ぴろろ、と高い声で歌いながら、鳥が一羽、底抜けに青い空を横切っていく。
俺は書類に落としていた視線を上げて、窓の外を見遣った。
書類仕事なら世界中何処に居たってできる。……だから、出来ることなら今すぐ日本に飛んで行きたいのだけど。
シマにファミリアのボスが居ると居ないとでは、住民の安心感が違う。そしてそれはシマの治安に直結する。
デジタル化だのIT化だの言われている昨今にあってなお、マフィアというのはこういう古い、アナクロな土地との繋がりを何より大切にしているのだ。
それは素晴らしいことだ、と頭じゃ分かっているのだが、好きな相手に好きな時に会いに行く事が出来ないというのは実にじれったい。
俺はため息をひとつ空へと吐き出し、再び書類に目を落とす。
近年は反マフィアを標榜する商店も増えていて、今眺めている書類はそのリストだった。
が、俺はそれならそれでいい、と思っている。上納を拒否したからといって制裁を加えたりするつもりもない。元々キャバッローネは住民に求められて存在しているのだし、求められなくなれば解散したって構わない……もちろんファミリーを路頭に迷わせる訳にはいかないので、ハイ解散!ということは出来ないけれど、緩やかに在り方を変えていけば良い。
……が、いくら反マフィアの看板を出しているのは一部の、それも最近出来た店だとは言っても、淋しいものは淋しい。
「仕事のしにくい時代だなァ、ボォス。」
コーヒーを運んできたロマーリオが、俺の手元の書類を見て苦笑する。
そうだな、と苦笑で返し、俺はコーヒーに手を伸ばした。一息入れたらまた仕事だ。
貧困街を任せている幹部を呼びつけて様子を見に行かせ、また商工会を仕切らせている奴には、上納を拒否した店に余計な圧力がかからないように根回しをさせ、キャバッローネの懐の広さを示す必要がある。
コーヒーを飲みきる間にそれだけの算段をして、ロマにカップを返した。
「なあ、俺たちって……何なんだろうな。」
「ボォス……」
やれやれと言う顔でロマが首を振る。
俺はやるせない気持ちを振り払うようにため息を吐き出す。
なんだかとても、恭弥に会いたかった。
電話が鳴ったのは、ちょうどその時だった。
慌てて携帯を引き寄せると、ディスプレイには恭弥の名前。
「恭弥?」
「やあ。」
あちらから連絡してくるなんて滅多にないことなので、つい胸が高鳴る。
しかし恭弥の声はいつも以上に事務的な響きでもって俺の耳に届いた。
「近くまで来てるんだ。話があるから寄らせてもらうよ。」
「なんだ?話ってのは。」
恭弥の固い声に嫌な予感を覚えて、俺は然り気無さを精一杯装って尋ねる。
すると、電話の向こうで恭弥の表情が緩んだ気配がした。
「安心しなよ、別れ話じゃない。」
お見通しか、と苦笑して、しかし電話やメールでは伝えられないニュース、というのにそう幾つも心当たりがある訳もなく、俺の緊張の糸は途切れることを許されない。
「一時間後でどうだ。」
「わかった。じゃあね。」
淡々と言うと、電話は切れた。
会いたかった、会いたかったけれども、こんな殺伐としたムードは要らなかったな、と苦笑が漏れる。
それでも会えないよりはマシか、と自分に言い聞かせて笑顔を作ると、ロマに応接室を用意させる。
客間にしなかったのは、なんとなくだけど、その方が良い気がして。
果たして恭弥は時間通りにやって来た。
応接室のソファにゆったりと腰かけている恭弥に軽く会釈、と言うかアイコンタクトだけ交わして、人払いをした。
会いたかったぜ、と言う代わりに用件を促す。
「ジェッソの噂は聞いたかい?」
「ああ……最近台頭してきた組織だろ?シマは広くないが、財界には太いパイプがあるみたいだな。」
「そう、その様子じゃあジェッソが隣町で大麻を流してるってのは知らないみたいだね……」
「なっ……!!」
確かに隣町との境で、小規模な流通があることは確認している。が、流しているものが時代遅れの大麻ということと、流通がごく小規模なものだったことで静観していた。隣町との境はシマの境でもあるから、あまり過敏に騒ぎ立てて隣のファミリアとことを構える事態になるのは得策ではないのもあった。
しかしまさか、まったく外部からの流入だったとは。
俺は自分の判断の甘さに舌打ちをする。
「やっぱりね。忠告はしたよ。話はそれだけ。」
恭弥はくいっと口角を持ち上げると立ち上がる。
本当はもう少し一緒に居たかったけれど、俺の方もそれどころではないようだ。
ありがとう、と訪問と情報についての謝辞を述べ、丁重に玄関まで送ってやる。
「……恭弥、」
「この件が片付いたらね。」
自分でも何が言いたかったのか、実はよく解っていなかったのだが、それでも恭弥には解ったらしい。ふっと表情を和らげてそう言うと、颯爽と玄関先に停めていた車へと乗り込んだ。
リアウィンドウのガラス越しに、Grazie、と唇だけで伝える。横目でそれを見た恭弥はツンと前を向いた。
時間にすればほんの十五分程度のこと、しかしそれで十分だった。
「さーて、ジェッソと喧嘩しますかね……!」
恭弥の車が走り去ったのを確認してから俺は大きく伸びをする。
さっきまで感じていた閉塞感はもうなかった。
「愛してるぜ恭弥ぁー!」
恭弥が去った方角に向けて叫ぶと、背後でロマが苦笑する気配がした。