた。

「夜中の零時に、MLS正面玄関から反時計回りに数えて七本目の通路で異変が起こるんだって。そこを歩いていると、いつの間にかもう一組増えた足音がそうっとついてきて、一番最後にいる人が頭からばっくり……」

一番最後って……あたしじゃん!

あたしは素早く懐に手を忍ばせ、ペンをぎゅっと握った。
前方でムヒョ達がひそひそ相談しているのが聞こえる。

「……気付かないふりして歩けよ……」
「……何処でも良いから、近くのドアから建物の中に逃げよう……」
「……全力で走りゃ、逃げられるかもしれないぜ……」

──その時、あたしの肩に何か触れた。はっと息を呑めば、ビコが恐々こっちを振り向く。

「ど、どうしたの、ユキ──……あっ……!」

ビコが声を上げた。ヨイチ達も何事かとこっちを振り向く。
あたしは固まっていた。皆の視線が、あたしの左肩に集まる。つんつん、とあたしの左肩が何か硬くて尖ったモノに突かれているのが感じられた。──恐らく、第六の足音の主の鉤爪か何かだろう。怖くて動けないでいるあたし以外の皆は、視線をあたしの左肩からその先へと辿り、背後の“それ”を仰ぎ見た。彼らの視線の先があたしの遥か頭上にあったので、予想通り“それ”は巨体だという事が判明する。……わかったところでどうにもならないけど。
そしてあたしも恐る恐る振り返り、皆に倣って頭上を仰ぎ見た。そこに在るのは、ぎらぎらと鋭く光る眼が──七つ。眼が七つあるなんて一体どんな怪物!?
と、ふいに怪物が身じろぐ。巨大な頭部がぱっくりと、上下ふたつに割れた。鋭利な牙がずらりと並んでいる。怪物の、口だ。

『よ〜あ〜そ〜び〜するよな〜わぁるい子は〜〜ァァァ!』

怪物が低く唸る。あたしは思わず耳を塞いだ。怪物の声も身体と同じく、でかい。

『あッたまから〜パクッと食っちまう、でやんすよォ〜〜〜!!』
「しゃ、喋った!」

やっと声を取り戻したヨイチが叫んだ。その声からは恐怖がはっきりと読み取れる。

「う、わあああっ!!」

あたしは突然宙に浮いた。ムヒョ、ビコ、ヨイチ、エンチューとの距離がどんどん遠ざかり、あたしは彼らを見下ろす形となる。
怪物の鉤爪があたしの服の襟を引っ掛けていた。首が少し絞まって苦しいけど、そんな事言ってられる状況じゃない。

「頭からばっくり……」

食べられる!


「ユキ!」
「て、ててててててめえ、ユキを離せ!」

ビコとヨイチの叫びが聞こえた。

あっそうだ、『魔縛りの術』を施行すれば…………って。

右手に握っていたはずのペンがない。
どうやら宙に吊り上げられたあの時、思わず落としてしまったようだった。

よりによって、こんな時に!


「ムムムムムムヒョ、せせせせせ先生呼んでこい、先生ッ!」
「そんな暇無い、ユキが食べられちゃうよ!」

エンチューの叫び。

「フダを!とにかく『魔縛りの術』で、あいつを足止めしなきゃ!」

眼下のエンチューが、ポケットからフダを数枚取り出した。

「え、エンチュー、フダ使えるのーっ!?」

あたしは叫んだ。何でもいいからとにかく食べられるのはごめんだ!

「自習してるから……!でも、効くかどうかは」
『イタダキマス、でやんす〜』

怪物はあたしを更に高く持ち上げ、舌なめずりをする。

「うわっ食われる食われちまう!」
「わーっ!もう効いても効かなくてもいいからお願いエンチューっ!!」
「効いて!『魔縛りの術』!」

悲鳴に近い叫び声と共に、エンチューが渾身の力で腕を振ったのが見えた。淡い光がひょろひょろっと尾を引き、ふわふわとこっちに向かってきている。エンチューのフダだ。そしてそれは、地に落ちるぎりぎり手前で、辛うじて怪物の下脇腹にふわりと張り付いた。

『へ?』

怪物は不思議そうに小首を傾げ、何事かと自分の下脇腹に目を向ける。
皆が息を詰めて見守る中、フダはぽんと間抜けた音を立てて破裂し、あっさり千々に崩れ散ってしまった。
不発、だ。

「もうだめだ……」

エンチューは悲痛の声を上げ、地面に膝を付く。

『痒い、でやんすね』

怪物はぽりぽりとフダが張り付いた辺りを掻いた。本当に、全く効いていない。

『さてと。あーん、でやんすよ〜〜』

怪物は再び大口を開けた。

「だめだめあたし美味しくないからー!お腹壊すよー!!」

ほとんど泣きかけの声で叫ぶあたし。手足をばたつかせたが、何の効果も得られなかった。

「届いてっ!!」

ビコの必死の声が聞こえた。すると、ぽーいと何やら黒い物が怪物の口の中に投げ入れられた。
ごくん。
怪物がそれを飲み込んだ音。直後、怪物は叫び出した。

『苦っ!苦いっ!なななな何するんでやんすか〜!!』

怪物は顔を覆い、その拍子にあたしは放り出された。間一髪、慌てて駆け寄ったエンチューとヨイチが、落下点ぎりぎりの位置に滑り込む。辛うじてあたしは彼らに受け止められたので怪我らしい怪我はしなかったが、その辺りにいたビコやムヒョも巻き添えになってしまった。

「よ、良かったぁ〜……」

うう、と呻きながら起き上がるあたし。ビコも同じく起き上がった。

「大丈夫?ユキ」
「うん、ありがとう……ビコのお陰だよ」
「オイ」

ムヒョの不機嫌な、低い声が下から聞こえてきた。

「上に乗っかったまま呑気にお喋りしてんじゃねェヨ」

ムヒョに言われて気が付いた。あたしとビコは二人して、地面に伏してぺっちゃんこになっているムヒョ、ヨイチ、エンチューの上に座り込んで話をしていたのだ。

「あ、ごめんごめん!」

あたしとビコは彼らの上から降りた。
怪物はまだ顔を押さえたまま、ぺっぺっと唾を吐きながらもがいている。

「ていうかビコ、いったい何食わせたんだよ。毒か?」
「毒じゃない。自分で作ってみた胃の薬。身体に良い。1500円」
『めっちゃくちゃ苦いでやんすよ〜〜!!』

未だに悶え苦しんでいる怪物は、何やら妙な煙を噴き上げていた。

そんなに苦かったのかな、ビコの胃薬……。
ていうか、ビコの性格からして絶対この後この怪物に胃薬代1500円請求しそうだ。

そんな事を思いながら暴れ狂う怪物をぼーっと見ていると、何処からともなくばきっという音が聞こえた。

「え?」

どうやら怪物の巨大な足が何かを踏んだらしい。彼の足元に、何か細いものが真っ二つに折れていた。暗くて見えない。何だろあれ……。

「あ。……あああ!」

その細いものの正体がわかった時、あたしは思わず声を上げてしまった。

ショック、ショック、ショック……。
今日は何て散々な日なんだろう。しかもまだ一日は始まったばかりだ。『幸先が悪い』どころじゃない。怪物に食べられかけたと思えば今度は、魔封じの筆が折られるなんて!

「ぱ、パパに怒られる……」

そう呟いたあたしの目尻には、うっすらと涙が溜まっていた。パパはいつも、魔具は大切に扱えとうるさいぐらいに言う。
ペンが折れたと知られたら……しかも、校則違反真っ只中で……。
怒ったパパは恐い。あたしにとってパパに怒られるという事は、怪物に食べられかけるのと同じぐらい最悪な出来事なのだ。と言ってもしょっちゅう怒られるのだが……。

見れば、いつの間にか、その諸悪の根源の怪物はあたしの身長よりも小さくなっていた。さっきは大きかったし怖かったしでよく見れなかったが、今はよく観察出来る。
くるんと巻いた尻尾に尖った両耳。犬……ではない。普通の犬なら、六本も足は無いはずだ。七つも目は無いはずだ。その目は七つとも、あたしと同じように半泣きになっている。
その犬らしきものは、あたし達に向き直った。後ろ二本足で立って。

『おまえら酷いでやんすよ〜。折角助けてやったってのに、あんまりな仕打ちでやんすっ!』
「……この犬、喋ってるぜ……」
「変な犬」
「犬にしちゃあアホ面だな。ヒッヒ」
「うう……」

あたしは犬(という事にしよう)の足元に無残にも真っ二つにされたペンをそっと拾い上げた。もちろん犬と他の四人との会話なんて聞いていない。

「あ……あたしのペン……何て事してくれたんだよ……!」
『へ?』

がし、と両頬を掴まれた犬。掴んだあたしはそのまま犬をがくがくと揺さ振る。

「あたしのペンー!」
『へ、え、い、いや、ちょ、っと、お、お嬢、ちゃ、』
「なーおーせーええ!!」
『く、首、が、と、取れるで、やん、す』
「おおお、落ち着けユキ!な?」
「な──────にをしてるのかなあ?」

第七の声が、真上から降ってきた。五人と一匹が同時に振り向く。そこにいたのは、MLSの教員で、小さい頃からの知り合いである、ペイジさんだった。
ペイジ・クラウス。MLSの名物教官。魔法律家の最高位である執行人。あたしの尊敬する人。長めの顎髭に、丸い眼鏡。かなりの長身。エトセトラ。
巡回用に先生が持つランプが、彼の顔を下からぼうっと照らし浮かび上がらせていたのでとても不気味だった。
あたしはすぐにペイジさんだとわかったけど、わからなかった他の四人は彼を悪魔か何かだと思ったのか知らないが、悲鳴を上げて逃げ散った。

「待て待て、待て、私!私だ、ペイジだよ、酷いねえちょっと君達、何で逃げるの、ちょっと!」

ペイジさんは愛用のステッキを付き、慌てて一歩踏み出しランプを高々と上げる。それで初めて彼らはペイジさんだと認識したようだ。

「何だ。ペイジ先生か」

ぼそりと呟いたビコの手には、邪祓塩が握られていた。エンチューは数歩逃げたところで腰が抜けたのか、べったり尻餅をついている。一番遠くまで逃げていたヨイチは、笑っているムヒョを引きずりながら恐る恐るこちらに引き返して来た。

「夜の風に紛れて誰かの叫び声がするからよもやと思って覗きに来てみれば、まさか君達とはね。どうしちゃったんだい。うーん、寝ぼけてトイレの方角と間違うにしては、随分と豪快な迷い方だけどなあ」
「そ、それどころじゃないっすよ!い、今そこに、喋るおかしな犬が」
「あ!……あれ?」

あたしが掴んでいた犬は、いつの間にか消えていた。ペイジさんの登場で思わず離してしまったその隙に逃げたのだろうか。いや、それでも、奥にはヨイチ達がいて、前方にはペイジさん。隠れる場所はもちろんの事、逃げ場などない。あるとすれば頭上に細く覗く夜空ぐらいのもので……犬が飛べるというのなら話は別だが。
消えた。先程の出来事は夢だったんだよとでも嘲笑うかのように、最初からそんなへんてこな犬なんていなかったんだよとでも揶揄するように。
でも、あたしの傍には真っ二つのペンが転がっている。それが何よりの証拠。

「え?何がいたって?」

ペイジさんは、心底不思議そうに眼鏡を持ち上げ、まじまじと周囲を見渡した。

「たった今、そこにいたんすよ!犬!いや、それがフツーの犬じゃなくってバケモノに化けてたりもして、しかもこーんなとんでもなくでっかい奴に!」
「先生、本当です。目が七つも光っていて変身も出来て、人の言葉も自由に話せるんです」
「そういやクソ生意気な事をべらべら喋ってたっけナ。ヒッヒ」
「薬代、踏み倒された」
「あたしのペン!」
「おいおい」

ペイジさんは笑ってステッキで身を支えた。少し手間取って膝を折り、あたし達の視線に屈む。

「ちょっと落ち着いてくれないか。知っているだろうけどね、此処の施設内はかねてより対霊防壁をパーフェクトに施してあるんだよ。何しろ魔法律家を養成する専門機関を名乗っておきながら、もし本当にお化けイヌとやらに平気で散歩されまくっているようでは我々としてもちょっと格好が付かないからねえ」
「でも……オレ見たんすよ。本当に、すっげーおかしな顔の犬で」

その時、不意にばさばさと羽ばたき音が響き渡った。そこにいた皆は一瞬びくりと身を固まらせるも、何て事はない。飛び立った影は、何処にでもいるごく普通の蝙蝠だった。それは何故か絶妙にヨイチすれすれの位置で糞を落として去っていった。

「証拠だってありますよ!ほら、この……ユキのペン、そのお化けイヌに踏み潰されたんです」

ヨイチはそう言ってあたしのペンを拾い上げ、ペイジさんに突き出した。それを見たペイジさんは、あれまあという顔をしてヨイチから二つになったペンを受け取る。

「ふむ」

しばらくそれを眺めていたペイジさんは、何故かそれをマントの内側にしまった。そして代わりに愛用のパイプを取り出す。

「あのね、君達。どうも此処最近、生徒達の間で『MLS七不思議』なんてものが流行ってるみたいだけどね、怪談話というのは歴史ある学校には必ず付いて回るおまけみたいなものでね。先輩から後輩に尾ひれという尾ひれを盛大に付けて伝えられていく、言わば伝統なんだよねえ。つまり、丸々鵜呑みにして信じるようなものじゃ──」
「あのイヌ、七不思議の七番目かも」

(勇敢にも)ペイジさんの言葉を遮ったビコの呟きに、ヨイチとエンチューは思わず竦み上がった。

「七番目って、七不思議の一つに数えられているのに誰も内容を知らないとかいう……」
「絶対そうだって、やばいって。だいたい脚があんなにいっぱい付いてる犬なんておかしいよな。脚が十本ぐらいあったしさ!」
「そんなにゃねェだろ」
「あった。二十本ぐらい付いてた、確か」
「あたしのペン……」
「あのね君達、私の話を聞いてるかい?」

ペイジさんが口を挟むが、あたしは放心していたし、他の四人はお喋りに夢中で聞いていない。

「もしかしてオレ達、凄いんじゃないか?考えようによっちゃ七不思議の七番目に出くわしたどころか、怪物を追っ払ったって事だろ!?」
「ヒッヒ、全力で逃げてたのはこっちみたいだったがナ」
「あれだけ人語で喋れる魔物は珍しいと思うんだ、かなり貴重だよ。とにかく皆に怪我が無かっただけでも良かったけど」
「薬代、踏み倒された」
「あたしのペン……」

その時、放心状態のあたしはぴりっとした冷たい空気を感じた。

「……一体何時だと思ってんだよチビ共……」

舌打ちと共にぼそりと吐き捨てられた呟き。一気に覚醒、あたし。
恐々顔を上げてみれば、一瞬で表情を和らげたペイジさんが頭を掻いてみせた。「え?今ボク、何か言った?エヘヘ」と人の好い笑みを満面に浮かべつつも、眼鏡越しの目が全く笑っていない。

出た、ブラックペイジさん!

「夜空の下の散策は、確かに詩作には最適だけどね」

ペイジさんは両手を広げる。

「夜間無断外出は重大な校則違反である事は、皆もわかっているよねえ?」

『重大な』を強調して言うペイジさん。

「さあ皆、部屋に帰った帰った!」

そうして彼は、未だ硬直しているあたし達をにこやかに寮の方向へと追い立てたのだった。





第4話:七ツ眼のお化けイヌ(了)

七色の魔声/どり〜む/ふる〜つ村。


あきゅろす。
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