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第1話:レイ



夕 日 が 街 を 血 の 色 に 染 め て い く 。
それは、その街が数時間後には闇に飲み込まれてしまうという前兆。



そして此処は、真っ先に闇に飲み込まれた場所。否、常闇の世界。街に光が降り注いでいる真昼時でさえ、この場所は薄暗い。
しかし、普段は猫一匹さえ通らないその狭い路地を、今日は一人の小さな少女が駆けていた。何故か背には闇色のマント。身長や幼い顔付きから小学校低学年あたりに見えるかもしれないが、彼女の纏わせている雰囲気が断じて小学生ではないという事を物語っている。
彼女はただまっすぐ、目的地に向かって走り続ける。焦りと不安の混じった表情を浮かべながら──。





第1話:レイ





それは一時間程前の出来事だった。
あたしが霊犯罪に関する仕事の依頼を受けたのは。

『魔法律』──年々増加する霊による犯罪を裁くために設けられた、公には新設とされている機関。そしてそれを扱う事の出来るあたしのような者を、魔法律家と呼ぶ。ちなみに、あたしは魔法律家の最高位である『執行人』だ。昇級して一年も経っていない新米の、だが。助手はまだ採っていない。だからあたしは一人で依頼をこなしている。
依頼。先程述べた事を考えればわかると思うが、あたしが引き受ける依頼とは、裁判の弁護やら訴訟やら何やらそういった類のものではない。霊だ。だから当然、霊に関する依頼のみを引き受けている。あたしは弁護士じゃない。そっちの司法試験に合格どころか、受験してすらいない。……そういえば過去に、法律相談事務所かと勘違いして入ってきた人がいたけど。『魔』が抜けるだけでこんなにも引き受ける依頼の内容は変わってくるというのに。
いや、今そんな事はどうでもいい。
つまり此処、『瑞花魔法律相談事務所』を訪れる人々は皆、霊に関する悩みを抱えて来ているという事だ。

この依頼人も、例外ではなかった。

依頼人は女の人で、泣いていたのか目を赤くしながらあたしの事務所に入ってきた。
話を聞くと、どうやらこの女性の幼い息子が霊に連れ去られたらしい。

「……一緒に、買い物から家に帰る途中でした」

女の人はハンカチを目に押し当てながら話す。

「……っ、いきなり周りの空気が……、凍った感じがしました……。何が起こったのかわからないうちに、私と息子は白いモヤに覆われまして……。そ、それで、声が聞こえてきました……!」
「何を、言っていましたか」

声を震わせる女性とは対象的に、あたしは冷静に訊ねた。
依頼を受ける際、泣いている依頼人はよくいる。依頼内容もよくあるパターン。
だがそれには人の命がかかっている。あたしは冷静に、依頼をこなさなければならない。感情的になってはいけない……。

この女性の息子をなるべく無傷で悪霊から救出する事。これがあたしに課せられた、依頼内容。あたしの仕事。あたしの任務。
そう、人の命がかかっている。失敗は許されない。焦りは失敗を生み出す。感情は棄てなければならない。感情に突き動かされて今すぐに事務所を飛び出したって、何にもならない。むしろ余計な時間がかかり、逆にこの女性の息子の命が危うくなる。
今は冷静に、情報を集めなければ。そしてその情報を元に、最適な手段を頭の中で組み立て迅速に行動しなければ。

女性はしばらくしてから、あたしの問いに答えるべく再び口を開いた。

「あ、あまりはっきりとは覚えていませんが……リョウを、リョウをさらって、……く、喰ってやる、みたいな事を……っ」

『リョウ』──この女性の息子の名前、だろうな。

「それが起こった場所は、どのあたりですか」
「7丁目の、雑木林の……近くです……」

此処からあまり離れていない。普通は霊気を感じられたはずだ。どうして感じる事が出来なかったんだろう。あたしの霊感が鈍っていたのか、それとも──
霊気を操作出来る程の悪霊の仕業か。
どちらにせよ、あたしにとって良い状況だとは決して言えなかった。

女性はハンカチに顔を埋め、鳴咽を漏らした。

「あ……あの子、まだ6歳だというのに!」


──刹那、フラッシュバックの様に、あの声が脳内に蘇る。


「子供だ……」
「可哀相に……」
「まだ6歳だったんだろう?この子……」
「つい最近、誕生日を迎えたって……」



目眩がした。心臓が早鐘を打ち、息苦しくなってくる。

「……いつですか」
「え……?」

あたしはいつの間にか立ち上がっていた。

「何分くらい前にさらわれましたか」

ああもう、感情的になってはだめだとさっき自分に言い聞かせたばかりなのにあたしは──。

女性は腕時計を見て考えている。逆算しているのだろうか。

「……たぶん、3時間程前だと思います」

3時間前。
まだ望みの持てる時間なのか、それとも──
いや。望みを持てるか持てないかはあたし次第だ。時間ではない。

あたしは早足で玄関に向かい、玄関脇に掛けてあった闇色のマントを羽織った。

「あ、あの……?」

戸惑いがちの彼女の声。あたしはそっちを振り向かず言った。

「大丈夫です、お母さん。──あたしとリョウくんが戻るまで、此処で待っていてください」

冷蔵庫にあるポッキー食べててもいいですよ、と付け足してあたしは外へと駆け出した。

事務所を出てすぐ、あたしは通り風に立ち止まった。そして目を閉じる。一般人なら秋の物寂しい風流ある風としてしみじみと感じる程度だろうが、魔法律家であるあたしにとって、この風の意味するところはそんなものではない。
僅かだが、霊気が混ざっている。

「……北西、3km」

約3時間前……。
あたしは呟き、目を開けて駆け出した。

待っててね、リョウくん。
絶対に、絶対に、弟と同じ目になんて遭わせやしないから。





目的地に近付くにつれ、あたしの息は詰まってきた。それはただ単に走り疲れたからという理由だけではない。

お願い……生きてて……。

あたしは一軒の廃屋の前で足を止めた。扉を開けようとする。びくともしなかった。

落ち着け……『霊錠解除』だ。

あたしは懐から魔法律書──刑を執行するのに必要で、執行人には欠かせない書だ──を取り出し、目的のページを開き、早口で唱えた。

「魔法特例法第18項より『霊錠解除』を発令する」

扉は音を立てゆっくり開き始めたが、あたしはのんびりとそれを待つわけもなく、無理矢理こじ開けて中に滑り込んだ。

暗闇に視覚が支配される。
生臭さに嗅覚が支配される。
異様な静けさに聴覚が支配される。
肌に突き刺さるこの感覚は霊気。
何処までも闇が続く、静かな世界。
少しでも音をたてる事に躊躇うほど。
呼吸の音も、心臓の音さえも。
まるで此処だけ、現実世界と隔離されているかのよう。
あたしはその未知の世界へと一歩、踏み出した。床が軋み、埃が舞った。

……生きてて……!

あたしは一番霊気の強い場所へと素早く移動した。あたしの目は暗闇に慣れてきたようで、柱などといった障害物がぼんやりと見える。あたしはそれを避けながら前に進み、最終的に一つの扉に辿り着いた。霊気はこの扉の向こうの部屋の中が発生源のようだ。そこにリョウくんがいるとは限らないけど、どちらにせよ此処に霊がいる確率は高い。そしてどちらにせよ最終的には、あたしは霊を裁く。
扉はまたしても開かなかった。あたしは再び『霊錠解除』を発令して扉を開け、中を覗き込んだ。

黒髪の、幼い男の子が俯せに倒れていた。おそらく彼が依頼人の息子であるリョウくんだろう。生きているのかどうかはわからない。あたしは駆け寄りたいのをぐっとこらえ、中が安全かどうか見回した。執行人を罠に掛けようとする質の悪い霊は多い。用心に越した事はない。
あたしは部屋、壁、そして最後に天井を見回した。霊気は強いが霊の姿は見当たらない。ちなみに倒れているリョウくんに化けているというのだったらすぐにわかるからそれはないだろう。級の高い霊は別だが。やはり、何処かに姿を隠しているのだろうか。
取りあえず、あたしが中に入らなければ何も始まらない。そう思ってあたしはそろそろと部屋に入った。そしてリョウくんの元へと駆け寄った。
手首に触れる。まだ温かい。
そして、脈はあった。

……良かった……生きて、た……。

あたしは安堵の溜息を漏らした。
すると、急に生臭い臭いが強くなった。霊燐だ。悪霊の出す、濃度の高い霊気。あたしは辺りを見回した。
声が聞こえてきた。間違いなく生者の声ではない。この世に執着を持つ、本来この世にいてはならない、死霊の、声。

『コロ、ス……メシ……カエセ……!』

上だ!
あたしはリョウくんを抱いて飛び退いた。間一髪。さっきまであたし達がいた場所には、霊のどろりとした手のようなモノが。

『……カエ、セ……!』

どろどろと、本体も天井から落ちてきた。一つしかない赤い目が、こちらを睨む。
どろどろ、びちゃっ。ぼたぼた。
あたしは顔をしかめた。まだ慣れないな、こういう音。ずっと昔から、聞き飽きるぐらい聞いているはずのに。

『コロス……ッ!』

ぐわっと、手がまた襲ってきた。あたしはなんとか左腕だけでリョウくんを抱えながらかわした。右手は魔法律書を取り出す為に使えなかったのだ。

「魔法律第610条『誘拐』の罪により『業火達磨』の刑に処す!」


薄暗かった部屋が真っ赤な光に照らされ、
肌寒かった部屋の温度が一気に上がる。
頭が少し、熱い。おそらくあたしの背後の壁、頭の上のあたりから大きな火の玉がゆっくりと出てきているのだろう。球状になった、地獄の業火が。

一瞬だった。
赤い閃光が、ぎゅん、と走る。
それは悪霊にまっすぐ向かう、火の玉。
悪霊は避ける間もなく、直撃を受けた。

『ア、ァアァァアア、ア゙ア゙ア゙ッッ!!!』

苦しみの叫び声を上げる霊──否、火だるま。すっかり炎に包まれている。あたしはそれに目を細めた。
しばらくして炎が燃え尽きた。執行終了。霊は地獄に送られた。
部屋は元の薄暗さと元の肌寒さと、元の静けさを取り戻した。炎をずっと眺めていたせいで、目がちかちかする。
すると急激に眠気が襲って来て、あたしは床にへたりこんだ。魔法律を使用した後はいつも疲れて眠くなる。“煉”という精神力のようなものが消費されるからだ。煉は魔法律の使用に必要なものであり、消費されると使用者は眠気をもよおす。消費されすぎると眠気どころじゃないけど。
あたしは煉が常人よりも多い方だから、このぐらいの魔法律一回……いや、特例法も入れて三回か。とにかくこのぐらいの魔法律を数回使っただけで、眠気に耐えられないって程ではない。寝たいけど、我慢は出来る。
それに、あたしの仕事はまだ終わっていない。リョウくんを無事に母親の元へ送り届けるまでは。こんなところで寝ている暇なんてないし、こういう場所は霊が集まりやすい。まあそれ以前に此処で寝たいとは思わないけど。

そんな事をぼんやり思考していると、リョウくんが目を覚ました。

「……うー……ん?」
「!」

えーと。

「おはよう、リョウくん」

取りあえず挨拶をした。

「……ぼく……?」

リョウくんはあたしを寝ぼけ眼でぼうっと見つめる。その後、彼は辺りをきょろきょろと見回した。寝起きだからか、頭が充分に働いていない様子だ。そうしているうちに彼は、連れ去られた時の恐ろしい記憶が蘇ったのか、泣き始めた。それを見て、あたしはシュンを思い出した。

「…………」

今は亡き、あたしの弟。

あたしはリョウくんの頭をそっと撫でてあげた。昔、シュンが泣いていた時にしたのと同じように。

「……大丈夫だよ。怖いものはもう、おねえちゃんがやっつけてあげたから」

そう言うとリョウくんはすごく安心したような表情をした。人見知りはあまりしないらしい。
ぐす、と鼻を啜り、彼はお礼を言った。

「……っ、ありがとう、おねえちゃん」
「どういたしまして」

この子は何処かシュンに似ている、とあたしは感じた。容姿は全く似てはいないが、そんな表面的なものじゃなくて、もっともっと深いところで。それは、もしかすると、……魂、なのかもしれない。

二年ぶりに、やっと安らぎを得た感じだった。心が穏やかになっていた。こうやって彼の頭を撫でていると、弟がまだ生きているかのような錯覚を起こす。でもあたしの隣にいる子は全くの別人で、弟がこの世にいる事は有り得なくて。弟だけじゃない。パパもママもだ。全て、あたしのせいで──。

感傷に浸っていると、ふと何か違和感を覚えた。

おかしい。霊は倒したはずなのに。
……逆に、霊燐が濃くなっている。

そういえば……、と記憶を辿る。

そういえば、3km離れた此処の霊気は感じれたのに、リョウくんが誘拐された時の霊気は全く感じられなかった。7丁目の雑木林は事務所から300mほどしか離れてないのに。霊気を隠す事の出来る霊なら、此処の霊気だって当然隠すに決まってる。

(……まさか、)

リョウくんを連れ去る時に霊気を隠した。これはこの時点で、あたしが何も気付かないようにする為。
此処の霊気は垂れ流す。これはあたしに居場所を教え、誘い出す為。
濃くなった霊燐。これは霊は一体だけではなかったという事。おそらく先程の霊は下っ端辺りだろう。その霊を倒させ、煉を減らさせ、弱ったところを──。

全く、何て霊だ。危うく罠にかかるところだった。そう、あたしはまだ罠にかかってなんかいない。この霊の誤算はただ一つ。あたしの煉はその辺の魔法律家よりも多いという事だ。霊一体に魔法律を使ったところであたしはそう簡単にくたばらない。


「……おねえちゃん?」

険しい表情のあたしに、リョウくんが遠慮がちに声をかけた。
「何?」と返事をしようと思ったあたしははっとした。

ちょっと待って。じゃあ何故リョウくんは無事でいる?3時間以上時間があったんだ。ただ単に魔法律家を狙っての仕業なら、あたしが此処に着く前にリョウくんを喰べても別に構わないはず。どちらにせよあたしは此処に来て、霊と対峙して、煉を消費するんだから。だからと言ってこの子が霊の化けた偽物のリョウくんのはずもない。体温のみならず、脈もあったから。
じゃあ、じゃあ──
何の為にリョウくんを生かしておいたの?

うーんと唸ってもわからない。
何にせよ、あたしは此処にいる霊に裁きを下すまでだ。
あたしは魔法律書を再び取り出した。


「……おねえ、ちゃん……?」

リョウくんの遠慮がちな声、二回目。そういえばさっき無視してしまっていた。

「ごめんね。何?」
「ママは?ここどこ?まだかえらないの……?」
「帰らないよ」

答えたのはあたしではなかった。

「帰られたら、僕が困るからね」

そう言って、声の主はクスクスと笑う。あたしは固まってしまった。
この声は、よく知っている。いや──、あたしの知っている“彼”の声はもっと温かかった。彼が声を発しただけで室温が5度以上下がるなんて事はなかったはずだ。

まさか、まさか、こんなところで“彼”と二年ぶりの再会を果たすなんて……!

「エ──」

あたしは部屋の入口を、ゆっくり振り返った。

「エンチュー……?」

本名は円宙継。魔法律学校、MLSのかつての同期生。努力家の天才だったが、今や反逆者と化したエンチュー。その彼が、そこに立っていた。

「久しぶり、ユキ」

エンチューは、昔と変わらない笑顔で挨拶してきた。





第1話:レイ(了)

舞雪/どり〜む/ふる〜つ村。


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