第7話:魔法律協会 〜騒動〜
「でっ?」
ヨイチは笑顔であたしに訊いてきた。
「何を訊きたいんだ、ユキは?」
あたし、ムヒョ、ヨイチは今、とある店の中にいる。懐かしいな、この店。そういえばムヒョの執行人昇級祝賀会も此処でやったんだっけ。
頭の片隅でそんな思い出が過ぎった。しかしそれも刹那。それからあたしはほんの少し息を吸い、口を開いた。
「知って……いたんだよね?」
ヨイチの表情は笑顔から困惑へと移った。
「何、を……?」
「ムヒョも」
あたしはそう言い、今度はムヒョを見た。
「奴がオレだけに攻撃を仕掛けてくるわけじゃねェ。ヨイチやビコ、テメェもオレと同じ立場に立ってんだゾ?実際に──」
そう。実際に、あたしの家族も攻撃を仕掛けられた。
ムヒョも、知っていたんだ。
「あたしの家族を殺した悪霊は、エンチューの仕向けたものだって事を」
あたしの周りの時が、凍った感じだ。
誰も動かない。誰も喋らない。
ただ暖炉の奥の炎だけが、それを無視して揺らめいている。
「……こないだね、エンチューに会った」
あたしは自ら凍った時間を破壊した。
「その時エンチューが自分で言ったんだ」
「ユキの家族を殺すよう霊達をけしかけたのは、この僕だよ」
「あたし、今でも信じられなくてさ……」
苦しいよ。あたしは口の中で呟いた。
「だからヨイチに、エンチューの言葉が真実なのか偽りなのか……教えてもらおうかな、って」
当然、あの事件は調査してたでしょ?
ヨイチはしばらく返答しなかった。
それから、
ゆっくり、
口を動かした。
「……ほんとう、だ」
スロー再生でもしている感覚に陥った。例えこの世に“音”というものが存在しなくとも、はっきりと、耳元で囁かれたかのように、聞こえただろう。理解しただろう。
「……。証拠は?」
性懲り無い。あたし。
「──数件の目撃証言。そして、一枚の写真」
「写真……」
「ちょうど悪霊達が襲っている瑞花家の上空に──写っていた」
きっと冷たい微笑みでも浮かべていたのだろう──エンチューは。
「でも、」
ヨイチは拳をぎゅっと握りしめた。
「それだけじゃまだ──」
「そうだね。ありがとヨイチ」
顔を上げたヨイチは、少し驚いたような表情をしていた。
「大丈夫。もしそうだとしても、あたしはエンチューを恨まない」
あたしは瑞花雪乃を恨む。
瑞花雪乃を許す条件は、たった一つ。
「エンチューを、助けよう」
目を覚まさせてやろう。
また皆で笑い合える、
そんな関係に戻ろう。
それからもう、
エンチューが罪を犯さないように。
瑞花雪乃──
これ以上、彼に罪を造らせるな。
「……悪ィ。オレ、どうにかしてたな……なあムヒョ」
「──ヒッヒ。ユキ、ちったあ強くなったようだナ?」
「な、あたしはもう、昔の泣き虫さんじゃないんだからねっ」
「そうだよな、そうなんだよな、うん……マジでごめん。オレ、ユキを弱く見ちまってたみてぇだ……これ聞いたらユキ、泣くと思って……また“あの時”と同じ事すんじゃねえのかって、恐くて」
だけど結局、弱かったのはオレの方だったんだな。ヨイチはそう呟いた。
「いいんだけどね、ヨイチも、ムヒョも……」
君達は君達の優しさから生じた行為をしたまでだったから。
「……でも、執行人になる前のあたしと一緒にしてもらっちゃ困るよ」
まだまだ未熟だけどね。
「まだまだ未熟だがナ」
「うわっ……」
あたしは少し顔をひきつらせた。
「──とにかく、」
あたしはヨイチに向き直った。
「エンチューの情報が知りたい。ムヒョもどうせ、それをヨイチから聞きに来たんでしょ?」
「ヒッヒ」
正解らしかった。
「──わかったよ。話そう」
そしてヨイチは一枚の資料を取り出した。
*
「今月に入って悪霊に殺された執行人は二人。どれもエンチューの仕業だ」
パチパチと暖炉の炎が弾ける音をBGMに、あたしはヨイチの話を聞いていた。
「リリー・エレナ、大河内奏成……。二人共高名な執行人だ」
只の悪霊じゃねえと付け足し、ヨイチは見ていた一枚の資料を折り始めた。しかも紙飛行機にだ。
高名、ねえ……あたしはあまり良い噂聞かなかったな、あの二人に関して。
だけどもう彼らは死んだんだ。今更あたしがどうこう言っても何にもならない。
「協会側も悪霊対魔法律家の構図に頭を痛めているぜ」
ひゅっ、とヨイチは紙飛行機を暖炉の中へと投げ入れた。
「『ミイラ取りがミイラになる気分』だとさ」
それはあっという間に灰となる。
「──そんな下らん話を聞きに来たんじゃねェぞ、ヨイチ……」
ムヒョはヨイチを小さく睨んだ。ヨイチは少しだけ笑った。
「わかってるよ……アイツの動向だろ。探ってみたよ」
いよいよ、だ。あたしはほんの少し身構えた。
「──エンチューは、おそらく今、信越近辺に潜伏している」
第7話:魔法律協会 〜騒動〜
ヨイチは、エンチューについて新しい情報を手に入れ次第、ムヒョだけでなくあたしにも連絡をくれると約束してくれた。
対談のはずが鼎談になってしまったなとかそんな下らない事を考えながら、あたしは試験会場内を見下ろしていた。あたしが今立っている場所は、簡単に言えば会場の二階であり人気のないところである。一階では受験者に対しての試験の説明が為されている。ちなみに監督者に対する説明や担当時間はもう聞いた。その監督する時間までは暇で仕方がない。代理だからかあんまり仕事無いんだよね。
眠気を誘う出っ歯の年老いた説明員の声が会場内に響く中、あたしはリョウくんがその辺にいやしないかと捜していた。ロージーくんは見付けたけど(彼は他の受験者以上に熱心に説明を聴いていた)傍にはいなかった。その代わり思いっ切り爆睡しているムヒョがロージーくんの隣に座っていたが。
ロージーくんやナナちゃんは小さな子供を置いて何処かに行くような人じゃなさそうだから、きっとリョウくんはナナちゃんと一緒にいるのだろう。
あたしは会場内から暗い廊下に視線を移した。向こうから誰かがぱたぱたと駆けて来ている。リョウくんだった。
「ユキおねえちゃんっ!」
「あれっ?リョウくん、ナナちゃんと一緒じゃないの?」
「ぼくトイレにいってたんだよー。ひとりでいけるもん!だからナナおねえちゃんはあそこでまってる──」
「ぃやぁああぁあぁあ!!!」
リョウくんが指差したのと同時に、その指した場所からナナちゃんの悲鳴が聞こえてきた。
「ナナちゃん……!?」
震撼。あたしは急いで悲鳴が上がった方へ駆けて行った。当然下の会場もいきなりの悲鳴に騒然としている。
協会内ではとりわけ大気中に存在する霊気が濃い。故に悪霊によって放出される霊気を感じにくい。先程の悲鳴は霊の仕業によるものなのかどうかさえわからない。
あたしが駆けつけた時、そこにはナナちゃんとヨイチ、そして悲鳴を聞いて下から駆け付けたのか、あの老説明員、ロージーくん、ムヒョがいた。
「ナナちゃん、一体何が……?」
ナナちゃんが答えるより先に老説明員が口を開く。
「おお!試験監督者代理人のユキ執行人ではありませんか!どうやらヨイチ裁判官が驚かせた様ですぞ。ま、せっかくなので、試験が始まるまでお二人共会場の様子でも──」
「おねえちゃん、どうしたの!?」
やっと追い付いたらしいリョウくん。
「あー……何かヨイチがナナちゃんを驚かせたみたい──」
「ヨイチおにいちゃん!ナナおねえちゃんをいじめちゃ、めっ!でしょっ!」
「あいた!」
リョウくんはヨイチの額をぺちんと軽く叩いた。ヨイチは驚かせるつもりはなかったんだけどなとかぶつぶつ言っていた。
──協会内ではとりわけ大気中に存在する霊気が濃い。故に悪霊によって放出される霊気を感じにくい──。
あたしは、霊の存在に気付けなかった。
*
老説明員に「さあ、さあ」と急かされ、結局あたしとヨイチは会場内に降り立つ羽目となった。ナナちゃんとリョウくんもあたし達と一緒に一階へと降りる。そしてあたし達はムヒョとロージーくんが座っていた席の前後に腰掛けた。少し経ってから、ムヒョとロージーくんも席に戻って来た。
それからが大変。休憩に入った途端、わっと会場内の人々があたし達の机の周りに集まる。
「あ、握手してくださいヨイチさん!」
「ああ、ハイハイいいよ」と快く応じたヨイチは『魔法律界のプリンス』かつ『最強の裁判官』として名高い。あたしにとっては『プリンス』も『最強』も物凄い疑問に感じるんだけど。
ヨイチのファンは男女問わず多い。握手してもらった全ての女性は興奮しているし、男性もヨイチと握手しようと列に入り込んでいる。
「む……六氷執行人!サイン下さいっ!」
こちらは言わずと知れた『最年少天才執行人』として魔法律界では超有名人の、ムヒョ。予想通り、彼はそっぽを向いて無視を決め込んだ。だがサインをねだった人々は気を悪くするどころかムヒョのクールさに更に興奮したようだ。
そして。
「ユキさん!写真一緒に写って下さい!」
やっぱり……あたしも二人の事言えない、か。疲れるんだよなあ、これ。だから降りたくなかったのに。
いや、これだけなら良いんだけど。
「瑞花執行人!俺を助手にする気はありませんか!?」
絶対、『助手にして下さい』って人が現れるんだよね……あたしがまだ助手採ってないからって。
「凄いわねー、この人達魔法律界のアイドルね!」
ナナちゃんは感心してロージーくんに話しているけど、正直助けて欲しい。うう、不覚。これだったら最初から寝たふりしておけば良かった。
『はいはい皆さん着席!説明の続きをしますので──』
助かった。ナイスタイミング、説明員。皆惜しむようにあたし達から離れ、各々の席に着いた。あたしは盛大な溜息をついた。こういう状況に陥ったのは久々だったのでいつもより数倍の疲れが押し寄せて来たような気がする。あたしは机に突っ伏した。完全に寝る体勢だ。老説明員の声が子守唄の役割を担っている。意識を落としかけたその時。
「なーにそわそわしてんだよロージー!」
う、良い具合にお昼寝タイム突入だったのに……ヨイチって奴は。
何かもうさっきの声で目が覚めてしまったのであたしは頭を上げた。見ると、ヨイチはちょうど後ろの席のロージーくんを振り返っている。
「それにしてもなっつかしーな、この試験会場さぁ」
「え?ヨイチさんも同じ試験受けた事あるの?」
ナナちゃんが話に乗ってきた。
「ムヒョやユキさんも一緒に?」
「うん」
ロージーくんの問いにあたしは頷いた。
「もちろんさ。──エンチューも一緒だった……」
「ヨイチ……!」
「おっといけねっ!」
ムヒョに咎められたヨイチは慌てて口を手で押さえた。そんなにムヒョはロージーくんにエンチューの事を隠したいのだろうか?
どうせいつかわかっちゃうのにな、と思いながらぼーっとムヒョを見ていた。
騒動が始まったのは、その直後だった。
「ううう……!うわぁあぁあぁ!!」
ロージーくんの恐怖に染まった悲鳴。あたしの心臓は、どくん、と鳴った。ばっとロージーくんを見ると、彼は立ち上がってヨイチを指差していた。
「ヨ…、ヨ…ヨ…、ヨイチさん……!て…、て…、手に……」
ヨイチの手の甲には数多の『口』が寄生していた。しかしヨイチだけでなく、ヨイチを指しているロージーくん自身の身体にも『口』が寄生している。それは下卑た笑い声を上げた。
『ギャハハハハハハ』
その時初めてロージーくんは自身の『口』に気付いたようだ。ロージーくんだけではない。会場内のほとんどの人々が、それに気付いた。
大規模な騒動が、巻き起こる。
「うわあああ!なんだありゃああ!!」
「く……口が……!!」
「きゃあっ!こっちもよおおぉっ!!」
『アハハハハハッ』
叫んだ女性の方を振り返ると、彼女の手にもヨイチやロージーくんと同じ『口』が。
「きゃあああああっ!!」
『ヴヴヴヴ』
真っ青な顔で悲鳴を上げるナナちゃん。彼女にも寄生してる。
「助けてええええ!!」
『アハハハハハ』
『キャハハッ』
先程悲鳴を上げた女性が近くの男性にしがみついた。すると、
「うわああああああ!!」
『ゲヘヘヘヘヘヘヘ』
今まで何ともなかったその男性の手の平には、『口』が現れた。
──伝染型の霊!
幸いあたしには伝染していないようだ。あたしは素早く魔法律書を取り出してそれを開こうとした。
しかしそれはリョウくんにも寄生していた『口』によって阻まれた。
「お、おねえちゃん……!」
リョウくんの『口』は閉じている書に噛み付いている為、開いて刑を執行する事が出来ない。
──そうか、そういえばさっきリョウくんはヨイチを叩いたんだ。その時──
全く、何故気付かなかったのだろう。最近こんなのばっかりだ。つくづく自分が嫌になる。
「こっ、の……!」
あたしは渾身の力を込めて魔法律書を引っ張ったが、霊の『口』は凄まじい力。全く離れない。逆にリョウくんが振り回されそうだ。
「皆、パニックになるな!騒げば騒ぐ程この霊は伝染して暴れちまう!」
ヨイチが叫んだが騒ぎは全く鎮まる様子がない。反対に大きくなっていく有様だ。
「いやだぁああああ!」
「!」
感染した男性は逃げるように走り、そしてヨイチにぶつかった。その男性の『口』は待ってましたとでも言わんばかりにその一瞬を見逃さず、ヨイチの首筋に噛り付いた。
「ぐああを……!」
「ひっ!」
血が吹き、ヨイチが呻く。あたしは魔法律書の事など忘れて呆然と立ちすくんだ。
他人の血が流れるのは、嫌いだ。
あたしは目をぎゅっと閉じ、脳内に浮かび上がりかけた映像を振り払うように頭をぶんぶんと振った。
それから唇をぎゅっと噛み、思いっ切り魔法律書を引っ張った。
「っ、て、ぇあっ!?」
驚いた事に本を引っ張る力が無くなっていた。反動であたしはバランスを崩し、後ろに倒れてしまった。
「ぁうっ!」
な、何で?何で?
混乱と痛みであたしの頭は正常に機能しない。それでもあたしはリョウくんの『口』が消えているのを見た。何で?
小さく呻きながら何とか起き上がる。会場内でも同じ現象が起こっていた。全員の『口』が、消えたのだ。
「き……消えた……」
「良かった……!」
「何だったの……!?」
会場内は安堵と困惑に包まれた。あたしはまだ痛む頭を押さえながら、辺りを見回した。
(あ、)
謎が解けた。目に留まったのは、ムヒョと書、そして発動光。ムヒョの魔法律だ。
あたしはムヒョの近くに駆け寄った。そのムヒョは霊が消えたにも関わらず、眉間に皺を寄せ深刻そうな顔をしている。
原因はすぐにわかった。
「本体は倒したはずだ……何故まだ発動している……」
ムヒョが呟いた通り、霊の本体は『口』が消えた事から地獄の使者に倒されたはずだ。だがムヒョの書は眩い光を放ったままである。何故使者は未だ現世に留まっているのだろう。
「何か、」
ムヒョはほんの少しだけ、口端を上げた。
「面倒な事になりそうだナ」
*
トラブルの為試験を延期するというアナウンスが入った。会期は日を追って連絡するとの事だ。先程の騒動の余韻か、会場を去る人々のざわめきはかなり騒がしい。
そんな中、あたしとヨイチはムヒョの魔法律書を覗き込んでいた。首に包帯を巻いたヨイチが驚きの声を漏らす。
「ま……魔法律が……」
あたし達の目の前で魔法律書の一ページが音を立てて焼失したのだ。つまり。
「霊と、相討ち……!」
「ありえねーよ、地獄の使者相手に霊が……」
信じられないという風にヨイチは首を振った。
「出所の分からんところといい、どうもキナ臭いナ……ククク」
ムヒョの言っていた『面倒な事』。だがこれはほんの序章。背後に何か、大きな存在を暗示させる出来事。
「……もしかしてエ──」
「ちょっと!ムヒョさんっ」
あたしの言葉は、こちらに駆けて来たナナちゃんによって遮られた。慌てて来たのか彼女は息を切らしている。
「ロージーくん、どっか行っちゃったよ……!僕はもうムヒョの邪魔しちゃ駄目だからって──言って……」
「あらら……」
ヨイチは少し呆れたような声を出した。ムヒョの苛々度は更に上昇したようだ。
「この面倒な時に……つくづく面倒な奴だな全く……!」
──しかし犯人がわかったあたしは、自らその面倒事に首を突っ込む気でいるのだった。
第7話:魔法律協会 〜騒動〜(了)
舞雪/どり〜む/ふる〜つ村。
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