愛には愛を。悪意には殺意を、殺意には銃弾を!
バイルシュミット一家のボス、ギルベルト・バイルシュミットには最愛の妻がいる。類稀なる美貌から大輪の赤薔薇にも例えられる、その妻の名を、ビラブドという。
――○○一家の連中の仕業だ。
――野郎、ふざけやがって……!!
殺気立つファミリーの面々の合間を潜り抜けてエントランスに辿り着いたビラブドは人垣の中心にいる人物を認めるとその途端に叫んだ。
「ギルベルト!!」
高い悲鳴がざわつく屋敷の空気を切り裂いた。
血の気の引いたビラブドのその目には、ルートヴィヒの肩に支えられて歩くギルベルトの包帯の巻かれた腹部しか見えていない。
「よう、今帰ったぜビラブド」
そう言ったギルベルトは、顔色こそ流石に悪かったが、ニヤリ、と浮かべた不遜な笑みは常と同じ力強さを湛えていて、ビラブドは少しだけ安堵した。
「撃たれたって聞いたけど……怪我は大丈夫なの?」
「こんなもんかすり傷だぜハハハハハ――っ」
調子に乗って笑った途端にギルベルトは眉を顰めた。ルートヴィヒはそんな兄の姿にぎゅっと眉間に皺を寄せる。
「傷口が開いたらどうするつもりなんだ兄さん。
兄嫁ねえさん、悪いが一応これでも一応絶対安静の身なんだ。早いこと寝室に連れて行って麻酔を打たなくては」
「おいルーイ、俺は平気だっての」
麻酔を打つのは痛み止めというよりは、実は寧ろ半分以上は自分の体調も立場もお構いなしに無理無茶無謀をしでかすギルベルトの行動を制限するためなのだが、そんなことはおくびにも出さない。身内兼部下の気苦労など露知らず――いや、自覚して無視しているだけなのかもしれないが、だとすれば猶更性質が悪い――能天気に言ってのけたギルベルトにルートヴィヒはいつもよりも数段厳しい顔で向き直った。
「兄さん、いい大人は医者の言うことは素直に聞くものだぞ」
「この件に関しては私もルーイの味方だわ」
可愛い弟と妻の両方から説き伏せられてちぇ、と年甲斐もなく舌打ちしたギルベルトをルートヴィヒは容赦なく引き摺っていった。
――なんだ良かった、ボス撃たれた割にピンピンしてたな。
――まああの人はそう簡単にどうにかなるようなタマでもないしな。
――違ぇねえ!!
意外に元気そうなギルベルトの様子にファミリーの面々も活気を取り戻す。
「奥様、奥様もそろそろお部屋に戻りましょう」
「そうね、エリザ」
ビラブドもまだ少し心配そうな様子ではあったが、足取りにはもう重さを残すことなくメイドのエリザベートを連れて自室へと戻る。
ふっと、暗く翳ったその目に一瞬鋭い光が宿ったが、生憎それに気付いた者はいなかった。
ローデリヒは屋敷の奥、ビラブドの部屋へと歩みを進めた。本来ならばそこはギルベルト以外の男は立ち入ることを許されないが、ローデリヒは例外中の例外である。なにせ、ビラブドの実の兄だ。
ローデリヒとしても夫が狙撃された妹の精神状態を思えばもっと早い内から傍についていてやりたかったが、状況がそれを許さなかった。
ギルベルトを狙撃したのは○○一家の、バイルシュミット一家を快く思っていない一派――といっても親バイルシュミット派にしても心の底ではバイルシュミット一家を快く思っていないのは確かだろう。○○一家は百年以上の歴史を持つ、マフィアの中でも名門といえる一家だが、バイルシュミット一家はギルベルトが一代で築いた、いわば成り上がり者なのだから――であったが、○○一家は総意としてバイルシュミット一家とは友好的な関係を結んでいる。
今回の事件は○○一家にしても青天の霹靂である。向こうから急遽送られてきた謝罪と賠償の支社に、一家の中でも数少ない交渉ごとに長けた幹部が当たらざるを得なかった――つまり、ローデリヒが。
一家の中では報復戦争すべし、というものが多勢を占めたが、○○一家とて弱くは無い。十分な備えも策も無く、ましてや一家の要たるギルベルトが負傷した状態で交戦に持ち込むのは避けたい。
ギルベルトにも「毟り取れるだけ毟り取って来い」とのありがたいお言葉を賜ったことだ、○○一家にはそれはもう、遠慮なく高い代償を支払ってもらうこととなった。
ビラブドの部屋の前で、ローデリヒは立ち止まり、コンコンコン、と三度品良くノックする。
「ビラブド、私です」
数秒待つが、返事は無い。不審に思ったローデリヒはドアノブをそっと回し、内鍵のかかっていないらしいことを確認する。
「ビラブド、入りますよ」
扉を開けたローデリヒは床に倒れている人物に悲鳴を上げた。
「エリザベート!!」
あわてて駆け寄り、抱き起こす。外傷が無いことから、どうやら気絶しているだけのようだ。普段の上品さが嘘のようにローデリヒは必死でエリザベートを揺り起こした。
「エリザベート、エリザベート!!」
「う……」
徐に目を開けたエリザベートに、ローデリヒはホッと安堵の溜息を吐いた。
「一体何があったのです、エリザベート。ビラブドは、まさか……?」
妹の姿の無いことに、ローデリヒの頭を一抹の不安が過ぎる。
暫く状況を理解出来ずにぱちぱちと瞬きしてローデリヒの顔を見つめていたエリザベータは、はっと我に返ると血相を変えてまくし立てた。
「大変ですローデリヒさん、奥様が――」
悪い予想が現実のものとなったことに、ローデリヒの顔からざあっと血の気が引いた。
ギルベルトは愛銃に弾を込めた。これはリボルバー式だが、マガジン式のものも二つ腰から下げている。換えの銃弾もたっぷりと用意している。使う機会はそうそう無いだろうが、用心に越したことは無い。
「兄さん、やはり兄さんは休んでいたほうが」
「うるせえな、俺が行かないでどうすんだよ……ビラブドは俺のカミさんだぜ?」
後部座席で一人ふんぞり返る兄に運転席でルートヴィヒは深く溜息を吐いた。一度言い出したら聞かないのだ、この男は。
先行する部下の車が止まったのを見て、ルートヴィヒも車を止める。そこはバイルシュミット一家の本部よりも豪勢な屋敷だった。
強引にこじ開けた門から入り込み、屋敷の扉を開け放って、一家の面々は絶句した。
「これは……」
エントランスのそこらかしこに転がる死体。使用人も戦闘員も一切区別のない、それは殺戮の跡だった。
奥ではまだ立て続けに悲鳴・怒声・銃声が起きている。怯んだ部下を放ってギルベルトは自分の身も省みずそちらへ走り出した。
「待て、兄さん……!! ――まったく、どうしてあの人はいつもああなんだ……!!!」
一歩進む度に強くなっていく血臭と硝煙の臭い。広がる血溜り。ごろごろと転がる死体をズカズカと乗り越えてギルベルトは進んでいく。時々まだ呻き声をあげているのもあったが、それにはギルベルト自身が止めを刺していく。銃声は段々と少なくなっていく。つまり、生存者が減ってきた証拠だ。
屋敷の奥の奥、とある一室へと辿り着いたギルベルトの目に入ったのは今までと同じ死体と、血痕と、一人佇む女。そして豪華な椅子に座っている、両肩と、もしかしたら両脚も打ち抜かれた○○ファミリーの幹部――ギルベルト暗殺未遂の主犯――の姿だった。
「やめ、やめてくれ、殺さないでくれ頼む!」
「そう、よかったわね。大して痛くなくて。ここまですると時々逆に殺してくれって言う人もいるのよ。まあ時々一発撃たれただけでショック死できる運のいい人もいるのだけど」
弾丸を補充し、狙いを定めて撃鉄を起こすその仕草は事務的だが、よく手馴れていた。恐怖に顔を引きつらせた男に、女は薄く笑った。
「さようなら、精々地獄で後悔すればいいわ。
私のギルを傷付けたことを」
直後、けたたましい音を立てて最後の銃声が響いた。
ふう、と硝煙くすぶる銃口を一吹きした女に、眩しいものを見るようにギルベルトは目を細めて声をかけた。
「ビラブド」
くるり、と振り返った妻の姿にギルベルトは満足げに笑った。
――大輪の、赤い、薔薇。
その比喩の、本当の意味を知る者はファミリーの中でも少ない。どんな着飾った姿よりも、今の返り血を多少浴びた姿の方がギルベルトには美しく見える。
結婚を期に第一線を退いたバイルシュミット一家きってのヒットマンは、夫の姿を認めてぱあっと明るい表情を浮かべた。
「あら、ギル。ダメよまだ安静にしてなくちゃ」
「お前放って寝てられるわけないだろ」
迷いもなく自分の胸に飛び込んできたビラブドに抱擁を返して、ギルベルトは楽しげにおどろおどろしい室内を見渡した。
「にしても派手にやったもんだぜ」
「やるなら徹底的に、でしょう?」
「その通りだな!」
上機嫌でビラブドに向き直ったギルベルトは、一筋の赤い痕に気付いてきゅっと目を細めた。
「怪我、したのか」
「掠り傷よ」
バタバタとあわただしい足音を立てて、ルートヴィヒがようやく追いついた。
「だから兄さん、なんのために護衛というものがいると思って――」
戸口から聞こえるルートヴィヒの説教混じりの声に、 ギルベルトは剣呑な表情を浮かべて低い声を出す。振り向くこともせずに。
「ルートヴィヒ」
「なんだ、兄さん」
「ファミリー全部集めさせろ。戦争だ」
「兄さん?」
「○○一家潰すぞ。下っ端だろうとその家族だろうと愛人だろうと一人残らず全滅だ」
自分に背中を向けたままの兄の、殺気に満ちた声にルートヴィヒは戦慄を覚えた。
「今、すぐだ! いいな!!」
何か言おうとして、しかしギルベルトの剣幕に気圧されたルートヴィヒはぎゅっと唇を硬く引き結んだ。
「――了解した、ボス」
ルートヴィヒは部下に指示するために立ち去っていく。また二人きりだ。転がる死体を除くなら。
「ギル」
「ビラブド――俺の、ビラブド」
ゆるゆると愛妻の頬に触れた手が傷口へと触れる。指先で二・三回傷口を撫ぜて、一瞬ぴたり、と止まったかと思うと次の瞬間にはえぐるように爪を立てた。
「痛いわ、ギル」
顔を顰めたビラブドは、表情とは裏腹にどこか甘さの漂う口調でそう言う。
「痛いわ」
うっとりと目を瞑ったビラブドをギルベルトは強く抱き締めた。
「お前を傷付けていいのは俺だけだ」
「ええ、勿論よギル。ギルベルト」
背に回したビラブドの右の細腕がゆっくりと下っていく。腰まで下りてきた後、そのしなやかな手は素早くギルベルトの腹の、包帯の下へと滑り込んで縫いたての手術痕を引っかいた。
「……!!」
声にならない呻き声をあげたギルベルトに、ビラブドは慈しむような笑みを浮かべてギルベルトの頭を抱え込んだ。じわり、滲んだギルベルトの熱い血潮を指先に感じながら。
「ああ、ギル、ギル。ギルベルト。愛しい人。
――貴方を、傷付けていいのは私だけ」
(私を)(俺を)苦しめていいのは(貴方)(お前)だけ。
「Bruno」さんに提出。August Sky(仮)管理人:葉月夏織拝
2009/03/05
(2010/01/02モバイル公開)
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