第16話:魔監獄 〜微動〜
第16話:魔監獄 〜微動〜
「あ……あそこがソフィーのいる、最下層……!」
ロージーくんは鼻と口を手で覆った。先程までのとは比べものにならない異臭が辺りに漂っていたのだ。
「霊燐が濃くなって──生臭くなってきたのもその所為……?」
「──違うな。生臭いのは、“あれ”の所為だろ」
霊燐の向こう、通路の端に座り込んでいる人影が。
「!……」
それは、魔法律家の証であるマントを羽織っており。
──顔を、剥がされていた。
血まみれで、既にぴくりとも動かないその頭部に、ビコは白い布をそっと被せる。
「──この人は、当直の藤原裁判官補佐……だろうね」
顔が無いから確定出来ないけど、とは言わなかった。
ふとその先の通路を見遣ると、夥しい量の血の痕がずっと向こうから此処まで続いていた。
──ソフィーに顔を剥がされても尚生きようと、此処まで登ってきたところをレインドッグに襲われたってとこ、か……。
「ごめんなさい……」
ビコは手を合わせ、謝罪した。
「ボクのフダの所為で──」
「ビコ……」
そのまま少し経ってから、彼女はこちらを振り返る。
「行こう。遺体の収容はソフィーを片付けた後だ」
気丈に振る舞ってはいてもビコの目はほんの少し涙で潤んでいた。彼女はそれを隠すように前を向き、再び歩き出す。
「…………」
結局あたしは、手伝う事しか出来ない。いや、手伝う事すら出来ていない。
何も、出来ていない。
苦しみ痛み、辛さ悲しさを和らげる事だって。彼女を守る事すら。
嘆息したくなるよ……全く。
「え?」
誰もが無言でいた中、ロージーくんはいきなり声をあげた。
「どしたの?ロージーくん──」
あたしは振り向く。そして言葉を失う。
ロージーくんのすぐ背後には、黒い翼の生えた悪霊が。
『オレ……は……死んだ……のか……?』
魔法律家のマントを纏っているその悪霊の頭部からひらり、と白布が地に落ちた。先程ビコが被せた布に相違無い。そして、頭部が、剥がされた顔が、あらわになった。口から、びきびきと鋭い歯が生えてきている。
『……い……や……だ……!』
「──ああ……!」
絶望にも似た声を上げたビコ。
『イヤだあアァァアァアア!!』
「──う……!うわぁあっ!!」
やっと声を取り戻したらしいロージーくんは悲鳴を上げた。悪霊は翼をはためかせ、掴んでいたロージーくんのフードを破る。
『ぁアァァぁ』
「し、死体が……!」
そう。
その悪霊は、さっきまで死体だった。
「魔監獄の霊燐の量が異常に多過ぎて死体の霊化が早いのよ……!」
そして。
その死体、というのは。
紛れも無く。
藤原裁判官補佐。
彼は、悪霊になってしまった。
「──ボクは……何て事を──」
袋を取り落としたビコ。そして彼女は涙を零す。
くらくら、する。
──どうして──
──これ以上──
──ビコに辛い思いを、させるの──!?
やり場の無い怒りが沸き上がってきた。それは誰に対してか自分でもわからない。もしかしたら藤原さんの顔を剥がしたソフィーかもしれないし、藤原さんにとどめを刺したレインドッグかもしれないし、理不尽だが悪霊化した藤原さん自身かもしれなかった。だが一番有力な説は“自分自身に対して”かもしれない。
「ロージーくん……」
「!」
リオ先生が、ビコを安心させるように彼女に寄り添いながら静かに頼む。
「早く、『魔縛りの術』を、」
何故か悲しかった。
何処か悲しかった。
「彼に──」
『あとッ、七日デッ帰レたのニッ……!』
リオ先生が『魔縛りの術』を施行するようロージーくんに言ったのだって、単に、悪霊による被害を恐れての頼みじゃない。
ビコをこれ以上悲しませないように──。
リオ先生の性格からしてそう思ったけど、確信が持てなかった。もしかしたら藤原さんを哀れんでそう言ったのかもしれない。
それが、何故か悲しかった。
ビコの涙も、悲しかった。
全てが、悲しかった。
藤原さんの叫びが、悲しみを助長させた。
『やりてェ事が沢山あったんだョォォォ!!家族トモ会いたかっタンダ……!!ココから出たいぃイイィィ!!──フダが無クナラなけれバ……!!フダが……!!フダが!!!』
悪霊は飛翔する。悲痛の叫び声を上げながら。
──辺りに漂う悲しみを断ち切ったのは、やはり。
「魔法律第356条、『無断変形』の罪により『魔王の矛』の刑に処す」
「……!」
ムヒョの容赦無い魔法律。『魔王の矛』が悪霊を貫く。
「故意でないとはいえ──。魔法律家たる者……悪霊になる事が、何を意味するか知らねェとは言わせんぞ……!」
『か……』
『魔王の矛』はゆっくりと、ぐったりとしている藤原さんを地面に引きずり込んだ。
「ムヒョ、どうして──」
ロージーくんはムヒョの腕を掴む。が、それはすぐに振り払われた。
「!」
「裁判官補佐ともなれば、実戦を積みレインドッグ位は跳ね退けられるはずだ……。殺られたのはこいつの不備や油断──同情の余地は無ェ。地獄行きは逃れても、煉獄行きは確定だ」
「……うん」
ロージーくんは、少々不本意ながらも頷いた。だがすぐ後に「でも」と続ける。
「でも、もう限界なんじゃ……?」
「じゃあ何だ」
ムヒョは書を閉じた。そしてロージーくんを睨む。
「オメェのその、クソペンが成功するのを待てと?」
ぎろりと睨まれ、反論するどころか動く事すら出来ないロージーくん。少し経って、ムヒョはそんな彼に背を向け歩き出した。
「オメェもユキもリオもでしゃばるのは、この辺にしておけ……。テメェもいつまでもメソメソすんじゃねェ」
ムヒョはビコの横を通り掛かりざま言い放つ。
「バカ共が……!」
*
また重くなった、否、マッドプランター戦の後よりも更に重くなった空気の中、あたし達は最下層の扉──すなわち『顔剥ぎソフィー』が閉じ込められていた牢の扉の前に到着した。やはりビコのフダは無くなっていた。
「霊燐は……溜まっているだけだね」
あたしは呟いた。
「今は、この牢の中から発生していない」
「フン」
「でもソフィーにとって霊気を隠す事は朝飯前なんだから、この中に潜んでる確率は大きいよ。上には一応いなかったんだし。容易に扉を開けちゃ──って聞いてるのムヒョ?」
「聞いてねェ」
「……あそ」
ムヒョは既に扉を開けていた。中を見、「ヒッヒ」と笑い、すたすたと入っていく。あたしははあと溜息をついて彼の後に入っていった。
(…………)
ソフィーの牢に、物凄い違和感を覚えた。
それはソフィーが牢内の何処にもいなかったからではない。
うさぎのぬいぐるみ。おもちゃの小さなピアノに家。可愛らしいふかふかのベッド。──子供の部屋そのものだ。
「こ、子供の部屋……?何で……!?」
最後に牢に入って来たロージーくんは、あたしと同じ疑問を口に出した。それにはビコが答える。
「この牢はソフィーを鎮める為に特別に作られたんだ。ソフィーは少女の霊で、見た目も気持ちも子供のままなんだけど──でもその力は強大で。こうやってご機嫌を取らないと、牢に入れても何が起こるかわからない程の悪霊なんだ……」
「それにしても、何処に行きやがったんだか……ヒッヒ」
ムヒョは、ベッドをちらりと見遣りながら笑った。
「これだけ探していないとすると……まさか……!」
そうだね、とあたしはビコに頷く。
「考えられる事は只一つ。『なりかわり』が起きてるかもしれない……!」
『なりかわり』。
ソフィーの得意とする、厄介な芸当。
「な、『なりかわり』って、一体どういう罪なの……?」
戸惑いを隠せないロージーくんの質問にはムヒョとリオ先生が答えた。
「文字通り“人に成り代わる”罪だ。相手に化け成り済まし人生を送る。だが……」
「ソフィーは相手の顔を剥ぎ、殺してから成り代わる……!猟奇的な欲望を満たす為だけにね!」
ビコはぐっと拳に力を入れ、口を開く。
「初めに探す時、ソフィーの『なりかわり』も考えに入れておくべきだった……」
「面倒な事になってきたナ。ヒッヒ」
「ま……待ってそれって、」
ごくりと喉を鳴らすロージーくん。
「も、もしかして魔監獄島にいる誰かが……!?」
あたしは静かに頷いた。
「そういう事になる、ね……。今上にいる三人の監獄守か。遺体の発見されていない今井裁判官か」
そして。
「──あたし達五人の誰かが、ソフィー……!」
*
これ以上は手掛かりがないと踏んで魔監獄の最上階まで戻って来たあたし達。ビコは内線を使い、前田さんに門の開放をお願いした。しばらくして、再び重い石の門がスライドし始める。地上から降り注ぐ光を浴びるのが、何だか久々に感じられた。
「お疲れ様です皆さん!」
扉の向こうに前田さんの姿を確認した。
「……」
「本当の事は連中には言うな」
魔監獄内で言われた、ムヒョの言葉を思い出す。
「とりあえず、封印したような事を言っておけ」
それが今のところ最良の手段であるという事はわかるよ……ムヒョ。
「──ど……どうでしたか……?」
地上に立ったあたし達は、監獄守三人に訊ねられる。彼らは皆、不安気な表情をしていた。
だけど、と考える。
その顔の下で、霊気を隠しあたし達を嘲笑っているソフィーがいるのかもしれない。
『人を疑う』──なんて気分の悪くなる行為なのだろう。
でも、この中の誰かがソフィーである事はほぼ間違いないんだ……。
一人一人注視してみたが、やはりわからなかった。
「えっと……」
ロージーくんは口を開く。そして彼は、言いにくそうにムヒョに言われた通りの嘘をついた。
「おお……!封印した……!」
三人は揃って安堵の表情を浮かべる。
誰も不審な表情を浮かべていない……こう言われる事もソフィーの計算の内なのだろうか?
「良かった……!」
「ああ……!」
若い女性の監獄守と、同じく若い男性監獄守は、ぎゅっと手を握り合った。
「この二人はさぞほっとした事でしょう……!」
前田さんは、二人を温かな目で見ながらそう言う。
「古谷くんと岩本は、近々婚約する間柄でして──。本当にありがとうございました、皆さん……!」
嘘をついている事に、罪悪感を感じた。
*
「はーっ……」
女子トイレの洗面台に寄り掛かったあたしは、深い溜息をついた。リオ先生は個室の中。ロージーくんは男子トイレ。一人で男子トイレに行くのに躊躇っていたロージーくんに、あたしとリオ先生が付いて行ったという寸法だ。
(……でしゃばってなんか、ない……)
ぽつり、とあたしは心の中で呟く。
あたしはただ、ムヒョに負担を掛けさせたくなかっただけ……。
……ムヒョもどうかと思うよっ。あんなに怒鳴らなくても良いのに。
でも今度は、いつまでも昔の事でいじけている自分に腹が立ち始めた。
ムヒョが何考えてるかあたしには全く見当付かないけど、少なくともムヒョはあたし達を守ってくれたんだし……。
(でも)
あたしは鏡を見た。悲しげな表情をしている自分に、少し驚いた。
(……もうちょっと、頼ってくれても良いのにな……)
はあー、と再度溜息をつくあたし。そのまましばらく鏡の中の自分と睨めっこしていたが、気付けば自分の姿がぼんやりとしていた。
(……あ、れ?)
ごしごしと目を擦る。瞬きを繰り返して再び鏡を見る。眠そうな自分の顔がはっきりと見えたと思えば、またぼんやりと曇って見えなくなった。そして瞼がやけに重い事に気付く。
(やば、眠くなって、きた……か、な)
あたしは眠気に負けないように自分の頬をぺしぺし叩いた。
今頃になって魔法律の疲れが出て眠くなるなんて。此処で寝たら、ムヒョを守るどころか更に皆に迷惑掛かっちゃう……!
でもあたしの思いとは裏腹に、がくり、と膝が折れる。傍から見れば洗面台にしがみついている様に見えるんだろうなと動きが鈍くなった脳の片隅で、ぼんやりと、そんな感じの事を考えていた。それからもう何も考えようとしなくなった。抵抗も止めた。ずるずると、あたしは床に崩れ落ちた。睡魔に敗れてしまった。
何故か──意識を失う直前、甘い香りを感じた……。
第16話:魔監獄 〜微動〜(了)
舞雪/どり〜む/ふる〜つ村。
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