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第8話:魔法律協会 〜遭遇〜



ムヒョとナナちゃんとリョウくんが宿泊所に戻った一方で、あたしとヨイチは二手に別れてロージーくんを捜していた。
そういえばリョウくん、霊騒動で結構動揺していた様子だった……大丈夫かな。あたしは少し心配しながらも、協会内の薄暗く狭い路地裏を走り続ける。確か前にも似たようなシチュエーションがあったような。今回は目的が違うけれども。
目的──先程も述べた通りそれはロージーくんを見付ける事である、と、他の皆はそう思っているだろうが、それはあたしにとって表向きの目的。
あたしが捜している人物はロージーくんではなく、全く別の人物であった。





第8話:魔法律協会 〜遭遇〜





エンチュー。
あの伝染型の霊騒動を引き起こしたのは、エンチューに違いない。地獄の使者と相討ち出来る程の霊を操れるのは、エンチューぐらいしかいないからだ。
それならば必ず近くに潜んでいるはずだ。それに騒動はまだこれだけでは終わらない予感がする。

彼を止めなきゃ。もうこんな事を続けさせないように。

そう思って、あたしはエンチューを何とかして捜し出そうとさっきからずっと走り回っていた。だが見付からない。当たり前と言えば当たり前、か……。何しろあっちは魔法律界において大犯罪者だ。その大犯罪者が魔法律界の総本山、魔法律協会内に居座るのはリスクが高すぎる。故にそのリスクを冒してまでも協会内にいるとしたら、そう易々と見付けられる場所にいるはずがない。協会内は広く、隠れるのにもってこいの場所が沢山ある。そしてエンチューは賢い。きっとあたし達が考えもしないような所にでも潜んでいるのだろう。そうは思っても、もしかしたらという希望を捨てきれず、あたしは未だ彼を捜し続けている。なるべく人気の無い、狭い路地を選んで駆けて。

「エン、チュー」

一体、何処にいるの?
呟いた言葉は誰の耳にも届く事なく、雪雲に覆われた空に呑まれて消えるかと思っていた。
だが驚いた事に、空はあたしに返事を寄越したのだ。

「呼んだ?」

足を止め、あたしは空を仰いだ。ひらり、何か白いものが降って来る。雪ではない。目の前に降って来たそれは、白いマントに身を包み笑みを浮かべた人間。つい数ヶ月前にも会った事のある人。そして、あたしが捜していたまさにその人。エンチューだった。

「また会ったね、ユキ」
「……!」

捜していた人が現れたというのに、あたしは一歩後退ってしまった。反射的とも言えるその行動をエンチューは笑った。

「フフ……そんなに怖がらなくても良いのに……」
「こっ……、怖がってなんか、ない!」

強がってはみせたが、実際彼を目の前にしただけで心臓は早鐘を打っているし呼吸は荒くなってきている。以前会った時はこんなにも彼を怖れる事はなかったはずだ。もしかしたらあの時のあたしは、彼が旧友であるあたしに攻撃をするはずがないと心の何処かで安心しきっていたのではないか。
エンチューはまた笑った。

「嘘、だね。わかりやすいなあ、ユキは」

エンチューは自分が怖がられているというのに全く気を悪くした様子ではなく、むしろ何処かうっとりとした表情を浮かべてさえいる。どうして?
きっと顔に疑問が表れていたのだろう。エンチューはあたしを見て、クスクスと笑いながら口を開いた。

「僕は嬉しいんだ。だってその恐怖の表情は僕によって作られたものでしょ?僕が君に影響を及ぼしている、って思ったら何だか凄い嬉しくて」

本当に、彼は酷く嬉しげだ。

「でも──」

そこで彼はふと表情を一転させ、何処か不満げな様子になった。

「一つだけ、不思議なんだ」
「……?」
「僕は、ユキが僕の事を憎んでいるようにどうしても見えない」

それはそうだ。だって実際あたしはエンチューを憎んでいないのだから。

「家族が僕に殺されたって聞いても、どうして僕を憎まずにいられるの?」

エンチューが悪いわけではないから。

「ねえユキ、」

エンチューの次の質問は、あたしを驚愕させるのに十分過ぎるものだった。

「どうしたら、君は僕を憎んでくれる?」
「────!」

エンチューの言いたい事が、わからない。

「……それは……、エンチューは、あたしに憎まれたいって事……?」
「愛情と憎悪は紙一重なんだよ。前も言った事あったかな。──いや紙一重と言うよりもむしろ、コインの裏表だね。同じようなものだ」
「そんな事しなくたって……!」
「駄目なんだよ」

エンチューは無表情になった。だけどその奥に何か強烈な感情が渦巻いているのがあたしには感じられた。

「だってユキは、皆大好きでしょ?皆愛してるでしょ?ユキの心は、皆で埋まっている。それが嫌なんだよ。僕は君の心の中の“特別”な存在になりたいんだ。僕だけがユキの心の中を占めればいい。ユキには難しくてよくわからないかもしれないけどさ」

難しくはないかもしれない。
けどわからない。理解出来ない。

「……わかんないよ……エンチュー、忘れたの?皆で遊んでた時とか、エンチューは本当に楽しそうにしてたじゃん!エンチューだって皆大好きだったはずだよ、」
「僕はあの時、ママだけを好きでいたかった。好きな人は、一人でいい」

わかんない。
本当に。
全く。
何も。
全然。
わかんない。

「あの男の子──」

不意にエンチューが口を開いた。

「リョウくん、だっけ?今日、協会に連れて来ていたよね」
「……!」

ざわざわとした嫌な予感はすぐ傍まで押し寄せて来ていた。身体の内部まで冷えていくのは、決して寒さのせいだけではない。

「ユキの、好きな人のひとり……」

エンチューは、真っ白なマントの下から『何か』を引っ張り出した。あたしは『それ』を見て身体が硬直してしまった。
『それ』はリョウくんだった。

「眠っているだけで今はまだ死んではいないよ。──ねえユキ?この子を殺せば、今度こそ僕の事憎んでくれるかな。想ってくれるかな。苦しんでくれるかな。時に憎しみの情は愛情よりも強力だからね。ユキの心は僕の事でいっぱいになるかもね」
「……もう、嫌だ!やめてよ……!」

ほとんど悲鳴に近かった。身体が震える。

こんなの、エンチューじゃない!

だけどエンチューはそんなあたしを見て満足げに笑うだけだった。

「どうして……!」
「この子、最初はムヒョ達と一緒にいたけど、君の魔法律の邪魔をしてしまった事がよっぽどショックだったみたいだよ。それでその穴埋めをしようと、何か手伝う事はないかユキを捜していたみたい」
「そっ……そういう事を訊いてるんじゃないの!あたしが言ってるのは、どうして関係ないリョウくんを巻き込むのって事!」
「……何度も同じ事を言わせないでよ。まだわからないの?」
「……っ」

それはわかっている。
けど解らない。

会話すればする程、今のエンチューは昔の彼とは本当に違うのだと実感させられる。それが酷く哀しい。
『取り戻す』なんて口で言うのは簡単だ。そして彼には言いたい事が沢山ある。だが実際彼と対峙すれば、何を言えば、何をすれば良いのかわからなくなる。ただ「戻って来て」だとか「止めて」だとか懇願の言葉しか出てこないあたしに苛つく。弱虫。

──でもまずは、リョウくんを──

あたしは魔法律書を取り出した。

「魔法律書は仕舞って」
「!?」

エンチューの要求にあたしは固まる。

「何を言──」
「お楽しみが無くなるんだよ。仕舞わないと、今すぐこの子を殺すよ?」
「っ……」

あたしは無意識の内に、ぎゅっと書を持つ指先に力を入れていた。

「ほら、」

エンチューはリョウくんの首に手を掛ける。リョウくんが微かに呻いた。

一種の光景が、思い浮かぶ。

「や、っ……待って!」

あたしは急いで書を懐に仕舞った。弱くて愚かな行為だと自分でもわかっていた。ほんの数分だけリョウくんが長く生きれるというだけだ。どちらにせよエンチューはリョウくんを殺すつもりなのに。ついつい目先の事に心がいってしまう。

「素直だね、ユキ……」

エンチューは深く微笑み、リョウくんの首から手を離した。そしてリョウくんをそっと地面に横たわらせ、ゆっくりあたしに近付いて来た。反対にあたしは後退る。書が使えない今のあたしは、とても無防備な状態だ。

どう、すれば。

必死に頭を回転させようとするが、あたしの脳内は今混乱状態で正常に働かない。ただぐるぐると『どうすれば』という単語が同じ位置で回っているだけ。どうすれば。ドウスレバ。
頭が、痺れる。
苦しい。
呼吸困難に陥りそうだ。

「う……っ、」

圧力が。
冷気が。
のしかかってくる。
彼は歩みを止めず、
またあたしも止まらない。

「いやだ……」

本当に目の前に存在する彼は、エンチューなのだろうか?
恥ずかしがり屋で、少し大人しくて、頑張り屋で、優しかったエンチュー。

「ねえ、エンチュー!」

感情が高ぶり、あたしは無意識の内に足を止め彼の名を叫んでいた。憎しみという仮面を被った目の前のエンチューにではなく、その仮面の向こうのエンチューに届くように。

「戻って来てよ!」

嗚呼、何て虚しい言葉だろう。

「前みたいにまた皆で笑い合いたいのに……!」
「……」

すると、あたし同様いつの間にか足を止めていたエンチューは、いきなりあたしの目の前から消えた。一瞬戸惑いを覚えるも、直後、後ろから両手首を掴まれる。

「! エン、」
「無理だよ」

残酷な返事は背後から囁かれた。あたしの手首を掴むエンチューの手は凄く冷たい。氷のリストバンドでもしているみたいだった。

「ユキ」

今度はあたしの頬に氷が押し付けられた。びくり。身体が大きく震える。

「温かいね。君は僕にとって温か過ぎる」

それからエンチューは手をゆっくり下に移動させ、今度はあたしの首筋に触れた。頬に触れられた時よりも更に冷たく感じられて、あたしは小さく声を上げてしまった。

「魂が代価の、禁魔法律。僕の身体は確実に人から離れていっているんだ」

実感出来た?とエンチューは上からあたしの顔を覗き込んだ。

信じたくなかった。
だがこの手の冷たさに、嘘はない。

エンチューはあたしから手を離し、音も無くあたしの傍をすっと通ってリョウくんに近付いて行った。

「待っ、──!?」

そこで初めてあたしは気付いた。

「なっ……何で……!?」

あたしの両手首が何か見えない紐で一つに縛られているかのように、動かない事に。

「エンチュー!これ、一体……!?」
「魔法律書が使えない様に手だけに作用させた金縛り。かなり強力だからユキでも絶対外せないよ。ユキは誰かが殺されるのを黙って見ておけないでしょ?」

やんわりと答えるエンチュー。

「さて、と。楽しいお祭りの始まりだね」

エンチューは酷く嬉しそうにしていて、あたしはただ呆然と立ちすくんでた。
すると霊燐が急激に濃くなり、二体の悪霊が何処からともなく現れた。悪霊はリョウくんを狙う。

「やめ──!」

あたしは走った。あたしの足が標準よりかは速めなのが幸いし、間一髪、あたしは身体を張って悪霊の攻撃からリョウくんを守れた。霊が振り下ろした手はあたしの肩辺りに刺さる。血が、飛び散った。

「エンチュー!もう止めてってば!!」

痛みなんて感じていられない程必死の状態で叫んだ。だがエンチューはあたしを冷たく見ただけだった。

「そんな事してたら、自分が殺されちゃうだけだよ」
「っ……、もう!」

このわからずや!
そう叫びかけたが、第二の攻撃が降りかかってきそうだったので中断し、あたしはリョウくんを突き飛ばした。

「っあ!」

あたしは霊に飛ばされた。まるで机の上にしぶとく残っている消しかすを払うかのような動作。その間に、もう片方の霊はリョウくんに向かって腕を高々と振り上げていた。
間に合わない。

「ぃ、や……!!」

視界の端で、エンチューが微笑んだのが見えた。

脳内に再び浮かぶ、あの映像。
より鮮明な、あかいろ。

もう他人の血が流れる映像なんて見たくないから。

「まほうりつ、」

守る為に執行人になったあたしは、

「とくれいほう──」

発動するはずないとわかっているのに、

「だいはちじゅうにこう、より」

気が付けば、

「ぎんのよろいを」

守る為の、

「はつれいする──!」

呪文を唱えていた。


身体が、特に懐が熱いのは何故だろう。例えるなら、貼るカイロってやつを直接肌に貼ったかのような。そして何か、明るい。発光源は一体何処だろう。
あたしの懐だった。
そこから銀色に輝く球状の光が飛び出し、真っ直ぐリョウくんに向かって飛んでいった。速い。その光がリョウくんの身体にすっと入ったとほぼ同時に、霊はリョウくんに向かって手を振り下ろした。だがそれは逆に弾き返され、霊は小さく悲鳴をあげる。リョウくんの身体は銀色に薄く輝いていた。それはまるで、銀の鎧を纏っているかのようで。

「まさか……」

エンチューの動揺を隠せない呟きが聞こえた。

「魔法律書を手に持たずに発動させるなんて……こんなの、聞いた事ないよ」

あたしも彼と同じ気持ちだった。まさか魔法律書を懐の中に入れたまま発動出来たなんて。
刑の執行をする際には、霊の罪状によって決定付けられる刑の該当ページを開き呪文を唱え(あたしやムヒョは上級魔法律以外不要だが)霊の罪状及び刑を述べ発動するのが通常で、特例法も似たようなものだ。だがあたしはページを開くどころか魔法律書を手に持ってさえいない。身につけているだけだ。
どうしてこのような理解しがたい現象が起こったのか考えようとしたが、如何せん意識が朦朧としてそれは困難を窮めた。……発動したのは特例法だけだというのに、煉をこんなにも持っていかれるなんて。確かにある意味無理な発動だったかもしれないけど。

「今回はもう、この子を殺せないみたいだね……しょうがない」

悪霊二体は消えた。霊燐も薄くなった。

「今回も失敗だった……。だけど面白いものを見せてもらったよ、ユキ」

本当に面白いものを見た後のように、何処か愉しげで嬉しげなエンチュー。

「それに、すぐ目的を達するのもつまらないしね……。また遊ぼうね、ユキ……」

そして彼は、

「じゃあ、次は──」

より愉しげに、

「────に行くね」

そう付け足した。

「……!」

待って、と言い終える前に、エンチューは消えてしまった。

思い浮かぶは小さな黒い執行人。

「じゃあ、次はムヒョを殺しに行くね」

「……ム、ヒョ……っ」

今度こそ、あたしの呟きは誰の耳にも届く事なく、雪雲に覆われた空に呑まれて消えた。





第8話:魔法律協会 〜遭遇〜(了)

舞雪/どり〜む/ふる〜つ村。


あきゅろす。
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