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第3話:思わぬ出会い



「うわあああ!!」


不吉な冷たい風と共にあたしの身を貫いたのは、悲鳴と、霊気だった。





第3話:思わぬ出会い





「ムヒョ!夕飯の材料買ってくるね!」

僕は、ジャビンを読み耽っている上司、ムヒョにそう言って『六氷魔法律事厶所』を出た。事務所のあるビルから一歩外に出ると、北風が身にしみた。

「……もう冬かぁ」

今夜は温かいシチューにしようかな。お金は余裕あるし。トマトも添えよう。

そんな事を思いながら、僕はいつもの商店街へ向かった。そこで材料を買う。

「坊ちゃん、今日はカレーかい?」
「いえ、シチューなんです」

顔馴染みの八百屋のおばあちゃんにそう答えた。

「最近寒くなってきたからねえ〜。はい、お釣」
「ありがとうございます!」

僕は最後に肉を買って、商店街を後にした。

うーっ……それにしても本当に寒いや。早く帰ろっ。

僕はひとつ身震いし、早足で事務所に向かった。
……そのまま真っ直ぐ帰れたら良かったんだけど……。

ドンッ

僕は男の人とぶつかって、尻餅をついてしまった。

「あいたたた……ご、ごめんなさ──ってあっ!?」

男の人はそのまま走り去っていく。手には僕の財布が入ってるバック。

ひ、ひったくり!?

しかもあの財布の中は、いつもと同じように空に近い状態じゃない。つい最近頂いた依頼料がたんまり入っている。

こんな事になるならギンコーにでも預けてれば良かった!

僕は慌てて男の人を全速力で追い掛けた。

「待てえええ〜っ!!」





どのぐらい走っただろう。体力的に限界を感じてきた頃、男の人は古びたビルの中に入っていった。僕も急いで彼の後に続こうと思ったが、そのビルを何処かで見たような気がして足を止めた。何か怖い思い出があるような気が……あ。
此処、ずっと前僕が浮遊霊に取り憑かれちゃった無人ビルだ……!

僕は迷った。正直、入りたくない。怖い。前は浮遊霊だったから良かったけど、地縛霊だったら本当に危険な目に遭ってもおかしくない。あ、いやでも、財布を盗られたまま帰ったらムヒョに殺されるかな……もしそれが免れたとしても、飢え死にしてしまうかもしれない(冗談じゃないよ本気で言っているんだよ!)。
散々迷った揚句、僕は入る事にした。ビルの中に一歩、足を踏み入れる。外の気温よりもずっと低く感じられた。
ひったくりを見付けて、捕まえて、財布を取り戻して、早く帰ろう。
そう思いながら僕はひったくりを捜し回った。靴音が建物内に響く。
すると奥の方で、どさっという音が聞こえた。

(! ひったくり犯はあそこだなっ!)

僕は音がした方へ走って行った。
見つけた。僕のバックを傍に落として、尻餅をついている。──あとから思えば、『腰を抜かしている』という表現の方が正しかったかもしれない。

「こら──ッ!!ひったくり……め……」

僕としては勇敢にもひったくり犯を叱咤したのだが、その勇気は次に見た光景にすっかりくじけてしまった。思わず買い物袋を取り落としてしまう。
最悪の予想が的中した。
尻餅をついているひったくり犯と棒立ちになっている僕の目の前には、霊。

『ヴ……ヴ……』

ヒトの形をした霊。だが次の瞬間、ぼこぼこっと不気味な音がして、腹の部分からもうひとつ、顔が出てきた。それは僕らを見据え、ケタケタと笑い始めた。

「う……うわあああ!!」

背筋がぞっとして、僕は思わず悲鳴を上げてしまった。唸り声と笑い声が混じった声におぞましさを感じる。悪霊は、ゆっくりこっちに近付いてきた。

「ひいいぃいっ!!」

ひったくり犯ははいつくばって慌てて逃げ出したけど、僕は逆に尻餅をついてしまい逃げる機会を失った。ガチガチと歯が鳴る。
今度は二本の手が伸びてきた。頭と同じく腹の部分からだ。

「た……っ、助け……!!」

その時、座り込んでいる僕の傍を何者かが通った。こつ、こつ、こつ、と、規則正しい靴音だ。その様子から、目の前の悪霊に全く動じていないという事が伺える。黒いマントがひらりと翻った。

「ム──!?」

僕はその人物をムヒョだと思った。だが実際は違っていた。確かに黒いマントと身長はムヒョと同じだけど、その子はどこからどう見ても女の子だった。そして、後ろ姿だから顔はどうかわからないが、髪の色はムヒョと全く異なる。美味しそうなチョコレート色。よく見れば靴だって全く違う。
女の子は悪霊を見上げた。悪霊は相変わらず唸り、笑ったままで、細い腕を女の子の方に伸ばす。

「あ──」

危ない。そう言おうとした僕の言葉は、飲み込まれた。

「魔法律第1093条」

女の子の発した、言葉によって。

「『霊体無断寄生』の罪により」

あれは──魔法律!?

「『双蛇』の刑に処す」

二匹の蛇が飛び出した。女の子はこちらに背を向けているので書は見えないが、魔法律の発動光は見える。よってあの蛇達は魔法律書から飛び出した地獄の使者だろう。白と黒の、小柄な蛇。二匹の蛇は真っ直ぐ霊に向かった。光が迸しる。僕は何が起こったのか全くわからなかった。女の子の呟きだけが、微かに耳に届いた。「善きものは光に包まれ浄土行き、悪しきものは闇に包まれ地獄行き」。何だか謳うような口調だ。
光が消えると、もうそこには悪霊の姿は無かった。蛇もいない。地獄に帰ったのかなと思ったけど、魔法律の発動光が消えていない事からするとまだ彼らは現世にいるらしい。
女の子は未だ発動したままの魔法律書を片手に持ったまま、こちらを振り返った。
──その瞬間の気持ちを、僕は一生、忘れないだろう。心臓が高鳴り、顔が熱くなった。
肩までのさらさらの髪。
雪のように白い肌。
ブラウンの大きな瞳。
『可愛い』という言葉がとてもよく似合う……いや、『可愛い』だけじゃ表現しきれない。そんな女の子だった。もちろん『可愛い』のは顔だけじゃなくて、何て言うか……この子は、何処か人を魅了させる雰囲気を纏わせていた。だけどそれと同時に僕はこの女の子から、何処か淋しげな、哀しげな雰囲気も感じられて。

「大丈夫?」

女の子の声で僕は我に返った。見上げると彼女は書を持っていない方の手を差し伸べている。そういえば、僕は尻餅をついたままだった。
……僕、かっこわる……。

「あ、あ、ありがとう……」

僕は女の子の手を握った。ちっちゃくて、冷たい手。僕はまた顔が熱くなるのを感じた。
それに、さっきの魔法律裁きはかっこよかったなぁ──って、あ……!

「執行人!?」

思わず大声を出してしまったせいで、僕は女の子をびっくりさせてしまったようだ。彼女は握っていた僕の手をぱっと離してしまった。半分腰を上げていた僕は支えを失い、どすん、と再び尻餅をつく。

「あ、ごめん!」

女の子は慌てて謝り、僕を引っ張り起こそうとした。当たり前の事だが、それは無理だった。例え彼女が片手に書を持っていなくて両手が使えたとしても無理だろう。

「ぼ、僕の方こそごめんなさい!びっくりさせてしまって……」

僕は自分で立ち上がって、女の子同様謝った。ていうか僕、執行人に「ありがとう」って……敬語使ってなかった……!

ちょうどその時、あの二匹の蛇が帰ってきた。彼らは魔法律書のページの中に消えていく。動きが速すぎて、僕には白い光と黒い光が書のページに吸い込まれるようにしか見えなかったが。

「……お疲れ。白蛇に黒蛇」

女の子はそう言い、書を閉じた。それをマントの下にするりとしまい込む。
それから女の子は僕を見上げた。

「もしかして、君も魔法律家なの?」
「あ、はい!」

僕は勢い良く答えた。でも、確かに僕は魔法律家だけど、地位は最下位の『二級書記官』だ。おまけに、魔法律の知識なんて皆無に等しい。

「そうなんだ。サスペンダー見えなかったからわからなかった」

コートを着用しているから見えなくても仕方がない。


「あ、あの、さっきの──執行ですよね!?」

僕は思い切って訊いてみた。先程の出来事からして、この女の子は間違いなく執行人だろう。いつもムヒョの執行を隣で見ているせいで違和感を感じられなかったというか、この小さな女の子が執行していても自然と受け入れる事が出来たので、気付くのが遅かったが。
女の子は僕の興奮気味の質問にこくんと頷いた。
僕はもう一つ、先程から少し気になっていた言葉を訊いてみる事にした。

「……あの……、『善きものは光に包まれ浄土行き、悪しきものは闇に包まれ地獄行き』って」

女の子は「あ」と声を上げる。

「聞こえてた?」
「はい……あ、あの、すみません!」
「別に、謝る事じゃないよ」

女の子は苦笑した。

「……あの言葉ね、結構気に入ってる言葉なんだ。パパも好きだった」

過去形が気になったが、訊いてはいけないような気がした。
彼女は続ける。

「あの言葉を作ったのはパパの上司なんだけどね。その人いっつもくだらない詩を思い付いてはあたしやパパとかに教えて。正直、その人の詩は別に好きなんかじゃなかったんだけど。でもあの言葉は何か気に入ったんだ。パパも同じだったよ」

「善きものは光に包まれ浄土行き、悪しきものは闇に包まれ地獄行き」。彼女はまた呟いた。

「何ていうか、刑の執行においてはっきりしてるとこが好き」

いやでもどうなんだろう、と彼女は首を少し傾げる。

「……もしかしたら、そういう考えが羨ましいって思うだけなのかも」

彼女は苦笑した。

「だってさ、問答無用で悪い事したら地獄行きで悪い事しなかったら浄土行きって出来たら、こんな──苦しまずに済むじゃない」

多分作った人も、そういう考えを持っているから作ったんじゃないと思う。
……勝手な推測だけど、と彼女は付け足した。
その表情が、凄く……哀しげに見えた。
一体何が、彼女をこんなに苦しませているのだろう……?
何も出来ないどころか、何も知らない自分に腹が立った。

「……あの言葉は、さっき喚んだ『双蛇』にぴったり当て嵌まるから、思わず呟いちゃった」
「あ──さっきの蛇……僕、よく見えなかったんですけど、一体何したんですか?」

うーん、と彼女はどう説明しようか悩んでいる様子だ。

「……たまにね、自分より弱い霊──例えば浮遊霊とか──に憑く悪霊がいるの。『霊体無断寄生』って罪なんだけど。……人体に憑く程の力がないからって融合しやすい浮遊霊に憑くなんてね」

ふんふん、と僕は頷く。立派な魔法律家になる為の知識だ。僕はしっかりと頭に叩き込んだ。

「『霊体無断寄生』は『無断霊化融合』と違うってのはわかる?」
「あ、はい、何となくですが……。『霊体無断寄生』は霊に寄生する……みたいな感じで、『無断霊化融合』は霊と合体する……みたいな感じですか……?」

嗚呼、我ながら何て下手くそな説明なんだろう。僕は内心落胆した。だけど彼女は特に気にする様子も無く続ける。

「うんそんな感じ。ま、前者と後者との決定的な違いは、前者は悪霊でない霊が犠牲になっているってところかな」
「あ……」

あのヒトの形をした霊は浮遊霊で、腹から出て来た顔や手は悪霊だったって事かぁ。

「そこで『双蛇』。白蛇は極端に罪の軽い浮遊霊を浄土行きに、黒蛇は罪を犯した悪霊を地獄行きにする。別にまとめて地獄送りにしても差し支えはないんだけど……後味悪いっていうか、何か嫌だし」

僕はこくこくと頷いた。出来るだけ霊を地獄送りにさせたくないのは僕も同じだ。

「まさにあの言葉がぴったりだよね、双蛇は」

これで良い?と彼女は首を傾げた。僕は慌てて頷いた。

「……あ、そう言えば……何で双蛇はすぐに地獄に帰らなかったんですか?」
「このビルには浮遊霊が集まりやすいのかな。沢山の霊がいたよ」

僕はごくり、と唾を飲み込んで上を見上げた。

「大丈夫、もういないから。さっき白蛇が全てあの世に送ったよ。悪霊は幸いさっきのだけだったから黒蛇の出番は無かったけどね」

彼女は淡々と説明する。

「いくら害の小さい浮遊霊だからと言っても、あのままほったらかしてたらまた同じ事が起こるかもしれないからね。それに浮遊霊に憑く悪霊だって、最初は力が弱くても、永く憑くうちに力が強くなってしまうし……そうなれば、このビルで死人が出てもおかしくない」
「そうだったんですか……色々教えていただき、ありがとうございます!」

僕はぺこりと頭を下げた。まさかこんなに丁寧に説明してくれるとは思わなかった。

「ううん、こっちこそ。……久々に沢山喋れて、良かったよ」

この人は普段、あまり喋る機会がないのかな?
そういえば、助手は採っているのかな。

そこで僕はある事に気が付いた。
待って待って、この歳で……って年齢わかんないけど、多分ムヒョと同じぐらいじゃないかな、小さいけど小学生には見えないってところからして。そしてムヒョは最年少執行人だ。その最年少執行人とだいたい同い年に見える彼女が執行人……って事はこの人、結構有名人だったりするんじゃないかな!?もしかしたら、ムヒョが小さい頃通っていたMLSの同期生かもしれない!

「あ、あの……そういえば、あなたのお名前は?」

僕は訊いた。すると彼女は少し目を丸くした。

「……もしかしてとは思っていたけど、やっぱりあたしの事知らないんだね?」
「え、あ、あの……何か、失礼な事訊いたみたいでごめんなさいっ!!」

僕は慌てて謝った。これで、この子が魔法律界の有名人である可能性がぐんと高くなった。魔法律家である僕が有名人である彼女の事を知らないなんて、……きっとこの子、気分悪くしただろうな……。
だけど意外な事に、女の子は慌てて手を横にぶんぶんと振った。

「あ、えと、謝らなくていいよほんとに!むしろあたしの事知らない魔法律家に出会えて新鮮というか……あたし、MLSに入学してからずっとそういう──珍しいものでも見るような目で見られてきたから」

正直すっごくうんざりしていた、と彼女は言った。

「だから君と出会えて嬉しかったよ」

胸が高鳴った。どうしよう、何か僕、今、凄く幸せだ……!

あまりにも大きな幸せを感じたせいか、僕は後ろにふらりとよろけた。その途端、何かを思いっ切り踏ん付けてしまった。足元を見てみると、潰れて中身が飛び散ってしまったトマト。買い物袋を取り落としてしまった時にどうやら転がり出たものらしかった。
うう……せっかく買ったトマトが、無駄になってしまった……。
心の中で涙を流していると、どさり、と何かが倒れた音が聞こえた。振り向くと、女の子が倒れている。

「だっ……大丈夫ですか!?」

僕は慌てて女の子に駆け寄った。顔が蒼白だ。気を失ってる。
魔法律を使ったせいで疲れて寝ちゃったのかなと思ったけど、それにしては様子がおかしい。

「ど……」

どうして……?


赤いトマトは、まるで僕らを嘲るかのように、血を流し続けていた。





第3話:思わぬ出会い(了)

舞雪/どり〜む/ふる〜つ村。


あきゅろす。
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