第4話:再会そして願い 聞こえるのは、激しい雨音。 「あ、あ……ああ……あ……」 びしょ濡れになるのも構わずに座り込んでいるのは、あたし。 そして、流れてくるのは──真っ赤な、液体。 「あぁあああああっ!!」 込み上げてくるのは、嘔吐感。 「う……っ、うぅ、あ、っ」 いや、だ……っ、いやだあああああああ!!! ──染まっていく。何もかもが、真紅に。 赤い雨のせいだ。……そう思いたかった。 第4話:再会そして願い 「っ!!」 あたしは勢い良く起き上がった。 「……はっ、はあっ、は……っ、う」 吐きそう。両手で口を押さえ目をぎゅっと閉じ、それに堪える。温かい液体が目から溢れ、頬を伝った。 ようやく吐き気がおさまって(というよりもそれを無理矢理押し戻して)から、あたしは涙を拭った。以前傷付けられた左肩がほんの少しだけ疼く。 「……はあっ、」 エンチューと再会し、彼があたしの家族に悪霊を仕向けたという事実を突き付けられてからというもの、以前より頻繁に悪夢にうなされる。それは今まで決まって家族が悪霊に襲われる場面だったが、今回は違った。いつもはあの場面じゃないのに、今日は何で。……あの場面は、一番見たくなかった。 「ねえユキ。僕が憎い?」 あたしは、エンチューが憎い? 「それならきっともう、僕の事一生忘れられなくなるね」 寝ていても忘れられないくらい、あたしは彼が、家族を殺した彼が、憎い? ……違う、ような気がする……自分で言うのも何だけど。 むしろあたしは、あたし自身が憎い。反逆者の道へと進もうとしていたエンチューに気付いてあげられなかったあたしが、それを止める事が出来なかったあたしが、家族を助けれなかったあたしが、憎い。 だからかな、あの時も──家族を殺した悪霊に、何故か強烈な憎しみを感じる事はなかった。 あたしは、小さな(と言ってもあたしにとっては丁度良い大きさの)ベッドの中にいた。そういえばあたしにはベッドに入って寝た記憶がない。寝る前にお風呂入った記憶もないし歯磨きした記憶もないし、それ以前に夕食を食べた記憶もない。しかもこのベッドは、あたしのじゃない。 あたしは辺りをゆっくり見回した。真っ暗なので部屋の中はよく見えないが、あたしの部屋でない事はすぐにわかった。だけど此処には何故か、懐かしい雰囲気がある。この場所が懐かしいとかじゃなくて、辺りに漂っている空気が懐かしいのだ。それ故か、自分がいつの間にか知らない場所に移動しているとわかった後でも動揺はしなかった。 それでも疑問が消えたわけではない。此処は一体、何処なんだろう。 「ヨォ」 暗がりから急に声がしたのであたしはびっくりした。声のした方へ振り向いたちょうどその時、電気が点く。あたしは眩しさに目をぱちぱちさせながらも声の主を見た。 「ム……」 「やっとお目覚めのようだナ。ヒッヒ」 一瞬信じられなかったが、間違いない。あの独特の笑い声は紛れも無く、彼だ。 「ムヒョ……?」 MLSの同期生、六氷透。最年少執行人として魔法律界に名を馳せている超有名人その人が、ソファーの上に座り腕組みをしてこちらをじっと見上げていた。 「……相変わらず目付きが悪いね」 「それが久々に会ったこのオレに対する挨拶か」 「ムヒョ限定だよ」 確かにこの会話を傍で聞く人にとっては、これが久々の会話とは思えないだろう。 「っとに……久しぶりだナ」 「うん……久しぶり」 ぽつり、ぽつり、とあたし達は挨拶を交わした。 「何年だ?」 「二年……は経ってないかな。あたしが執行人の勉強をし始めてからは、会話らしい会話はしなかったと思う。しかもムヒョは春ぐらいに事務所開いてそっち行ったし」 「……昨年度の執行人選定、行ったゾ」 「!」 昨年度の執行人選定で選ばれたのが、あたしだ。 「……ふーん。知らなかった」 「ちっとも嬉しそうな顔してなかったゼ。いつもへらへら笑っているオメェが仏頂面だったナ」 「そういうムヒョこそ」 「オレはへらへらしてねェ」 「そっちじゃなくて……まあいいや。ていうかあたしもいつもへらへらなんてしてないって。ヨイチぐらいだよ、そういうの」 「フン」 ムヒョはソファに座り直し、急に真面目な顔をした。 「……こうやって話している間も、ユキ、テメェは仏頂面だ」 「……。そう?」 「以前はへらへら笑いながら話していた」 「だからへらへらしてないって」 その時、「う〜ん……」という何とも間の抜けた第三者の声が、あたしとムヒョとの会話を終わらせた。 この声、何処かで聞いた事があるような……しかもつい最近。 「……ぅん!?あの女の子起きたのムヒョ!?」 床が盛り上がった。と思ったら床で寝ていた長身の人が起き上がっただけだった。ムヒョが目の前に存在していた事があまりにも印象強かったので、床で寝ていた人はあたしの眼に映らなかったのだ。 慌てて起き上がった長身の人は、無人ビルで助けた男の子だった。 そしてあたしは思い出した。潰れたトマトを見た後、意識が途切れてしまった事を。 「もしかして……あの後、あたしを助けて此処まで運んでくれたの?」 此処が何処か、まだ不明だけど。 男の子は勢い良く「はいっ!」と答えた。「ありがとう」とお礼を言うと、またもや「はいっ!!」と元気の良い返事。ムヒョが「うるせェ」と彼を睨んでいる。 あたしは改めて部屋を見渡した。明かりが点いた今、じっくりと部屋中を見回す事が出来る。 羅列した魔法律書。ソファー、事務机。 魔法律相談事務所そのものの部屋だ。 ムヒョ。魔法律家らしい男の子。 そして「あー」と納得する。 「もしかして此処、ムヒョの事務所?それで君は……ムヒョの助手さん?」 男の子はこくこくと頷き、「草野次郎です!」と自己紹介をした。 「あ、そうだ。新聞に載ってた。確かえーと、……ロージーくん、だよね?」 男の子はニックネームで呼ばれた事に感動したのか、ぱああと顔を輝かせた。 そうそう、親友のビコから聞いたんだ。ちなみにビコ──我孫子優も、MLSの同期生。いつもとんがり帽子に長いローブ、マフラーを身に付けている彼女。無表情だとかよく言われているけど、あたしには全くそうは見えない。確かに他人の前では少しむすっとしている事が多いかもしれないけど、彼女はいつもあたしに色々な表情を見せてくれる。泣いたり笑ったり、怒ったり照れたり……。あたしが執行人になってからは、かつての同期生とは全くと言っていい程会う事はなかったが、彼女は違った。魔具師という職業柄、彼女は度々あたしの魔法律書をチェックしてくれている。それまではあたしの書を作ってくれた人(ちなみにビコの師匠だ)にチェックを受けていたのだが、ここ最近どうも調子が良くないから弟子のビコに見てもらってくれと言われたのだ。 話が逸れたが、三ヶ月程前あたしの事務所にビコが訪れた際、あたし達はムヒョの話を少しした。その時彼女はムヒョの助手を「ロージー」と呼んでいたのだ。そっか、ジローだからロージーか。 「ま、そういう事だ」 ムヒョはぽすっとソファーに深く背中を預けた。 「オメェの為にオレのベッドを貸してやってんだ。感謝しろヨ」 「あ、これムヒョのベッド?どーりで小さいわけだ」 「アホか。テメェにとっちゃそれで十分な大きさだ、チビ」 「なっ……ムヒョのがチビのくせに!」 「あわわ……!や、やめなよ二人共ぉ〜……」 ロージーくんはおろおろしている。もしこのまま彼の制止を聞かずに言い合いを続けたら何だか彼が可哀相なので、あたしは口を閉じた。 「と、ところでムヒョ……やっぱり、この女の子と知り合い?」 ロージーくんの問いに、ムヒョは「まあナ」と答える。 「コイツはMLSの同期生だった、」 「瑞花雪乃。『ユキ』でいいよ、ロージーくん」 「あ、あ、はいっ!じゃ、じゃあユキさんで……」 それにしてもロージーくんって、あたしと会話するのにそんなに緊張するのかな?そのせいか、少しばかり顔が赤い気がする。あたしの事を知っている人なら緊張するのも少しはわかるけど、全然知らないらしいし……さっき名前教えても「あの瑞花執行人ですか!?」みたいに驚かなかったし。 あ、そういえばロージーくんはムヒョの助手になる前は魔法律家じゃなかったって新聞に載っていたな。事務所にずっと居ては魔法律関係の情報は入りにくいし、ムヒョはおしゃべりじゃない。エンチュー……の事は、流石に知っているかな……。 「……にしてもほんと、最近やけにMLSの同期生と会っちゃうなー……。まさかあの時助けた男の子がムヒョの助手さんだったなんて」 「……奴と会ったのか?」 「!」 だめだ。表情が崩れたのが自分でもわかった。 「……やだな、ムヒョにはやっぱりお見通し?ヨイチ辺りの事思うかと」 「ヨイチだったらオメェがそんな顔するはずねェ」 そう言ってムヒョはロージーくんをちらりと見た。ロージーくんは頭にクエスチョンマークを浮かべている。……もしかして。 「ロージー、テメェはさっさと自分の部屋へ帰って寝ろ」 「え……でも僕……」 ロージー君は躊躇してるようだった。 ……ところで「寝ろ」って…… 「今、一体何時?」 「四時だ」 「え、でも外暗いよ?それに四時ってまだ寝る時間じゃ」 「ヒッヒ、バカめ。午前四時だ」 え……、て事はあたし、半日以上寝てたって事……!? ムヒョはロージーくんに再び「寝ろ」と言った。ロージーくんはムヒョの有無を言わせない強い口調に眉尻を下げながら、あたしをちらちらと見てきた。……ロージーくんがすんなり部屋に帰らない原因はあたしにあると察した。 「あ、あたしはもう大丈夫だから、ロージーくんゆっくり寝ていいよ。眠いのに四時まで付き合わせてごめん。ありがとう」 そう言うとロージーくんは顔を赤くし手を思いっ切り横にぶんぶんと振って何やらごにょごにょ言った。「いえ、そんな事……」みたいな内容だったと思う。それから彼は部屋に戻った。でもまだあたしが気になるようで、部屋のドアを閉めるまでずっとちらちらこちらを見ていた。心配性なのだろう。 「でさ」 ロージーくんが去った後の沈黙を破ったのはあたしだった。 「さっきのロージーくんの様子から察するに……もしかしてムヒョ、ロージーくんにエンチューの事教えていない?」 「教える必要がねェ」と返された。 「でも、一応助手なんだし……。エンチューはこれから絶対、ムヒョ狙ってくるよ」 「テメェはどうなんだ」 「え……あ、あたし?」 不意を突かれた質問に動揺する。 「あたしはそんな事……だって、エンチューは……」 「ああ確かに奴はオレを憎んで反逆者への道へと入っていった。だからと言って奴がオレだけに攻撃を仕掛けてくるわけじゃねェ。ヨイチやビコ、テメェもオレと同じ立場に立ってんだゾ?実際に──」 そこでムヒョは口をつぐんだ。 「……『実際に』、何?まさかヨイチやビコがエンチューの攻撃を」 「受けてねェ。大丈夫だ、何でもねェヨ」 ムヒョは顔を逸らした。 絶対、彼は今何か隠した。きっとそれは、あたしが聞いたら傷付く事。彼の事を何も知らない人は彼を冷徹だとかよく言うが、本当は、ムヒョは優しい。ただ、その優しさを表すのに少しばかり不器用なだけだ。 「それで、ユキ」 名前を呼ばれたので顔を上げる。 「奴と会ったんだろ。何かされたか?」 「え、いや……別に何も……」 「ヒッヒ。嘘つくのが苦手なのは相変わらずだナ、ユキ」 「うっ……」 「言え」 命令口調ですか。あたしは溜息をついた。 「まあほんの少しばかり攻撃を……」 「ほんの少しのはずねェだろ……。まあいい。オレの言った通りじゃねェか、『オレだけに攻撃を仕掛けてくるわけじゃねェ』ってナ」 やはりムヒョには敵わない。 「わかったよ。あたしも気を付けなきゃいけないのはよぉーくわかったけど、ムヒョは見事にあたしの忠告をスルーしたね」 「何の事だ」 「ロージーくんにエンチューの事を教えた方が良いって事」 ムヒョは黙りこくった。 「……ま、どちらにせよ、いつかはロージーくんに知られちゃうんだから。ていうか二年経っても何も知らないって方が奇跡だよ」 「フン」 ムヒョは鼻を鳴らし、ソファーに仰向けになった。 「ムヒョ、寝るの?」 「ああ。ユキもさっさと寝ろ」 「じゃあ交代するよ。これムヒョのベッドじゃん」 「いい。オレはソファーで寝る」 「風邪引くよ」 「引かねェヨ」 「じゃあ一緒に寝る?」 ムヒョにしては珍しく即答しなかった。どうしたんだろ。そう思って彼の顔を見てみると、目を見開いて固まっている。本当にどうしたんだろ。 「……ムヒョ?」 「……」 「もしもーし」 「バ、」 「?」 「バカか、テメェは……!」 「ば、バカって……せっかくヒトが心配してんのに!」 そう言ったら長い溜息をつかれた。 全く本当に相変わらずだ、他人をすぐバカにするんだから。 「とにかく、オマエはそっちで寝てろ!オレはソファーでいい」 「……そんなにソファーが好きなんだ、ムヒョ」 無視された。 あたしは毛布をムヒョに投げ付けた。 「っ」 「頑固だね。絶対寒いって。あたしまだ掛け布団あるし」 「……」 ムヒョは何も言わずに毛布に包まった。それを見て、これであたしも寝れそうだと思った。 そのまま長い時間が過ぎた。もうムヒョは寝ているのだろうか。 「ねえ……。エンチューは、きっと戻って来るよね……?」 返って来るはずのない疑問を、宙にぶつける。 あの頃に戻れたら。 あの頃のように、またみんなで笑い合えれたら。 「たりめーだ」 返って来た。 「戻って来させる」 「……何だ、ムヒョ起きてたんだ」 「もう寝る」 「そう。──あたしも寝よっと」 そうだ。 あの頃の笑顔をまた取り戻す為に。 彼の目を覚まさせてやるんだ。 こっちに戻って来させるんだ。 あたし達が。 「おやすみ、ムヒョ」 それからあたしはいつの間にか夢の中にいた。 悪夢ではなく、まだ何も起こってなかったあの頃の夢。毎日が楽しくて輝いていて、これから自分達が辿る運命なんてものを全く知る由も無かった頃の夢だった──。 第4話:再会そして願い(了) 舞雪/どり〜む/ふる〜つ村。 |