たいくつ、と呟いた声が青い空に吸い込まれて消えた。
雲雀はコンクリートに横たわったまま、雲をぼんやり眺めていた。
長らく日本に居座っていたディーノがイタリアに帰国して、一週間が過ぎようとしている。嵐のようにやって来て、飽きるまで戦って、目が回るほどに愛された。そんな騒々しい日々が、ぱたりと静かになってしまった。
あの日々は、夢だったのではないかと。
そんな非現実感に囚われながら、瞼を下ろした。
瞼の裏の闇に、ディーノのと記憶が浮かんでは消える。
思い出と呼ぶにはまだ手が届く距離で、しかし今は、手が届かない情景。
……いつ、帰ってくるかな。
口には決して出さないけれど、しかしその思いは確かに雲雀の胸の中に渦巻いている。手合わせをしたときの高揚感も、唇を合わせたときの暖かさも、まだ体の中に残っていた。
それが、無性に恋しい。
こいしい、と自覚すると、不意に背筋が粟立つのを感じた。体が熱い。
どうしようもく、暴れたかった。
群れを制裁に行こうか、と上半身を起こした時、がちゃりと音を立てて入口の扉が開いた。反射的に、そちらを向く。
「んだよ……ヒバリか……」
しかし、現れたのは眩しい金髪ではなくて。
「……なんの用だい……獄寺隼人。」
それでもどこか彼に似た雰囲気だ、と思うのは、彼にもまた異国の血が流れているからだろうか。銀髪の少年は、気だるそうな足取りで雲雀の方へと歩いて来る。
「別に……煙草。」
「僕の前で堂々と校則違反かい?良い度胸だね。」
いい獲物を見つけた、とばかりに唇を舐め、雲雀は立ち上がる。隠した得物を取り出しすと、構えるのと同時に駆け出した。
げ、と怯んだ顔を見せた獄寺は、咄嗟に懐から爆発物を取り出して投げつける。が、いずれも雲雀のトンファーに弾かれて中空で弾ける。
一気に距離を詰める雲雀の、その手の得物をなんとか受け止めようと構える獄寺を、その構えた腕ごと殴り飛ばしてさらに追いかける。
ガシャン、とフェンスに沈んだ獄寺の喉元にトンファーを突きつけて、動きを封じた。
「弱すぎるよ、君。」
「ッ…………!」
フン、と見下す雲雀をじろりと見上げた獄寺だったが、すぐにふいっと視線を逸らす。
「…………悪かったな……」
しおらしく呟く獄寺に、雲雀はおやと手を緩めた。
「珍しいね、君が大人しいなんて。」
「……テメェこそ、いつもより気が短ェだろ。」
「……飢えてるんだよ。」
雲雀の言葉に、獄寺はああ、と小さく呟いた。
「跳ね馬のヤロー、帰ったのか。」
「……」
そうだ、とは何故か言えなくて雲雀は口をつぐむ。だから何、と絞り出すように言うと、別に、と気まずそうな声が帰って来た。
「……君は、いいよね……」
短い沈黙の後、雲雀がぽつりと呟いた。
顔を上げた先には、フェンス越しにグラウンドで活動する野球部の姿があった。
「……そーでもねー……」
かしゃん、と軽い音を立てて、獄寺は頭をフェンスに預ける。その様子にはやはり覇気が無くて、雲雀もまた覇気を削がれて得物を引く。
「喧嘩でもしたの?」
「ちげーよ……大会、近いんだと。」
普段、お互いの恋人の前でならば、『だから顔を見ないで済むから清々する』と言うところで、しかしそれが言えずに二人して口を閉ざした。
「ねぇ。」
短いような、長いような中途半端な沈黙を破ったのは雲雀の声だった。
かしゃん、と軽い音をさせて、獄寺の顔越しにフェンスを掴んでみせると、獄寺は一瞬顔を強ばらせた。
「……んだよ。」
「キス、しようか。」
表情ひとつ変えずに、雲雀が呟く。
獄寺が二、三度瞬いた。
「はぁ?!なんでテメェとき、キス……!!」
漸く何を言われたのかを飲み込んで、獄寺が頬を赤くして叫ぶ。が、雲雀は相変わらずの無表情で
「……あてつけ、かな。」
と、首を傾げた。
「どうせ……君も飢えてるんだろ?」
低い声で囁くと、獄寺はぴく、と肩を竦める。
やっぱりね、と呟いて唇を寄せた。
「まあ、予想通りといえば、そうだけどね。」
ぺ、と唾を吐き出し、唇を手の甲で拭う。
「なら最初からすんなよバカが……」
おぇ、とえづく真似をしながら、獄寺もまた口を拭った。
「もう少しはあの人の代わりになるかなって思ったんだけど。」
「勝手に人を代用品にすんなっつの。」
「君だって僕のことを山本の代用にしようとしたから、抵抗しなかったんだろ。お互い様だよ。」
唇を合わせたところまでは、まだよかった。
が、舌を差し込もうとした途端にお互い吐き気を催し、弾かれたように唇を離した。
「あの人はそんなに下手じゃないよ。」
「あの馬鹿はそんなタラシくせぇのはしねーよ。」
「下手よりマシだよ。」
け、と毒づいて獄寺はタバコに火を点ける。
雲雀が咎めるように眉を寄せたが、口直しだ口直し、と獄寺は気にも留めずにぷかりと紫煙を吐き出した。
それを横目で見ながら、雲雀はフェンスに凭れて空を仰ぐ。
「……早く帰ってくればいいのに。」
「直接言ってやれよ。」
「そんなこと言ったらあの人が喜んじゃうだろ。」
喜ばせてやればいいだろ、と言いかけて、自分の恋人が喜ぶ姿を思い出し口を閉ざす。なんとなく、喜ばせてやるのは癪なのだ。
「……お互い苦労すんな。」
「……そうだね。」
二人は揃って空を見上げる。
茜色に染まり始めた雲がふわりふわりと西へと流れていくのを、暫くそうして眺めていた。