中学生にもなって学校行事で豆まきというのは、どうなのだろう。
季節感を大切にすると言うのは、嫌いでは無いけれど。
例えば給食に太巻きを出すとか――並中は弁当だし、恵方巻きは関西の風習だけれど――それくらいの事で良いような気がする。
また上履きの底で、廊下に残った豆を踏み、雲雀は不機嫌そうに眉を寄せた。
掃除が行き届いていない。心の閻魔帳にそっと、2のAを刻んでおく。
それから階段を上って、三年の教室が並ぶ廊下をコツコツと、変わらぬペースで歩いて行く。
この時期は、受験前のため三年生は登校したり、しなかったりする。
放課後になればそんなことには関係なく生徒は居なくなる、のだけれど、昼間誰も居なかった教室というのは何となくうすら寂しい。
見回りをする必要も本当は無いのかもしれないが、染みついた習慣というのはなかなか変わらない。
――それも、あと一ヶ月ほど、か。
いつでも好きな学年、と嘯いてはみるが、そうそういつまでもこの学舎にしがみついている訳にもいくまい。
興味のあることが出来たのは、良いきっかけだろう。
雲雀はこの春、答辞を読むことになって居た。
「よう恭弥」
がら、と突然応接室の扉が開き、聞き慣れた声がした。
この部屋の扉を、ノックなしで開けるのは一人しか居ない。
雲雀は片付けの手を止めずに視線だけでそちらを向いた。
「何してんだ?」
そういえば今日来るとメールがあったような気がする。
片付けだよ、と淡々と答えると、再び視線を手元に戻した。
「そっか、じき卒業か」
感慨深そうなディーノの声にも、特に顔色は変えずにうん、と頷く。
「俺も、もしかしたらここに来るのは最後になるかもな」
そう言うとディーノは暫く黙った。
部屋の中を見回しているらしい。
「卒業式、来てやれないかも」
「……来るつもりだった事に驚きだよ」
「だって、教え子の卒業式を見届けるのは教師のつとめだろ?」
「教え子じゃないって何度言えば分かるの」
そこまで言って、雲雀はようやく、ディーノの方に向き直った。
いつの間にかすっかり帰り支度を整えている。
「行こうよ。あなたが居たら仕事にならない」
「え、マジ?もう?」
待ってくれよ、とディーノはソファの背に手をついた。
「もう少し此所に居ようぜ?」
「なんで」
首をかしげてみせる雲雀に、ディーノはふと口元を緩め、眉尻を下げた。
そして不意に手を伸ばすと、雲雀の腕を捕まえ、ふんわりと包むようにして細い躯を抱き込む。
「思い出の場所だろ?初めて出会った」
心地よいテノールが耳をくすぐっていって、やっと雲雀も思い出した。
振り解こうとした腕に、そのままおとなしく収まってやる。
「もう来れなくなるのかな、って思うとさ」
「あなたらしいセンチメンタリズムだね」
ふん、と鼻で笑う雲雀だけれど、卒業までの短い間に、もう二度とあの扉は勝手に開く事はないのだと気づき、それきり黙ってしまう。
ただ、ぴたりと触れあっている背中が温かい。
一年と少しの間に、この金髪がここに在ることが、本当に、当たり前になってしまった。
はじめは自分のテリトリーが犯されるのが我慢ならなかったはずなのに。
いろいろ、そう、本当にいろいろあった。
そしてきっと、これからも、だ。
「そろそろ良い?僕は安っぽい感傷には興味が無いんだけど」
吹っ切るように雲雀が言う。
ディーノはうん、と頷きながら一度ぎゅっと雲雀を抱く腕に力を込める。
「愛してる、恭弥」
ほんの一瞬、つむじに暖かいものが触れた。
身長差を思い知らされる様で、あまり好きでは無いんだけれど。
「知ってるよ」
だから、振り払う様に顔を上げた。
それから乱暴にディーノの胸倉を掴むと、噛みつくように唇を合わせた。
「だから、もう行こう」
まっすぐに、射貫くように瞳を見つめると、ディーノは幸せそうに眦を下げて何度も何度も頷いて、やんわりと腕を解く。
雲雀はその隙間からするりと抜け出すと、すたすたと入り口のドアまで歩いて行く。
それをゆったりした足取りで追いかけながら、ディーノは暢気に口を開いた。
「なあ恭弥、俺明日誕生日なんだけど」
「それも知ってる」
冬の夕日が、二人の影をグラウンドの土の上に長く、長く伸ばす。
この土の上に二人の影が伸びるのは、これで最後かもしれない。
けれど、それは何も寂しい事ではない。
場所を変えて、時を超えて、きっといつまでもいつまでも、二人の影は寄り添っているのだろうから。