きみと見た艶やかな夕焼けの、
「失礼しました」
ガララッと職員室の扉を閉めてビラブドはほぅ、と溜息を吐いた。吐息が微かに白く凝ったが気にもならない。今日は久しぶりに暗くなる前に帰れそうだ。
冬至を目前に控えて太陽の気は随分急いている。三時台で既に黄昏に包まれつつあった外の景色は、今ゆっくりと赤みを増しつつあった。
携帯電話を取り出し、冷えた指先で仕事が終わった旨をメールで恋人に伝える。
歩き出して幾許もしない内に受信した、登校口で、との返信に毎度のことながらビラブドは思わず呟いた。
「――アンタちゃんと仕事してるんでしょうね?」
返事は無い。当人に直接問いたださない限りには。
教室に鞄や荷物を取りに戻る。嵌めた手袋に、それだけで指先が温まったような錯覚を感じてビラブドの心はいっそう柔らかに落ち着いていった。
授業を終えてもう結構な時間が立つので、校舎内の人影はまばらだ。待ち合わせの場所へと向かうビラブドの耳に、運動場の方から響くどこかの部活の掛け声が、その元気のよさにも拘らずどこか寂しげに聞こえた。
登校口のすぐ手前の廊下、いつも通りの場所の壁にもたれかかった、背の高い男子生徒を見つけてビラブドは声をかけた。
「ロシア」
呼ばれて、ロシアはビラブドへにっこりと笑って手を挙げた。
「やぁ、ビラブド君。お疲れ様」
「アンタもお疲れ様。……少し待たせたかしら?」
「ううん全然。今来たとこだよ」
二人、並んで歩き出す。長身のロシアと目を合わせるには、ビラブドは首を傾けなければいけない。付き合いだした当初はしばしば謎の筋の痛みに悩まされたものだ。冷静に考えれば謎もなにも無かったのだが。
「学級委員も仕事が多くて大変だね。今日は早かったけど」
「でもやりがいはあるわ。生徒会だって大変でしょう。……早く帰ってるけど、仕事大丈夫なの?」
「今日もイギリスとアメリカとフランス君が喧嘩してるだけだったけど。僕は中国君とアメリカの持ち込んだお菓子食べてたよ。見た目アレだしあんまりおいしくなかったけど」
(……あんの三人は……!)
弟離れできないブラコン生徒会長と反抗期のブラコンメタボとヒトにちょっかいかけるの大好きな副会長のいつも通りいつも通り過ぎる姿にビラブドは内心舌打ちした。
「生徒会がちゃんと仕事してくれないと困るんだけど」
「大丈夫、イギリスは仕事するよ」
「……いや、アイツ一人が働いても」
ビラブドの言葉にロシアはすかさず返した。少しむくれているように見えるのは多分気のせいでもない。
「僕だってちゃんとこれが僕の仕事だよって言われたらちゃんとやるよ。でも役員をまとめられないのは会長の責任なんだし、その責任を取ってイギリスが仕事するのは当然なんじゃないかな?」
「――まあ、そうだけど」
確かに会議中に私情丸出しで喧嘩している以上、同情の余地は無いだろう。会長が働いてるのがわかってるのなら手伝ってやれとか、見てるだけじゃなくて喧嘩を止めろとか色々思うところはあるが……多分、無駄な気がする。
「試験も終わったし、もうすぐ冬休みだね」
「私たちは、ね。何人か赤点取った連中は補習だけど」
「ああ、そういえば今日の喧嘩の始まりもアメリカの赤点だったなあ」
ふうん、と気の無さげな返事をしておいて、しかしビラブドは鋭く言った。
「――地理ね」
「うん、地理だよ。数学も結構ギリギリだったらしいけど」
「ああ、今回難しかったものね」
「優等生が言うと結構嫌味だよね」
「アンタだって充分成績いいでしょうが」
「平均点割ったのは無かったよ」
「充分よ」
どこからか夕飯の準備をしているのだろう、魚を焼くいいにおいがしてビラブドの食欲中枢を刺激した。
「ロシア、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「うん? 何かな?」
「あー……」
「どうしたの? ビラブド君」
歯切れの悪いビラブドの様子をロシアは物珍しげに眺めた。数秒の躊躇いを見せた後、漸く意を決したのかビラブドはきゅ、と唇を一旦引き締める。
「その、ね。28日、って用事あるの?」
「ないけど……!」
ロシアは小さく息を呑んだ。12月28日、という日付は彼にとって特別な日――そう、誕生日であったから。
「もしかして、僕の誕生日知ってた?」
「ええ、まぁ……日本が今月の初めに教えてくれて」
「――僕、日本君に教えた覚えもないんだけど」
「菊はフランスに聞いたって」
「ああ、フランス君なら知ってるなぁ」
なんだかんだで付き合いの長いフランスならば知っているだろう。実際毎年彼にはお手製のケーキをプレゼントされている。――フランスが何故どういった経緯で日本にロシアの誕生日を教えることになったのかは謎だが。
「もしかしたら余計なお世話かもしれないけど、でも」
目線を上げて、一瞬、合わせておきながら耐え切れずにビラブドは少し俯いた。頬がほんのり赤い気がするのは、きっと夕陽のせいだけではない。
「一緒にいても、いいかしら?」
ドキドキと早くなる心臓の音を感じながらロシアはビラブドの手を握った。
「余計なお世話なんてことないよ。凄く嬉しいな」
「そう?」
チラッと、ビラブドは少し自信無さな眼差しを向ける。ロシアはそれに大きく頷いた。
「当たり前だよ。彼女に誕生日お祝いしてもらえるのが嫌なわけないじゃない」
「まぁ、そうだけど……」
「けど、何?」
まだ何かすっきりしない表情のビラブドに尋ねると、彼女は観念してうつむいた。
「どうして教えてくれなかったのか、なんて考えて」
自分でも思いがけず弱々しく揺れた声にビラブドは小さく眉根を寄せた。ロシアはそのビラブドらしくない様子にびっくりしながら彼女の顔をマジマジと見つめる。
「不安にさせちゃったかな?」
「そこまで気にしてないわよ」
いつも通り冷静な調子で返ってきた声に、ロシアはほっと安堵の溜め息を吐きかけたが、その瞬間「人との付き合い方〜日本人編〜」の一節が頭をよぎって、溜め息を飲み込む羽目になった。
――曰く、「彼らの『大丈夫』、『なんでもない』及び『気にしていない』はあてにならない。例え笑顔でも目元に皺が寄っていない場合は特に気をつけるように。」
ロシアはビラブドを見た。皺は薄くだが確かにちゃんと寄っている。――眉間に。
(気にしてるよ。ビラブド君絶対に気にしてるよ!)
「ごめんね」
慌ててロシアは弁解を始めた。だってビラブドが爆発したらきっととても怖い。それ以前に別れを切り出されるのが何より怖い。
何せその本によると「日本人は寛容だが、小さな不満を溜め込む人種」であり、「不満が許容量を超えると突然爆発する」タイプなのだ。
「その、いつ言ったらいいのかよくわからなくて……特に今月入ってからじゃなんか催促してるみたいだし」
「いいのよ。私もそういえば教えてないわよね? 自分の誕生日」
「あ、本当だ。僕知らないや」
「おあいこ様ね」
ふふ、と笑うその目元には今度こそ優しく皺が寄っていて、漸くロシアは心からの溜め息を吐き出せたのだった。
さて、人という生き物は一つ望みが叶うとより貪欲になる生き物である。――自制が効く、効かないはまた別として。ロシアも多分に漏れずそうであった。
「ねぇ」
「何?」
「君も年末年始だからきっと色々忙しいとは思うんだけど」
きゅ、とビラブドの手を握る、ロシアの手に力がこもる。
「28日だけじゃなくて、できれば冬休み毎日会えないかな?」
ビラブドは目を軽く見開いた後、少し考えてから緊張するロシアにそっけなく返した。
「考えておくわ」
ロシアの頭を再び人との付き合い方〜日本人編〜が頭をよぎる。
――曰く、「彼らが『検討します』『考えておきます』『善処します』
『また次の機会に』と言った場合、それは大抵否定の言葉です。あまり期待しないでおきましょう。」
(期待、しないで……)
「……そう、わかった」
がっくりと目に見えて落ち込んだロシアにビラブドは不思議そうな顔をしたが、さすがに二秒で気がついた。
「ちょっと、今のは嫌だって意味じゃないわよ!?」
「え?」
キョトンとするロシアにビラブドは早口でまくしたてた。
「三が日は親戚付き合いもあるし、大掃除だってやらなくちゃいけないし、買い物だって――家族と予定を確認してからじゃないとはっきりしたことは言えないって、そういう意味よ。
曖昧なこと言ってやっぱり駄目でした、とかはやりたくないし」
「あ、そうなんだ」
「そうよ」
はぁ、と白い息も赤く染まる中、ビラブドはふい、と視線を泳がせた。もごもごと口元を小さく動かす。
「大体……嫌だなんて思うわけないじゃない」
ピタッ、とロシアは止まった。もう色々大変だ。主に理性的な意味で。
(ダメだ……。――ビラブド君、可愛い)
「ビラブド君……!」
「きゃっ!」
ガバッ! と力の限りに抱き付かれてビラブドは悲鳴を上げた。
「ちょ、ちょっと苦しい! 力の限り抱き締めるな! その上体重かけてのしかかるな! アンタいい加減力加減覚えなさい! あとここは道端だ!」
「あ、ごめんね!」
パッと慌てて離れたロシアだが、そのコートをすかさずビラブドが掴んだ。
「? ビラブド君?」
「だから」
そのままボスリと頭をロシアの肩に倒れ込ませる。戸惑うロシアの耳にくぐもったビラブドの声が届いた。
「力加減さえちゃんとしてくれたら、私だって抱き締めるななんて言わないわよ。道端は正直遠慮して欲しいけど……ん、まぁ、今は人も少ないし」
その言葉の意味するところを悟って、ロシアはまたビラブドを抱き締めた。今度はついつい愛しさのあまりに力を込めすぎそうになるのを堪えて、ビラブドを苦しめないでいいように、そうっと。
「ビラブド君って結構素直だよね」
「――……好きな人に意地を張ったって仕方がないじゃない」
ぎゅ、とまたコートの引っ張られた感覚に、ロシアの胸に熱いものが込み上げる。
「ビラブド君」
「何?」
「顔、見たいな」
「……今、真っ赤だから駄目よ」
「そんなの夕焼けでわからないよ」
ね。と促されてビラブドはおずおずと顔を上げる。
ロシアはその熱い両頬に手を添えて、確かに赤い目元を優しくくすぐった。
「ビラブド君」
「何」
「キスしたいな」
「な」
言葉を失ったビラブドがパクパクと口を開け閉めしている間に、トドメとばかりにロシアは首を傾げた。
「ねぇ、嫌かな?」
ぐっ、と小さくうめいたビラブドが、顔をうつ向けようとするのをロシアは手に力を込めて許さない。
ロシアには勝算があった。そうとも、ビラブド自身が言った。意地を張ったって仕方がない、と。――嫌だなんて思うわけない、と。
必死に視線を逸らしていたビラブドも、その内に根負けして蚊の鳴くような声で呟いた。
「すぐ、離れてくれるなら」
「ありがとう」
目に閉じたビラブドの顔を少し上に向かせる。薄い唇を親指の腹で一つ、撫でてから、ロシアは静かに自分の唇を重ねていった。
きみと見た艶やかな夕焼けの、温かさを覚えてる。
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「露TO夢企画」さんに提出。
2008/12/16(サイトアップは2009/01/11)
タイトルは「一語一音」さまより。
(2010/01/02モバイル公開)
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