それが彼女のスタンスさ


 本田菊の最愛の双子の姉、本田ビラブドはクラスで一番可愛い女の子、だ。
 可愛い女の子といっても美少女という意味では……ないわけでもないが。
 ふわり風に揺れる細い髪。ふくふくと柔らかげな頬はほんのりと赤みが差して健康的だ。おてては紅葉、お肌はミルク、歩く姿はひよこのよう――つまり、本田ビラブドはそーいう意味で可愛い女の子だった。



 ルートヴィヒは階段の半ばで立ち止まり、ほんわかした気持ちで階段を降りてくるビラブドを眺めていた。見つめるのではなく眺めていた。
 誰か教師にでも頼まれたのか、大きな荷物を持っている。こんなちっちゃい子にそんな仕事を言い付けた教師の愚かさには腹が立つし、自分も手を貸してやるべきだと思う。
 しかし、限られた視界の中を慎重にほてりほてりと一歩一歩足を出すビラブドの様子はなんとも可愛らしく、さしものルートヴィヒも行動に移るより前に和んだ。和みまくった。
 なんだかビラブドが段に足を付けるその都度、子ども用の靴のように上履きからプキュプキュ音が聴こえてくる気さえしてくる。
 朝っぱらから兄の突飛な行動に巻き込まれて後片付けに奔走させられ、遅刻ギリギリアウトで学校に着けば親戚の風紀委員に説教され、ようやく解放されようという時になってのんびり余裕綽々で現れた兄と親戚の喧嘩の仲裁を余儀無くさせられ、更には兄をエリザベータのフライパンから庇って負傷したルートヴィヒ、最近抜け毛が気になるお年頃☆にとっては素晴らしい癒しだった。
 ちょうどビラブドがそんなほわわん気分のルートヴィヒとすれ違った時だった。ビラブドの靴の底がうっかり階段の角に体重をかけてしまったのは。

「きゃっ」

 ズルリとビラブドの体全体が後ろへ傾いでいく。

「ビラブド!」

 伸ばした手がすぐ届く距離であったのが幸いした。ルートヴィヒの半分もない細い腕を強く掴んで自分の方に引きずり込む。
 ビラブドの手を離れた段ボール箱が、見た目に反して妙に軽い音を立てて転げ落ちていく。どうやらただの空箱だったようだ。
 上半身をルートヴィヒの広い胸に預けるかたちになったビラブドは、元々大きかった黒い目を真ん丸に見開いてほっと安堵の溜め息を吐いた。

「あー、危なかった」

 それでもどこか暢気な口調でそう言うと、ビラブドは体勢を立て直しながらにっこりとルートヴィヒに微笑んだ。

「ありがとうねルーくん。助かっちゃった」

 極至近距離でふくふくと笑みの形に動く、つんっと自己主張する唇から何故か目が離せないルートヴィヒの脳内に、何故だかぴよっ! と幻聴が響いた。

「? どうかしたのルーくん」
「ああ、いや」

 疚しい気持ちに襲われたルートヴィヒは咄嗟に誤魔化そうと口を開き、言った。言ってしまった。
 彼の名誉の為に言おう。ルートヴィヒは決して失礼な男ではない。彼は、少なくともこの個性溢れて大洪水の面々が勢揃いした学園内では非常に礼儀正しい部類に入る。
 しかしこの日の彼は疲れていた。とってもとっても疲れていた。――ついうっかり思ったことをそのまま口からポロっと出すぐらいには。

「意外に重いな」

 はっ! とルートヴィヒが口を押さえた時には既に遅かった。

(しまっ、た……)

 幾ら朴念人のルートヴィヒでも女子に体重の話がタブーなのはわかっている。

「す、すまんビラブド!」

 恐る恐るビラブドの様子を伺えば、彼女はにっこりと微笑んだ。ルートヴィヒの目にはそれが日向に微睡む小鳥のように満ち足りた笑顔に見えた。全く愛らしい笑顔だ――このベールヴァルドにも劣らない、言い知れぬ威圧感さえ無かったら。

「ルートヴィヒ・バイルシュミット君」
「はい」

 反射的に畏まるルートヴィヒにビラブドはその小さな手をギュッと握り締めてみせた。ルートヴィヒからすればどう見ても頼りないはずの拳が、何故か計り知れない力を秘めているようにさえ見える。

「歯を食い縛れ、なんてボクは言わないよ。うん。そんなことは言わないよ。うん。
 ――食い縛らないで無防備なまま殴られて脳震盪起こすなり舌を噛みきるなりしてくれるかな?」

 普段となんら変わらない笑顔で言い切ったビラブドの、しかしその黒い瞳は限り無く本気の目をしていた。
 ルートヴィヒの身体中からブワッと脂汗が溢れだした。絶体絶命である。

「……い、嫌だと言ったら?」

 精一杯の悪足掻きは、意外な成功を見せた。うーん、とちょっと唇に指先を押し当ててビラブドは考え込んだ。

「そうだなぁ……ちょっと後で椅子になってもらうね」
「――椅子?」
「うん、椅子!」




「――っていうわけなんだ」
「なるほど、だからルートヴィヒさんのお膝の上に乗っているというわけなんですね、ビラブドちゃん」
「いいなぁ、ルートヴィヒ。俺の膝にも乗ってよビラブドちゃん」

 机の上に散らばったフェリシアーノ手製の焼き菓子を啄みながら一部始終を語ったビラブドに、菊は真面目な顔をして頷いた。驚きなど疾うに無い。寧ろこれぐらいがビラブドの通常運転だ、ということを生まれた時から一緒に生きてきた彼はよぉぉぉぉぉぉっっっく知っている。
 クラスメート達の視線が少し痛いが、よりそれを感じているルートヴィヒが目の前にいるのだから耐えねばなるまい。例え椅子扱いに戸惑い、居心地悪げなくせに、どこか幸せそうで癇に障っても。

「うん、さすがにくぅちゃんはお利口さんだね。えらい子えらい子。はい、ご褒美だよ」

 ビラブドはにっこり笑って菊のきっと締まった唇のすぐ前に焼き菓子を一摘まみ持っていく。続く展開の読めた菊は黙りこくった。

「……」
「はい、あーん」
「…………」
「あーん」
「……………………」

 ビラブドは負けなかった。

「あーん」
「…………………………………………くっ」

 がっくりと肩を落とした菊はうつろな目で呟いた。

「許して下さい、私は心の弱い男です……ビラブドちゃんだとわかっていても……いえ、ろりろり☆妹なビラブドちゃんだからこそこのシチュエーションには萌えてしまいます……!」

 横でフェリシアーノはどん引いた。

「……ヴェ、ヴェー菊誰に謝ってるの?」
「二次元と三次元の狭間におわす神にらしいよシアーくん」
「……誰? それ」
「くぅちゃんの考えることって時々計り知れないからねぇ」

 妹って、ビラブドちゃんの方がお姉さんなのにね。
 そうだね、おかしいよね。

 素知らぬ顔でそう言い切って、ビラブドは四度囁く。

「はい、くぅちゃん。あーん」
「……いただきます」

 意を決して開いた菊の口に菓子を柔らかく押し込んだ。

「美味しい? ねぇ美味しい?」
「勿論美味しいですよ。ありがとうございますフェリシアーノ君」
「えへへ、俺嬉しいや」

 そんなほんわか姉弟プラス1――99.999%は弟の方――を羨ましげに見つめる椅子の姿があった。

(べ、別に俺もして欲しいわけではないぞ!……してほしいわけでは……してほしい……)

 青い煩悩に苛まれ、一人悶々としていたルートヴィヒへとビラブドがくるりと振り替える。その手に菓子を一片持って。
 まさか、と期待に高鳴るルートヴィヒの胸の内を知ってか知らずかビラブドは甘く笑いかけた。

「はい、ルー君もあーん」
「――! ! !」

 雷に打たれたような衝撃に襲われながら言われたままに口を開く。

「美味しい?」
「あ、ああ……」

 焼き菓子よりも、唇に微かに触れた細い指先の方がルートヴィヒにとってよっぽど重要であった。そっとその部分を自分の指でなぞる。硬い皮膚に覆われたルートヴィヒの指ではあのくすぐったい感触は再現できなかったが、それでもぞくぞくとした熱いなにかが胸の裏側を襲った。
 そんなルートヴィヒに菊は生暖かい目を向けざるを得なかったのだが、勿論自分の世界に入り込んだルートヴィヒには気付けない。

「シアー君もあーん」
「わぁーい、あーん」

 ぼーのぼーのと喜ぶフェリシアーノに対して孫を見る目を向けていた菊は、視界の端に引っかかるルートヴィヒの存在を無きものとした。ガタイのいい男が唇を押さえてぽーっとしていりゃ誰だってそんな気にもなろう。

(ルートヴィヒさんったら……)

 続いて最愛の姉に視線を移した菊はもう少しで顔を引きつらせるところだった。その普段は雛鳥ほどに純粋無垢な黒い目が計算高い光を浮かべていたからだ。
 菊はそっと目を背けた。ちょうどその先には窓から青い空が見える。明るい日差しの差す窓辺をその目に映しながら、菊は暗憺たる思いで姉の標的になってしまった友人に心の中で謝罪した。

(すいませんルートヴィヒさん、私は無力です……)

「春ですねぇ……」
「ホントだね。俺春大好きだよ!」
「私もー!」

 きゃぴきゃぴるんるん笑う自分の片割れに戦慄しながらも、菊はただただ己の平穏を祈るのであった。

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どういうわけだか知らないがろりっ娘毒っ娘ビラブドちゃんのターンでした!
各キャラの呼び方が独特なのはキニシナーイ。

シアー君:フェリだと被るのがいるから&多分現地発音だとアーの部分にアクセントかかるから。
ルー君:ヴィの部分にアクセントかかるけどあまりのギャップについ採用。
くうちゃん:きくちゃん、がなまった。可愛いは正義。

2009/05/02
(2010/01/02モバイル公開)

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あきゅろす。
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