第2話:決意
第2話:決意
長く伸びた彼の綺麗な銀髪が、二年という月日の長さを物語っている。あの日以来、一度も髪を切っていないのだろうか。
彼は、二年前とは大分変わってしまっていた。いつも柔らかく温かな雰囲気だったエンチュー。だが今の彼は氷のような鋭く冷たい雰囲気を纏わせている。
「……おねえちゃん、あのひととおともだち?」
リョウくんは首をちょっと傾げてこちらを見上げる。あたしはエンチューをじっと見つめたまま、「まあね」と答えた。それを聞いたリョウくんは安心している。どうやら、あたしの友達イコール自分に危害を加えない人だという公式がこの子の頭の中には成り立っているらしい。
「ユキ、執行人になったんだってね?」
エンチューは相変わらずにこにこした表情のまま、あたしに話し掛ける。だがその表情の裏の表情があたしには見えた。嫉妬。かつて自分の求めたものを、あたしが、手に入れたから。
「結構有名だよ。『あの最年少裁判官が執行人に!』とか、『六氷透に次ぐ年少執行人』とか、さ」
六氷、透。懐かしい名前が出て来たな。
エンチューと同じくあたしの同期生である彼。通称ムヒョ。エンチューと執行人の座争いをして、最年少天才執行人の名誉を勝ち得た人物だ。皮肉な事に、彼は執行人の座なんて欲しくなかった。出来る事ならエンチューと交代したかった。あたしはそれをよく知っている。
エンチューはどうしても執行人になりたがっていた。貧乏な家と病気のママを助けるんだと、口癖のように言いながら一生懸命勉強していた。だがそれは叶わなかった。エンチューのママは亡くなってしまった。しかもそれがまた執行人選定の日と重なってしまった。エンチューは二重の絶望を味わい、そして──ムヒョを恨んで、反逆者の道へと入ってしまったのだ。
「ねえ、何でユキは執行人になったの?」
エンチューは訊ねた。酷く愉快気に見えるのは気の所為だろうか?
「……あたしが負った傷を、他の人達に負わせたくなかったから」
あたしはそれだけ答えた。
「ウフフ。『あたしが負った傷』、かあ……。それって、大量の悪霊に襲われて亡くなった家族の事?」
あたしは身体を強張らせた。エンチューの問いは、的を射ている。
「辛かったでしょ?自分だけ取り残される苦しみは……死よりも」
「……」
エンチューは無言のあたしを気にせず話し続ける。
「僕にはすごくわかるよ。ママが大好きだった僕はひどく苦しかった。同じように家族が大好きなユキなら絶対、僕と同じ苦しみを味わうと思った。わかっていたよ。だから僕は、ユキの一番苦しむ方法を使ったんだ」
「え……?」
使った?あたしが一番苦しむ、方法を……使った、って?
「ユキの家族を殺すよう霊達をけしかけたのは、この僕だよ」
思考が、否、世界が、停止した。
ちょっと……待って……
……今、何、て?
「聞こえた?ユキ。簡単に言うとね、」
ユキの家族を殺したのは僕だって事──。
ぐらり。
世界が傾いた。
何とか両足に力を入れて、倒れないようにする。
「どう、して……」
やっと、それだけの声を搾り出した。
『友達が家族を殺した』、この新事実にあたしは動揺する事しか出来なかった。頭が真っ白になる。
エンチューはそんなあたしの様子にクスクスと笑う。
「ねえユキ。僕が憎い?それならきっともう、僕の事一生忘れられなくなるね。誰かを忘れたくても忘れられない時って、愛しくて堪らない時と憎くて堪らない時の二パターンあるんだ。愛情と憎悪は紙一重とはよく言ったものだね」
あたしは何を言えば良いの?
あたしは何をすれば良いの?
あたしは何を考えれば良いの?
エンチューは笑うのを止めて、ふう、と溜息をついた。
「──でも、その様子だと今日まで何も聞かされていなかったみたいだね。調査部のヨイチとかに」
ヨイチ。また懐かしい名前だ。
火向洋一。彼もまた同期生。『魔法律界のプリンス』なんて呼ばれている裁判官だ。今は調査部の一員らしい。
「……せっかく、わざわざ…………のに……」
エンチューが何か呟いたが、小さすぎて聞き取れなかった。それ以前にあたしの耳の機能が鈍っていたのだけど。耳だけじゃない。全機能が、鈍っている。
「……まあ、いいよ」
エンチューは再び顔に冷たい微笑みを浮かべる。
「僕がユキに会いに来た目的は、これを教える為だけじゃないしね。ユキの素敵な素敵な表情を拝みに来たんだ」
もっと、もっと、深いところに落としてあげる。絶望という名の、真っ暗な底無し穴に。
その時君は、一体どんな表情をするのだろうね?
謳うように紡がれたその言葉に、戦慄を覚えた。
そして、
「……もしかして……」
霊達の不自然な行動。やっと気付いた。
「リョウくんを誘拐した霊も……」
「ウフフ、そうだよ。僕がけしかけた。ユキなら絶対来ると思っていた」
「っ!リョウくんは関係ないのに!!」
あたしは叫んだ。リョウくんは不安げな表情であたしを見上げる。
「でも、その子がユキの目の前で殺されてしまったら……ユキはもっと苦しむよね」
だから、あたしが此処に駆け付けるまではリョウくんに手を出せなかったんだ。あたしの目の前で殺すつもりだから。
だけど今は違う。エンチューは、リョウくんを殺す気、だ。あたしの……目の前で。あたしが苦しむように。
今や霊燐は部屋中に充満しており、霊気もびりびりと身体中で感じる事が出来る。沢山の悪霊達が、エンチューの背後で揺らめいているという事もわかる。早く人を喰べたくて仕方がない様子だ。何か冷たいものが背中を流れ落ちた。リョウくんもただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、あたしに擦り寄ってぎゅっとマントを掴む。
出口は一つ。エンチューが立っている扉だけ。
……戦闘は、やはり免れない。
そしてとうとう、エンチューは後ろの霊達に向かって話し掛けた。
「お腹空いてるでしょ?」
霊達が唸る。蠢く。
クイタイクイタイクイタイ……
「あの男の子、食べて良いよ」
それを合図に、悪霊達が、一斉に部屋の中へ入ってきた。
『クワセロ』
『クワセロ』
『クワセロ!』
何としてでも、リョウくんを護らなきゃ……!
あたしは唇を噛み、素早く書のページをめくった。
「魔法律第402条──」
って、速……ッ!
こちらの悪霊達は面倒な事に先程の悪霊よりも数倍素早い。あっという間にあたし達との距離を縮めた。
「っ、」
間に合わない。
あたしは執行を中断し、リョウくんを庇った。そのせいで二人共床に倒れ込んだ。そしてさっきまでリョウくんが立っていた場所には、霊の手が。
「リョウくん、大丈夫!?」
リョウくんは目に涙を浮かべながらこくこくと何度も頷く。泣くまいとしている様子がひしひしと伝わってきた。
小さいのに偉いな、と頭の片隅で感心しながらも、すぐに立ち上がって体勢を立て直した。
「女の子の方は食べちゃダメだよ。動けないようにするならいいけどね」
再び霊達が襲ってきた。
あたしはリョウくんを引っ張ってそれをかわし、何とか刑の執行をしようとした。
「『食人未遂』及び『魔法律執行妨害』の──」
気付けば目の前に白っぽいどろどろしたもの。それをまともに受けてからやっと、あたしはそれが霊の手だと理解した。しかも思ったより硬い。背後の壁に思いっ切り叩きつけられ、頭を打つ。目がちかちかして何も見えない。何かが手から滑り落ちたような気がした。何を落としたんだろう。あたしは何を持っていたんだっけ。
霞む目で辛うじて見えたのは、少し先に落ちているあたしの魔法律書。先程激痛のあまり取り落としてしまったのは、あたしの書だったんだ。
そして次に見えたのは、
「リョウ、くん……!?」
あたしの書に向かって走る、リョウくんだった。いつの間にかあたしの腕から抜け出して。
「リョウくん!」
霊達は一斉に、リョウくん目掛けて飛んでいく。
「だめ……っ!」
──あたしは何の為に執行人になったの?
残った者の悲しみ。終わりなき絶望の闇。自分を責めて責めて責めて。何故護れなかったのだろう。何故自分も死ななかったのだろう。シネバヨカッタノニ。
そういった苦しみ悲しみの傷を負うのは、あたしだけで充分だ。あたしで終わり。そう思ったんだ。
パパやママやシュンが殺されたのも、全てあたしの無力故だった。そう、あたしは力が欲しかった。もう誰にも傷を負わせない、護る力が。
もう二度とあんな悲劇は起こしたくない。
もう二度とあんな悲劇は起こさない……!
強い思いが身体を動かし、そして──
鮮血が、舞った。
「……お、」
声を震わすリョウくん。
「おねえ……ちゃぁ……!」
「……だいじょうぶ」
左肩が凄く痛い。くらくらする。彼に心配かけまいと精一杯微笑んでみせたが、痛みに顔をしかめたようにしか見えなかっただろう。指先を伝って床にぽたぽた落ちていくのは、あたしの血。霊が自分の手に付着したそれを美味そうに舐めとった。
リョウくんは怪我をしていない。良かった……。心の底から安堵した。
「……おねえちゃん……あの、これ……」
リョウくんの言葉に目を上げると、彼はあたしの魔法律書を両手に持ってこっちに差し出しているのが見えた。手が震えているのは霊やあたしの出血の恐怖からか、それともあたしの魔法律書から煙が出ている事の恐怖からか(魔法律書は所有者以外の手に渡ると一分で自爆する仕組みだ、煙はその前兆である)。おそらくは両方かもしれない。
「……ありがと、リョウくん」
あたしはリョウくんから書を受け取った。
この子の勇気が嬉しかった。それがあたしの決意を、更に強いものとさせた。
絶対に、この子を守るんだ──!
「魔法律第402条」
リョウくんを抱え、霊の攻撃をすんでのところでかわす。
「『食人未遂』及び『魔法律執行妨害』の罪により」
またかわす。あたしはリョウくんをしっかりと抱き締めた。
「『青蓮』の刑に処す!!」
今度は先程の執行時とは違い、室内の温度が一気に下がった。吐く息が白い。
すると霊達の真下にぽっかりと穴が開き、そこから一輪の蓮の花が出現した。だが普通の蓮の花ではない。巨大で、青い光を放っている。
霊達の動きが止まった。止まった、というよりも、止められた、の方が正しいかもしれない。彼らは蓮の花に包まれて、凍っていく。その時あたしは出入口に立っているエンチューをちらっと横目で見た。自分の霊がやられているというのに全く動じない。それどころか口元に笑みを携え、青蓮を眺めている。
とうとう青蓮は霊をすっぽり包み込み、地獄へとゆっくり戻っていった。八寒地獄行き。
刑を執行し終えたあたしは書を閉じた。それからくらっとして世界が回って頭がずきっと痛んで、気が付けばあたしは冷たい天井を仰いでいた。
「おねえちゃん……?」
リョウくんが心配そうな表情であたしの顔を覗き込む。あたしは自分の左肩にそっと触れた。止血、しなきゃ。
もう一人、あたしの顔を覗き込んだ者がいた。さらさらとしたその者の長い髪の先が、あたしの頬に少し触れた。
「……エン、チュー……」
「もう限界かな?ユキ」
エンチューは笑った。あたしは唇を噛み、彼を睨んだ。
「言っておくけど、僕が持つ霊はあれだけじゃないよ」
あたしは目を見開いた。
そんな、てっきり、彼らを倒せば良かったものだと……!
「そういう顔、好きだよ」
君がそういう表情をしている時は、僕だけの君になったみたいだから。
ねえユキ、と囁く彼。
「もっと素敵な表情を見せてくれるよね……?」
「……!」
霊燐が濃くなった。あたしは歯を食いしばり、素早く起き上がった。そしてエンチューと距離をとる。右手に魔法律書を持って。
「させない……っ」
足元がふらつく。リョウくんがあたしとエンチューを交互に見ているのが見えた。
「絶対に、守る」
そう。今度こそ。
エンチューはそんなあたしの様子にクスクスと笑った。
「安心して。今日はもう、これでおしまいにするよ」
霊燐が、消えた。
「その出血量だし、もしもこれ以上魔法律を使わせたらユキは死んじゃうかもしれないからね。僕はまだユキを殺したくないんだ。ユキを殺すのは、ユキがもっともっと苦しんでからにするから」
エンチューが、ぼやけて見える。
やばい、気を失いかけだ……あたし。
「それに、ユキを苦しませるシナリオはまだ沢山あるしね……。本当に楽しみにしているよ。その時ユキが、どんな表情を見せてくれるのか」
エンチューの笑い声が遠退く。世界が遠退く。
それからあたしの意識は途切れた。
*
三日後。
「ユキおねえちゃーん!」
勢い良く事務所に入ってきたのは、リョウくんだった。
「リョウくん!こんにちは」
あたしは突然の来客に驚いたけど、とても嬉しかった。冷蔵庫からポッキーを出してリョウくんにあげる。
「おねえちゃん、もうケガはだいじょーぶなの?」
「まあね」
まだちょっと貧血気味だけど。
「リョウくんは大丈夫?」
「ぼくはケガしてなかったからだいじょーぶ!」
リョウくんはポッキーを持っていない方の手でブイサインをした。
「おねえちゃんすごくかっこよかったよ!ぼくもおねえちゃんみたいになりたい」
「あはは。ありがと」
自然と顔がほころぶ。それからはっと気が付いた。
あたし……自然に笑えたの、久々だ……。
「またあそびにきていーい?」
「うん」
あたしはまた微笑んだ。
「もちろんいいよ」
「それと……おねえちゃんのおしごとも、またみたい」
あたしはびっくりした。
普通の子なら、あんな怖い体験は二度としたくない、って思うのに。
「……怖くないの?」
「んー……こわい」
正直だな。
「でも、おねえちゃんといっしょだったらこわくない。おねえちゃんがわるものをやっつけてくれるから。あと、ぼく、わるものをやっつけるおてつだいもしてみたい」
リョウくんは「だめ…?」と首を少し傾げてあたしを見上げた。うーん、とあたしは考える。
危険な目には遭わせたくない。でも、この子の願いは出来る限り聞き入れたい。それに──魔法律書を必死の思いで拾ってくれた事といい、今の言葉といい──まだ幼いのに大人顔負けの勇気、度胸。
「……ま、時々覗きにおいで。運が良かったらおねえちゃんの仕事に連れてってあげるから」
「やったー!」
小さな男の子は、無邪気に喜んだ。
今度こそあたしは過ちを犯さない。
また小さな命が奪われないように。
この子の笑顔を絶やさないように。
あたしは、もっともっと強くなる。
そう、決意した。
第2話:決意(了)
舞雪/どり〜む/ふる〜つ村。
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